299 変わり行くもの 9
出掛ける準備は一応できたということで、マリコとミランダは夕食時には食堂の業務へと復帰した。マリコが厨房から見た限り、アドレーたちを追って魔物がこの里まで来るかもしれない、という状況の割には食堂の雰囲気はいつもとあまり変わらない。バルトたちとアドレーたちは同じ席に着いており、里の者たちに囲まれながらも明日以降の打ち合わせをしているようである。
「アドレーたちが戻って半日だからね。もし本当に追いかけて来てたんなら、さすがにもう追いついてないとおかしいさね」
「ああ、タリアさん」
疑問が顔に出ていたマリコに、様子見がてら厨房に顔を出していたタリアが言う。アドレーたちが抜け出したという洞窟内の壁を破るのに手間取っているのか、そもそも追いかけてきてなどいないのか。
「魔物がどう動くかなんて分からないから油断はできないがね。ただ、もしやってきたとしても今なら何とかなりそうだろう?」
「そうですね」
そう言ってバルトたちの方に目をやるタリアにマリコは頷いた。無傷でとは行かなかったにせよ、同じと思われる魔物を倒した組が戻っているのだ。それ以外にもタリアやマリコを始めとして戦える者が揃っている。里の中にいる分には不安に駆られる必要もないということだろう。
「だからその分、岩の魔物がまだ洞窟にいる可能性は高いってこった。気をつけて行っといで」
念のためにマリコたちが戻るまでは西側の見張りは厚くしたままにすると言い置いて、タリアは執務室へと戻って行った。
◇
宿の業務が終わって入浴も済ませたマリコとミランダは、寝巻きではなく再びメイド服姿となってマリコの部屋にいた。もちろん女神の下に向かうためであり、風呂上がりの一杯も飲んでいないので二人とも素面である。
「さて、では参りましょうか」
ミランダがそう言って差し出されたマリコの手を取ると、マリコはミランダと繋いだのとは反対の手でメニューを開いた。アゴに手を当てたように見えたのは実際には首のチョーカーに触れているのだと、今のミランダは知っている。
「行きますね」
「お願い致す」
ミランダと視線を交し合ったマリコは移動コマンドの最後の選択肢「はい」に触れる。途端に景色が一変した。
そこは真っ暗な闇に浮かぶ、石でできた四角いステージ。
「おぉ……お、おぉ?」
「え、ちょっ!?」
ミランダの感嘆は途中から困惑したものに変わり、マリコも思わず驚きの声を上げる。
(なんでこっち側に出てるんですか!)
一部からは壁が立ち上がり、少し前には巨大な白い天蓋付きのベッドとその奥に見える机やイス。天頂に輝く満月に明るく照らし出されたそこは、紛れもない女神の部屋である。マリコがベッドに横たわる女神に気付くのと同時にミランダも我に返った。
「マリコ殿、ここは一体……。あ、あれはもしや女神様か!?」
「ちょ、ちょっと待って、待ってください。そこを動かないで! いいですね」
「あ、ああ。承知した」
危機感をはらんだマリコの様子に、ミランダも表情を改めて頷いた。マリコはミランダにもう一度その場を動かないよう念を押すと女神に近付いていく。自分の身体で女神へのミランダの視線をなるべく遮るようにすることも忘れなかった。
天蓋が銀色になっていなかった時点でもしやと思っていたが、うつ伏せになった女神の手にはやはり本が握られていた。ほぼ間違いなく寝落ちである。顔を動かさずに素早く視線を走らせた結果、食器やゴミは落ちておらず、ロープこそ張られているものの洗濯物は掛かっていなかった。せめてもの救いである。
「……防音」
少し考えた後、マリコはミランダと自分たちの間に音の結界を張る。いかに小声で話そうと、ミランダの耳には聞こえてしまうだろう。今から女神とするであろう会話を聞かれるわけにはいかなかった。ミランダにどう釈明するかは女神に考えてもらうしかない。
マリコはベッドの上に片膝を乗り上げた。そうしないと真ん中で眠る女神に手が届かないのである。手を伸ばして女神の肩を揺すった。
「女神様、起きてください。女神様」
「んん……、お? おお、おぬしか……」
じきに女神のまぶたが持ち上がり、首を巡らせてマリコを見た。しかし、その目がくわっと見開かれる。マリコがいるということで状況に気が付いたのだろう。マリコは手を上げて、次の声を上げようとする女神を制した。
「私の後ろにミランダさんがいて、防音で音だけは防いでいます。とりあえず、その本を仕舞ってください」
マリコは早口で急ぐ要件だけを口にする。女神は無言のままコクコクと頷くと、手にしていたものと枕元にあった数冊の本を消した。今日の物がどんな内容なのかはマリコも知らないが、わざわざミランダに見つけられなくてもいいだろう。
「私からのメッセージは見たんですよね」
「ああ、見た。それで、いや、まだ時間があったのでの、その間に今日の分を読んでおこうと、思うて……の」
女神の言葉は段々と尻すぼみになっていく。確かにマリコがメッセージを送ったのは数時間は前である。前と同じなら女神の間のセッティングは数分で終わるはずだった。
「どうして先に準備しておかなかったんですか」
「どうしてじゃと? おぬしも見たなら知っておろう。あの状態じゃとこちらに太陽が来るじゃろうが」
「それがどうしたんですか」
「眩し過ぎて本を読むには向かんのじゃ!」
「……ああ」
マリコは思わず納得しそうになった。大気の層が無いからか、太陽の光がやけに眩しかったのは事実なのである。しかし、すぐに我に返った。
「だからって、寝落ちしてたんじゃ意味ないでしょう!」
「うぬっ」
「とにかく、そこにもうミランダさんが来ちゃってるんですから。何て説明するかは考えてくださいよ!」
さすがにこの状況はマリコにもどうフォローすればいいのか分からない。
「う、分かった。少し待つのじゃ」
女神は一瞬顔を引きつらせたものの、考え込むように額に手を当てた。程なくその手を下ろすと顔を上げる。その顔は前回ミランダと相対した時と同じ雰囲気を――少なくとも表面上は――取り戻していた。
「もう防音を解いてよいぞ」
マリコに向かってそう言うと、女神はベッドの上に起き上がって座りなおした。
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