312 探検隊、西へ 6
「じゃあ、例の魔物はやっぱりまだ洞窟に居そうなんですか」
「ああ、ここに来るまでに出会わなかったし、あの大きさの物が通った跡も無かったから途中で引き返したりよそへ行ったりということもないだろう。十中八九、出てきてはいないと考えて良さそうだ」
マリコは食事の支度を続けながら、作業台を挟んでバルトと話をしていた。作業台を買うだの家を仕舞うだのという話の後、何故かバルトはその場に留まってしまったのである。しばらくは料理をするマリコをどこか嬉しそうに眺めていたのだが、マリコの方は黙って見られ続けることに耐えられずに口を開いた。
とは言え、マリコの隣にはミランダがいるし、カリーネたちもすぐそばで作業をしている。色めいた話になるはずもなく、話題は今回の件についてである。バルトたちは薪拾いのついでに明日進む方も少し見てきたのだという。その結果、やはり岩の魔物が通った跡は見つけられなかったらしい。
「少なくとも、アドレーたちを追って里の方に向かったわけじゃないのは間違いない。あり得るとすれば、洞窟を出たところで見当違いの方へ向かったってことくらいだろう」
それも洞窟の入口に着いてみれば分かることだとバルトは締め括った。
「ところで……」
「はい?」
魔物の話題が途切れた後、一度は黙ったバルトがまた口を開く。その目はマリコの手元だけでなく、その横に並んだ物やカリーネたちが準備しているものに向けられていた。
「いや、なんだかもうナザールの宿がそのまま引っ越してきたみたいだなって」
いつの間にかマリコの脇にはあとは焼くだけとなった野豚のしょうが焼きらしい薄切り肉が積まれ、カリーネの横にはサラダが姿を現しつつある。かまどの片方には取り分けられたコンソメに野菜や芋を入れたスープの鍋が掛けられ、もう一方の鍋はフタの隙間から白い湯気を噴き出させていた。そこから漂ってくるのはご飯が炊ける時のあの独特の匂いである。探検行の途中であることを忘れてしまいそうな光景だった。
「確かに! ああ、正に時空を越えてナザールの宿と繋がったかの如き! 何という僥倖でありましょうか!」
匂いに釣られてやってきたらしいアドレーが両腕を広げてバルトに同意する。大袈裟に聞こえるが、アドレーは至って本気だった。男所帯のアドレー組のいつもの食卓は今日と比べると遥かにみすぼら……、否、慎ましやかなのである。アドレーの傍ではイゴールが黙って何度も頷いていた。
「ダメよ!」
しかし、男たちの感動に待ったを掛ける者が居た。トマトらしき丸っこい野菜と包丁を手にしたカリーネである。鬼気迫る表情と手元から滴る赤い汁が男たちを一瞬にして黙らせる。
「宿と言い切るにはそれだけでは足りないわ! そうでしょ? ミカちゃん、サンちゃん!」
「え? あ、そうだね。足りないね」
「確かに足りない」
「それはもちろん……」
「「「お風呂!」」」
ミカエラとサンドラがササッと近寄ってきて、カリーネを中心にババンとポーズを決める。隠れてこっそり練習していたのではないかとさえ思わせる、見事な対称性と完成度だった。男たちとミランダは絶句し、マリコの脳裏に「メイド戦隊なんとか」という言葉がよぎる。それぞれが手にしているのが包丁だったりタワシだったりするのがまたメイドらしいと言えなくもなかった。
「あ!」
天使が通った後、何か思い出したように上がったマリコの声に、ようやく動きを取り戻した皆の目が集まる。さっと手拭いを使ったマリコはそのまま作業台から離れると、かまどの脇の少し空いた場所へと歩いた。
そこで大きな分厚いレンガのような四角い塊を四つ取り出すと、それを正方形を描くように地面に並べる。次に、木でできた大きな箱を取り出して抱えた。それはマリコが辛うじて抱え切れる程度の大きさがあり、形はサイコロのようでほぼ立方体に近い。
「よいしょっと」
先に置いたレンガの上に箱の四隅が乗るように、そっと抱えていた木箱を下ろすとマリコはカリーネの方を振り返った。
「これを忘れるところでした」
「マリコさん……、それは、まさか……」
「はい、お風呂、湯船です」
マリコが答えた瞬間、カリーネたち三人はそちらに向かってダッシュした。
近付いてみるとそれは正に木製の湯船だった。四方は厚さ五センチほどの板で、当然上側は開いており、底板は鉄らしい黒っぽい金属製である。縦横高さ共一メートルよりは幾分短い。中を覗き込むと、底板の上に太く荒い目の格子状になった板がはまっているのが見えた。構造的には五右衛門風呂の沈めるフタを格子に変えて、湯船の底に固定した形である。
マリコにとって野外でお風呂と言えばドラム缶風呂だった。実際に入ったことはないが、それはかつて見聞きした覚えのある、テレビや話に出てくる定番である。帰ってくる度に風呂への執着を見せるカリーネたちと自分自身のために、マリコはそれがないだろうかと考えたのだった。
――それは個人宅用の湯船ではダメなのかね?
