346 神の力 3
「それ、一体何をすればいいんですか」
マリコは聞いた。この部屋の清めの儀くらいなら問題ないが、あまり時間を取られるものだと困る。宿屋の女中さんという本業がマリコにはあるのだ。ベッドの上であぐらをかいていた女神は、さらに腕を組んでふむと頷く。
「それではまず、わしの着替えを一つ持ってきてくれぬか」
「着替え、ですか」
マリコは首を捻りながらも、席を立ってそれを取りに向かった。女神の部屋は床から立ち上がった、扉の付いた壁によっておおまかに二分割されている。今女神たちが居るのは寝室兼リビングダイニングとでも言うべきスペースで、壁の向こうにはバス・トイレの他に収納スペースなどもあり、ただの白い布のようにも見える女神の着替えはそちらに仕舞われていた。
女神も流石に何でもかんでもアイテムボックスに入れて持ち歩くわけではないらしく、収納スペースには着替えの他に食べ物以外の供え物なども仕舞われたり置かれたりしている。最近はこの辺の整理もマリコの清めの儀の範囲に入ってきつつあった。
「よしよし、持ってきたの。それはとりあえずここに置くのじゃ」
持って戻ったマリコを迎えた女神は自分の隣、ベッドの上をポンポン叩いて着替えを置かせると、「次はこれじゃ」と何かを取り出した。それは女神の手の中に隠れてしまう程度の大きさらしく、握ったままの手を受け取れといった風情でマリコに向かって突き出してくる。マリコが手を出すと女神はその上で手を開き、赤く丸い何かがマリコの手の平にポトリと落ちた。
「これ……」
それに目を向けながら、マリコはもう片方の手で自分の襟元に手をやった。楕円形の赤い石をはめ込まれたそれは、いつも襟のリボンを留めるのに使っているブローチとそっくりだった。下を向いても見えないが手に当たる感触から「本物」はそこにあると分かる。それに付け替えろという女神の言葉に従って付け替えはしたものの、マリコ本人には何が変わったとも思えない。
「説明するから座るのじゃ。転ぶといかんのでな」
微妙に不穏なことを言う女神に不安を抱きつつ、マリコはイスに腰を下ろした。それを見届けた女神は再び口を開く。
「おぬし、全知とはどういうものじゃと思う?」
「ぜんち? 全知全能、の全知ですか?」
「そうじゃ」
「そりゃあ、全てを知るからこそ全知なんじゃないんですか」
「その通り。起こった事、起きている事。見えている事、見えていない事。その全てを見通すのが全知じゃ。それでの……」
あぐら座りの膝に手を突いて、女神はずいっと身体を乗り出す。
「そのブローチには、全知の力を込めてある」
「はあ!?」
マリコは思わずブローチに手をやると、それをつかんで首から遠ざけようとした。そんな力は人の身に余る。
「慌てるでない。それでおぬしが全知になるわけではないから安心せい」
「そ、そうなんですか?」
「当たり前じゃ。全ての事象を受け取って処理するなぞ、今のおぬしには到底無理じゃからの。一瞬で脳みそが焼き切れるわ」
「そ、そうですよね……」
コンピュータと同じく、人の脳にもメモリや処理速度の限界はあるのだ。全てを知るなど、メモリがいくらあっても足りないだろう。
「じゃからそれには出力側にリミッターを設けてある。基本的には音として出力するよう設定しておるから、試しにそれに手を当てて『全知』と唱えてみい」
「え」
「大丈夫じゃ。脳みそが焼き切れたりはせん」
女神がマリコに何をさせたいのかはまだ分からない。しかし、これをやってみないことには話が先に進まないであろうことは分かる。マリコはブローチに触ろうとして、それを握りしめたままだったことに気が付いた。一旦手を放して改めて触れる。
「全知」
途端に雨音が聞こえた。サーッと小雨が降るような音に包まれる。だが、よく聴いているとマリコにはそれが雨音よりも別の何かに近いように感じられた。
「ホワイトノイズ……」
どこにもチューニングが合っていない、あるいは放送が終わった後のラジオから流れていた音に、それはとてもよく似ていた。
「そうじゃの。全ての事象を一辺に聞くとこういうことになるのじゃ。もっとも、もしリミッターが効いてなかったら、今頃おぬしの鼓膜は弾け飛んでおったじゃろうがの」
女神はからからと笑いながら恐ろしいことを口にする。しかし、マリコはそれを気にすることもなく、雨音のようなノイズに聴き入っていた。何千何万、否、全ての事象であるなら億や兆でも足りないだろう。それが一度に聞こえたら、確かにノイズにしかならないのかも知れない。
(よく耳を澄ませれば、意味のある事を聞き取れるでしょうか)
ノイズの海に意識を沈めていく。誰かに呼ばれているような気がする。求められているような気がする。何がそうしているのか、もっとはっきり聞こうとさらに深く沈み込もうとした時、肩を叩かれてハッと我に返った。
「それは人の身では無理じゃ」
真面目な顔になった女神が、膝立ちになってマリコの肩をつかんでいた。余程のめりこんでいたらしい。顔を起こすと額から頬に汗の筋が伝った。ふうと息を吐いてマリコは手の甲でそれを拭う。
「それを成すには、それこそ『全能』に近い能力が必要じゃ。じゃからの」
そこで一旦言葉を切った女神はニッと笑う。
「こういうシステムを組んでみたのじゃ」
そう言って指を振った。どうやら何かのウィンドウを操作していたらしい。ポーンと軽快な音がして、マリコの前にウィンドウが開く。マリコはそこに目を走らせた。
「って、ええっ!?」
マリコの素頓狂な声が響いた。
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