332 東の山へ 1
「やっぱりこう、同じ物を食べるにしても、傍に美人が居ると居ないとでは味が違うってもんだな」
「違いない」
外に出したテーブルに着いてサンドイッチを頬張りながら言うカミルに、隣に座った男たちが笑いながら頷いた。マリコはお茶を注ぎ分けながらカミルに半眼を向ける。
「カミルさん、前にも同じ事を言ってませんでしたか?」
「私も確か食堂で聞いた覚えがあるな」
「ん? まあ言っただろうな。何せ事実だし。それに言う事がころころ変わるようじゃ、信じていいのかどうか困るだろう?」
「それはそうかも知れませんけど」
悪びれた様子も無く、カミルは受け取ったお茶に口をつけて笑った。一応、美人だと褒められているわけでもあり、こう明け透けに言われてしまうと怒る気にもなれない。マリコはミランダと顔を見合わせてふうと息を吐いた。
マリコたちは今、放牧場の小屋の前にいる。朝の話通り、アリアの代わりに昼食を持って来たのである。灰色オオカミへの警戒のため、いつもより多い五人が放牧場に詰めていた。もちろん、五人いれば灰色オオカミを倒せるということではなく、こっちには数が居るぞと見せ付けて追い返すためである。
「それで、今日はどうですか」
「ああ、今のところは出て来ないな。近くに来れば犬たちが気付いて騒ぐだろうがそれもない」
マリコの問いに、カミルは目の前に広がる放牧場を指して言う。あちこちで牛や羊が草を食んだり、所々にわざと残された木の下に座って休んでいるのが見えた。コリーのような大きな犬が一頭、その近くに伏せている。
家畜舎やこの小屋は畑と放牧場を隔てる丸太の柵のすぐ外側にある。山裾の斜面までを拓いて作られた放牧場は広く、ここからではその全てを見渡すことはできない。全部で三頭居るはずの犬が一頭しか見えないのも、奥の方へ行った牛に付いてそちらにいるからなのだろう。
「もうじきまた忙しくなるし、このままいなくなっててくれればいいんだけどねえ」
一緒にいた男の一人がサンドイッチを手にしたまま同じ方を眺めて言う。彼は本来の牛飼いではなく、臨時に見張りとして来ている者だった。麦の季節が終わり、今度は稲の季節がやってくる。田植えの時にはまた里を上げての騒ぎになるので、余計な手間を取られたくないと思っているのだ。
先日の麦刈りを思い出せばそれはマリコにも分かる。ただ、だからと言って、この後放牧場の外を見てくると言ったマリコたちに期待の目を向けられても困るのである。
(初めて行くのに、やっつけて来ますよとか無責任な事を言う訳にもいきませんし……)
「命あっての物種だ。あいつらの事は気にしなくていいから、無理せず、怪我しないように気を付けて行っておいで」
昼食も終わり、カミルに掛けられた言葉に少し気を楽にしながらマリコたちは小屋を後にした。
◇
「ここから先は未開の地、人外魔境ということですか」
放牧地を横切って東の端までやってきたマリコは、丸太でできた柵の隙間から外を眺めた。ここの柵は畑、つまり里の中と放牧場を隔てる柵よりはやや低めに作られている。普通サイズのオオカミ相手であれば、これでも十分役に立つはずである。
もっとも、前にやってきたボスオオカミの大きさにまでなってしまうと、内側の柵や壁であっても少々心許ない。実際にこの辺りの柵は壊され、それを直したところはまだ真新しい木の色を放っていた。
「いや、ずっと奥まで進むなら確かにそういうことにはなるがな、マリコ殿」
マリコの大袈裟な物言いに、ミランダは少し呆れ気味の返事をした。
「分かってますよ。単に気合いを入れ直そうと思っただけですから」
実際、柵のすぐ外側は今まで歩いて来た放牧場とほとんど変わらない。草こそ伸び放題になっているものの、大きな木は無く草原になっていた。木を足場にして中へと入られるのを防ぐために、柵の近くに生えていた木は全て切られているのである。その緩衝地帯のような草原の先はほとんど山のままであり、柵に出入口が作られているところからそちらへと草の無い細い道が続いていた。
「あれはバルトさんたちが付けた道ですか」
「そうだな。私が行った事があるのもあの先だ」
「では、そこまで行ってみましょうか」
「ああ。案内する」
それぞれ剣を装備して柵の外へ出た二人は小道へと踏み入った。山の麓に当たる放牧場にもわずかに傾斜があったが、ここから先はさらに山の中である。しかし、メイド服姿の二人はそれを特に気にするでもなく、するすると坂道を登り始めた。
「さすがに、こんな近くにはもういないみたいですね」
「ああ、私にも特に変わった音は聞こえない」
道に入って程なく、それまで黙って歩いていた二人は口を開いた。それぞれ気配や音に気を付けながら進んでいたのである。山の中とは言え、ジャングルのように木が密生している訳ではなく、ある程度は周囲も見えているし、時折開けた場所もある。しかし、目で直接見るだけではどうしても限界があるのだった。
「時々動物らしい気配もあったんですが、灰色オオカミよりずっと小さいですね。キツネか何かでしょうか」
「多分そうであろう。里の周りには結構居るらしい故な」
「どんなのか見てみたい気もしますね」
「それは難しいかも知れぬ。キツネはかなり臆病なのだそうだ。灰色オオカミがうろついているようでは、余計に出てこないのではなかろうか」
「それは残念です」
バルトたちが見回りに分け入るルートなのだろう、獣道のような小道は時折枝分かれしていた。ミランダは特に迷う様子も無く、山の奥へと進んで行く。しばらく歩き続けた後、一旦足を止めたミランダが顔を上げて辺りを見回した。確かめるように猫耳もピコピコと動く。
「うん、この先だな。もう少し行くと開けたところに出る。そこがバルト殿たちがもう一頭の大きなオオカミと戦った場所だ」
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