320 西二号洞窟 4
「申し訳ありません。姫様、マリコ様」
アドレーが振り返って二人に頭を下げた。
「気にするな。私としてはむしろ、こちらの方が望むところと言うものだ」
「ミランダさん。突っ込んで行っちゃダメですからね」
「そ、それは承知している。我らはあくまでアドレーらの補助。危機に陥るまでは手は出さぬ」
(その言い方だと、アドレーさんたちが危機に陥るのを期待しているように聞こえますよ)
マリコはそう思ったものの、ミランダが単に戦闘に加わって己の力を試してみたいと考えているだけだということは分かっているので何も言わなかった。ふとアドレーに目をやるとこちらも同じ事を考えたのだろう、困った方だという顔をしている。ただそれはほんのわずかの間で、笑顔に戻ったアドレーは大仰に振った腕を自分の胸に当てる。
「万一私めが不覚を取って倒れました際には、よろしくお願いいたします」
「だ、誰がそこまでせよなどと言うか! 危ないと思ったら即座に後退せよと言っておるのだ! ま、また怪我など負ったら承知せぬからな!」
「うっ……。こ、心得ましてございます」
わずかに顔を赤くしたミランダの言葉に一瞬固まったアドレーは改めて頭を下げる。計らずも間近でその空気に巻き込まれてしまったマリコは、さらに後ろで待機している誰やらを振り返りたい衝動に襲われた。小さく首を振ってなんとか耐える。
今マリコたちは多数の岩が転がる広間に立っていた。全員で穴をくぐり抜けてきたのである。広間の中央まで距離があるため、まだ岩の魔物は動き出していない。
◇
「無理、とは言わないが、今回に関しては時間が掛かり過ぎるな」
少し前、穴の向こうの通路でバルトが出した結論がこれだった。アドレーたちが使える攻撃系および拘束系魔法の種類と強度、一日に使用できる回数。マリコやバルトたちが持っている物も含めた矢の数。そういった今できることを列挙して、アドレーたちだけで岩の魔物を外から倒すことができるかどうかをシミュレートした結果である。
基本的な手順としてはまず、拘束の魔法で動きを阻害しつつ、付与をまとわせた矢を岩の継ぎ目を狙って撃ち込む。そうやって岩の触手の大部分を刈り取った上で広間に突入し、近接戦闘でトドメを刺すという流れになる。
しかし、問題となるのが弓と魔法の射手だった。アドレーの組で弓に長けると言えるのはオベド一人であり、命中率や威力を考えれば彼が一人で射続けなければならない。魔法についても魔力量に限りがある以上、ずっと使い続けてはいられない。どちらもある程度休みを入れながらでないとできるものではなかった。
しかも矢の数は無制限ではない。さすがのマリコもメイン装備ではない弓に使うための矢は――それでも十分多いだろうが――百本弱しか持っていなかった。穴の奥へ撃ち込む以上、再使用可能な矢を回収するというわけにもいかず、手持ちが尽きれば終わりである。それ以降は攻撃系魔法頼りになってしまう。
弾き出された答えは、不可能ではないが一日では済まないだろう、というものだった。
穴の手前はさして広くもない通路状の鍾乳洞である。これが本当にアドレーたち五人だけであったのなら、ここで交代で休みながら魔物を倒すというのも選択し得ただろう。しかし、今は十二人の大所帯である。まともに野営するのであれば、スライム池のある広場に戻らなければならない。
岩の魔物を倒した後、広間から先もある程度調査しておく必要がある以上、ここでそこまでの時間を掛けるわけにはいかなかった。
「外から倒すのは次回以降、それにふさわしい準備を整えてからということにしたいと思います」
この洞窟を担当する組の長であるアドレーがそう決めたことで、一行は次の手段を試すこととなった。
即ち、近接戦闘においてアドレー組だけで岩の魔物を倒せるか、である。
こちらも決して勝算が低いわけではない。不意打ちを喰らった前回とはいくつかの点で条件が違っている。
まず、もう不意打ちを喰うことはない。ある程度近付けば襲ってくるのが分かっているのだから、あらかじめ支援系や防御系の魔法を準備することもできる。
次に対処法、つまり倒し方が既に分かっている。マリコから渡された新たな得物は付与の手間を省き、かつ攻撃力もこれまでより高くなっているはずである。
最後にこれは元々の話ではあるが、アドレーたちは岩の魔物の攻撃を避けることができる。膂力というより重量の差から、受け止めることは難しい。だが、油断しなければ回避はできるのである。これは敏捷性に優れたアニマの国出身者故であろう。
それらに加えて、今回はマリコやバルトといった保険が付いている。即死さえしなければ、マリコが怪我人を放置するはずはないし、こちらも二度目となるバルトたちが魔物を倒せないとも思えない。
遠距離から安全に手早くという方法が取れない以上、これは是非とも今回試しておくべきだった。
◇
「それでは、準備ができたら行くぞ」
アドレーの声に従って、イゴールたちは防護を始めとした自分たちが使える魔法を掛けていく。彼らだけでやれるかということなので、後ろに控えたマリコはまだ動かない。
「抜刀!」
やがて、全員が準備を終えるのを見届けたアドレーが再び声を上げ、五人は刀を抜いた。アドレーの「狐徹」が、イゴールの「胴狸」が、魔力を含んだ濡れたような輝きを放つ。いつもなら盾を構えるエゴンも今日は刀を手にしていた。
マリコの隣に立つミランダも、五人につられたように腰の得物の鯉口を切る。しかし、ふうと息を吐き出した後、パチリと音を立ててそれを戻した。まだ自分の出番ではなく、そして出番が来ないまま終わる方がいいのだ。
「行くぞ。ゆっくりと近付け」
アドレーを中心に横一列に並び、お互いの距離を徐々に開きながら、五人は前進を始めた。振り回される腕にまとめて薙ぎ払われないように、岩の魔物を半ば包囲するつもりなのだ。
左腕に盾、腰に片手剣を佩いたマリコはそれらの存在は一旦脇に置いて、前を行く五人の背中と転がる岩の全てを視界に入れる。何かあったら即座に魔法を放てるように。
マリコとミランダのさらに後ろ、壁際近くにはバルトたちが控えている。今日の主役は彼らではない。主役が存分に戦えるよう、彼らは周囲に目を光らせる。
たくさん転がる岩のいくつかの横をアドレーたちが通り過ぎた時、その内の一つがゴロリと動いた。
「チクチク作戦」から「当たらなければどうということはない作戦」に(笑)。
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