300 変わり行くもの 10
服の裾をササッと払って直した女神は姿勢を正し、脚を横に流して膝の上に手を置いた。うつ伏せ寝が幸いしたのか、流れるような銀髪には寝癖ひとつなく、その髪の間からは大きめの耳がピンと立っている。
(シャンとすると一応それらしく見えるんですよねえ、不思議な事に)
結構失礼な事を考えた後、マリコは脇に避けた。確かに背筋を伸ばして座る今の女神は何となく神々しい雰囲気をまとっている。ただし、それも周囲に目を向けずに本人だけを見ればの話ではあるが。
「ミランダよ、よく参ったの」
「ははっ」
マリコが避けたことで直接相手が見えるようになった女神が早速声を掛けると、ミランダはその場に片膝を突いて頭を下げた。
「そのように畏まらずともよい。もっとこっちへ来るのじゃ。マリコよ、すまぬがイスを持ってきてくれぬかの」
「このままで」、「いいから座るのじゃ」というやりとりを経て、ミランダはマリコがベッド脇に置いたイスに腰を落ち着けると女神と向き合った。それでよいと頷いた女神におぬしも座れと言われたマリコは、もう一脚あるイスを取ってくると向かい合う一人と一柱を横から見る位置に陣取る。
「それでは早速じゃがミランダよ。おぬしとアドレーたちの件じゃったな」
(まさか全部スルーするつもりですか!?)
何事も無かったかのように話を始める女神に、マリコは内心の驚きをなんとか押し隠してわずかに目を見開くに留めた。女神の思惑は分からないものの、ここで口を出して台無しにするわけにもいかない。
「いや。……いえ、ご指導頂きたい事は確かにその通りでありますが、その前にお伺いしたき事が」
「何じゃ? 申してみるがよい」
「ここは一体何処でありましょうか? 先日マリコ殿に連れてきて頂いた場所とは随分と様子が異なるようですが」
ミランダの方はさすがにスルーというわけにはいかなかったようで、ある意味当然の疑問を口にする。問われた女神はというと、特に驚く様子もあせる様子も見せずにふむと頷く。
「ここかの。ここは言ってみればわしの私室じゃ。前回おぬしが見たのは玄関か前庭のようなものじゃと思えばよい」
「なんと、女神様の部屋だとおっしゃられるか!」
驚いたミランダは改めて首を巡らせて周りを見回した。「玄関」と同じ石の床に、巨大なベッドやテーブル、奥には流しらしき物も見える。後ろには扉のある壁が立ち上がっており、その向こうにはさらに部屋があるのだろう。そして、その壁とベッドの間は何故かロープで結ばれていた。視線を一巡させたミランダは女神へと向き直る。その顔には当惑したような表情が浮かんでいた。
「ここは、何と申せば良いのか……」
ミランダは言葉を探した。女神は玄関と表現したが、あれは神々に拝謁するための場所なのだろうとミランダには思える。石の床以外に何も無い場所だったが、否、何も無いが故に神秘的で、そこに現れた女神の神々しさと相まっていかにも「神の御座所」らしい雰囲気を漂わせていた。
この場所も、宙に浮いているとか屋根が無いといった、構造上普通でない点は多々ある。あるのだが、そこに置かれた家具などは至極普通――もちろん上質ではある――だった。「玄関」が幻想的だったのに対して、ここは妙に現実的なのだ。生活感があると言ってもいい。
(まるで、女神様が本当にここに住んでおられるかのようだ。……ん? 住む?)
ミランダは何となくそう考え、そこで自分が違和感を抱いていることに気が付いた。
――七柱の神々は世界をつくり、我らに命を与え、今もひっそり我らと共にあり、我らの移り変わりを興味深く眺めているという
そう神話にある通りミランダは教わり、特に深く考えることなくそれを受け入れて今日まできた。「ひっそり我らと共にあり」という表現が曖昧なこともあり、神という存在と「生活」や「住む」という行為が結びついていなかったのである。
しかし、同じ神話には命の女神が寝坊するくだりがある。寝坊するということは神も眠るということであり、それはどこかに寝る所があるということになるのではないか。
「女神様は本当にここで寝起きしておられるのですか!?」
神々に住み処があるというはっきりした話も、そこに招かれたなどという話も聞いた事が無い。違和感の正体に気が付いたミランダは改めて声を上げた。
「ん? そうじゃ。さっきもわしの私室じゃと言うたじゃろうが。もっとも、あちこちと出掛けることもあるからの、いつもここにおるというわけでもない」
女神は事も無げに答え、言われた方のミランダは何を思ったか目を伏せて黙り込んだ。
(ここにずっと引き籠ってるんじゃなかったんですか)
マリコが少々失礼なことを考えていると、ミランダがスッと立ち上がった。そのまま一歩脇にずれると、改めて床に膝を突いて顔を下げる。
「今さらではありますが、かような場所にお招き頂けた事、光栄の至りに存じます」
(え)
辛うじて声を出さずに済んだマリコはミランダに目を向けた。元々ミランダがそんなことをするとも思えないが、演技をしている様子もなく、本当に光栄に思っているように感じられる。少なくとも、微妙に所帯じみた女神の部屋を見て落胆しているようには見えない。
「何をまたいきなり畏まっておるのじゃ。光栄に思われるようなことなぞ、した覚えはないぞ」
「神々の住まいの、さらに奥へと招かれた話など聞いた事がございませぬ。この僥倖に気付くのが遅れた事、誠に申し訳なく」
(ああ、そういうことですか)
ミランダの言葉を聞いて、マリコはようやく認識の違いに思い至った。この部屋の掃除から始まったマリコにとってここは、観客に見せてはいけない舞台裏のようなものである。しかし、ミランダの立場からすれば、ここは一般人が見ることの叶わぬ、神殿の奥の院のようなものなのだろう。
「しかし、私なぞを何故ここまで」
再度女神に畏まらずに普通に座れと言われてイスに座り直したミランダが疑問を口にする。ミランダにしてみれば、今の女神との関係はマリコの秘密を偶然盗み見てしまった結果に過ぎない。「厚遇」される理由が分からないのである。
問われた女神はふむと頷いた後、真っ直ぐにミランダを見返した。
「おぬしのメニューのフレンド欄には、誰の名があるのじゃ」
「メニュー……、はい。それはもちろん、女神様とマリコ殿の名が」
いきなり加護の話になって目を瞬かせたミランダが答えると、女神は少し恥ずかしそうに視線をミランダからそらしながら言う。
「友を自室に招くというのは、そんなにおかしなことかの?」
「友!!」
女神の投げた思いがけない爆弾に、ミランダは感動のメーターを振り切って硬直した。そのまま崩れ落ちかかるのをマリコがあわてて支える。
「言っておくが、今考えたわけではないぞ。元々、いずれこちら側に招こうとは思っておったからの。まあ、少々予定より早まったのは事実じゃが」
非難めいた目を向けてくるマリコに、女神は小声でそうつぶやいた。
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