ドラム缶そのものは無いだろうが、それに近い物がないかと雑貨屋のダニーに尋ねたところ、返ってきた答えがこれだった。まさかの本物である。そこでマリコはタリアやサニアに聞いた話を思い出した。
(里の全員が宿のお風呂に入りに来るわけじゃないんでした。家にお風呂を作ったところも何軒かあるって言ってましたよね)
家を建てる時に風呂も構えるなら、家と一緒に作ればいい。しかし、既に建っている家に後から風呂を付けるなら? 湯船が単体で売られている理由は至極当然のものだった。そんなわけでマリコは、かつて祖母の家にあったような、足は伸ばせないが肩まで浸かれるサイズの湯船を買い求めたのである。
「バルト! 帰ったらうちでもこれ、一つ買うわよ! 最優先! 分かった!?」
「お、おう……」
「……そうよ。お風呂が無ければ、湯船を持っていけばいいんだわ!」
宿の大きな風呂を使うのが常だったバルトたちは、さすがにそれを持ち歩こうと考えたことはなかった。だが、流し台同様、この大きさで今のバルトたちなら仕舞うことが可能である。小型の湯船が雑貨屋で買えると知ったカリーネの剣幕にバルトはカクカクと頷くしかなかった。
「それでマリコさん、これどうするの? 沸かすの?」
「はい、水を張って下で火を焚けばいいんですが……」
本来なら、風呂釜を作ってその上に湯船を据える。しかし、風呂釜は作る場所の方に形や大きさを合わさなければならない。基本的に現場合わせ、現物合わせである。故に既製品というものが今のところ存在しない。マリコはそうした事情と注意点――周りの木の部分を焦がさない火の大きさにすることなど――をカリーネに話して聞かせた。
「……分かったわ。トーさん! トーさんはどこ!?」
聞き終えたカリーネはトルステンを呼んだ。幸か不幸か、見張り役を買って出ていたトルステンは近くにおらず、今の騒ぎを見ていなかったのだ。それでも声は聞こえたらしく、じきにやってきた。
「何かにぎやかだったけど、どうし……」
「ここに土系の魔法で風呂釜を作って! 今すぐ!」
「君が何を言っているのか分からないよ、カーさん……」
珍しく気合いが入った――入り過ぎた――様子で地面を指差すカリーネに、トルステンは目を白黒させた。茶色の髪が示す通り、トルステンは土系統の魔法が得意である。彼は地面を少し掘り下げて風呂釜を作った後、周りを目隠しの石の壁で囲う作業も命じられることになる。
宿の湯船を満たすことのできるマリコに、この湯船一杯分の水など大したことはない。トルステンとカリーネの夫婦漫才を眺めながら、先に沸かし始めておけば食事が終わる頃には十分入れるだろうなとマリコは思った。
お風呂を携行するマリコさん。
冒険が日常に侵食されて行く……(汗)。
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