333 東の山へ 2
「ミランダさん、ストップ」
次の茂みがある角を曲がればその開けた場所が見えるという位置まで来たところで、マリコは前を行くミランダに声を掛けた。ミランダが足を止めて振り返る。
「どうなされた?」
「……何か居ます」
先ほどまで時々捉えていた小さなものではない、恐らくは灰色オオカミの気配。それがじっとしているようだとマリコが伝えると、ミランダはゆっくりと前に向き直って頭上に飛び出た耳をピクリと動かした。
「確かに動いてはいないようだ。それらしい音は聞こえぬ」
山の中とて全くの無音ではない。風や木々の葉ずれ、鳥の鳴き声などが聞こえている。その中からオオカミの息遣いを聞き分けるにはさすがにまだ距離があった。
「抜いておきましょう」
そう言ってマリコは背負ったクレイモアを抜いた。ミランダも頷いて刀の鞘を払う。そのまま忍び足で進んだ二人は、曲がり角の茂みからそっと顔を出して様子をうかがった。するとボスオオカミが倒れていたというそこに、一頭の灰色オオカミが伏せている。幸い風向きは横からで、匂いで気付かれる心配は無さそうだった。顔を引っ込めた二人は静かに数歩下がる。
「あれが件のオオカミのようだな」
「ええ。今の様子なら、先に弓か魔法ですね」
野豚狩りの時と同じ様に、足を潰しておいてから近付いてとどめという作戦である。
「その方が確実であろうな。では、そちらはお任せしてよろしいか」
「構いませんよ」
抜き身の刀を示して見せるミランダに、マリコは頷いてクレイモアを鞘に戻した。元々剣にこだわっていた上に経験値やスキルレベルの事も知ったミランダである。その辺も稼ぎたいのだろうということは容易に想像が付いた。
(相手が灰色オオカミ一頭だけなら援護が無くても大丈夫でしょうし)
念のため、ミランダに物理障壁や防護などを掛けた後、マリコは弓と矢筒を取り出した。
角のすぐ手前まで移動して矢を番え、ミランダに合わせて灰色オオカミの前へと踊り出る。
「速射、二射!」
マリコがわざと出した声に灰色オオカミが跳ね起き、その両前足に吸い込まれるように矢が突き立った。
「ギャンッ!」
悲鳴を上げた灰色オオカミは転びこそしなかったものの、走り出し損ねてたたらを踏む。そこへ刀を脇に構えたミランダが走り込んだ。
「いやあっ!」
すれ違い様、半ば掬い上げるような角度で刀が振り抜かれる。勢いのままに灰色オオカミの後ろまで駆け抜けたミランダが止まって振り返るのと同時に、灰色オオカミの首がぽとりと落ちて真っ赤な噴水が噴き上がった。
◇
「他にはいないみたいですね」
先ほどの灰色オオカミを回収した後、しばらく周囲を探索してみたが別の個体を見つけることはできなかった。
「バルト殿が言っておられたように、はぐれだったのであろう」
はぐれとは、群れを作る種類の動物でありながら群れを離れ、単独行動する個体のことである。再び群れに受け入れられることはないとされ、力を付けて群れのボスを目指すために単独行動している野豚の若いオスとは少々意味合いが違う。
「本当にそうなんでしょうか」
「何故そう思われる」
「この場所です。ここは大きな灰色オオカミ、つまり彼らのボスが倒されたところでしょう? そこへわざわざ来たってことは、『はぐれ』だったんじゃなくて、何かの理由で本当に群れからはぐれていたのが合流しようとしてやってきたんじゃないかって思ったんですよ」
「合流とは言うがな、かの大きな灰色オオカミが倒されてからもう二十日ほども経っておるのだぞ。それでも分かるものであろうか」
「そこまでは私にも分かりませんけど……」
さすがにマリコにもそんな犬のような嗅覚はない。だが、さっきの灰色オオカミの様子は何かを確信していたようにしか見えなかったのである。
「それにだな、マリコ殿。そもそもオオカミが群れからはぐれてしまうというのはどういう状況であろうか」
灰色オオカミは動物の中でもそこそこ強く、移動力も高い。少々群れから離れたとしても合流するのにそんなに苦労するものだろうかとミランダは言う。
「うーん。川に流されるとか、何か強い敵に追いかけられるとか?」
「もっと向こうの山は知らぬが、この山にそんな大きな川は無いとバルト殿たちは申されていたぞ。それに、灰色オオカミの群れを追いかけるような敵となると……、それを一番やりそうなのは我ら人ではあるまいか」
確かにバルトたちは灰色オオカミの群れ相手でも一応勝てると言っていたし、実際ボス二頭を交えた群れの半分以上を倒している。そういう意味では一番やりそうなのは人というのはマリコにも分からないではない。しかし、今回の件はバルトたちの仕業ではないし、ここからさらに東には人は住んでいないはずなのだ。
「……結局、はっきりとは分かりませんか」
「さすがに根拠なり証拠なりが少な過ぎであろう。それよりもだな」
「はい?」
「今からどうなされる。もう少し探索を続けるか、里に戻るか」
放牧場に現れた灰色オオカミらしき個体は一応発見した。しかし、他にはもういないという保障もない。また、思いの外早く遭遇できたので時間的余裕はあるものの、バルトたちの見回り範囲を全てフォローするのは元々無理な話である。どこかで区切りをつけて帰らなければならない。
マリコは周りをぐるりと見渡した。坂の下に向かえばじきに里に戻れる。坂の上はというと、木々に阻まれて頂上までは見えない。マリコはミランダに向き直った。
「この山の上までだとどのくらい掛かりますかね?」
「私もここから先は行った事が無いのではっきりは知らぬ。ただ、バルト殿たちの話だと、この山の向こう側の中ほどに東一号洞窟があって、そこから里に戻るのに半日掛かるのだそうだ。今からここの頂上に向かうなら、半日もは掛からぬにしても帰りは夜になってしまうぞ」
「徒歩で半日、ですか。ここから頂上までだとその半分から三分の一……あ」
ミランダの言う通り無理があるなと思ったところで、マリコの脳裏に閃くものがあった。
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