030 寝起き 3
その後サニアは、この部屋や厨房や住人用の手洗いの場所など、この建物の簡単な説明をしていった。上から見るとロの字型をした建物の、正面の入り口とは反対の奥の辺にマリコの部屋はあり、隣はミランダの部屋だった。
「じゃあ、準備ができたら厨房に顔を出してくれる? 女将も多分いると思うから」
「おねえちゃん、また後でね」
「はい、では後ほど」
一通り説明が終わって、二人は扉に向かった。アリアが先に部屋を出て行った後、続いて出て行きかけたサニアは、扉の所で立ち止まるとくるりと振り返った。顔に悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。
「そういえば、あなたを着替えさせてる時、ミランダが「何を食べたらこんな風になれるんだ」って言ってたわよ。私も、ちょっとうらやましかったかしら」
「なっ!?」
その手の話が全く出なかったのですっかり油断していたマリコは、思いがけない言葉に反射的に自分の身体を抱きしめて硬直した。
「じゃあ、後でね」
そう言うとサニアはさっさと部屋を出て行った。固まったマリコを置き去りにして、扉がパタンと閉まった。
(ううう、しっかり見られていたのか……)
閉まった扉を見つめながら、何とも言えないいたたまれなさに、しばらくマリコは一人唸った。
「はあ、今さらどうしようもないか。顔洗おう」
マリコは首を振ってため息をつくと、机の上の桶の水に手を浸した。水を掬って顔を洗うと、水の冷たさに頭が少しスッキリしていくような気がする。洗っている途中、いつもの朝なら感じるはずの、口元やあごのザラつきがないことにマリコは気が付いた。
(ああ、これは髭が無いのか。顔の形自体もやっぱり違う感じだし、本当に元の身体じゃなくなってるな。でも毎朝髭剃りしなくていいのは楽か。いや、女の人も産毛とか剃ってた気がするな。こっちだとどうなんだろう。タリアさんにでも聞いておいた方がいいのか? 気をつけてないと、またいろいろやらかしそうな気がするからな)
桶の横に置いてあった手ぬぐいで顔を拭きながら、マリコは昨日の数時間のうちにやらかした事を思い出してまたため息をついた。
(また人前でグーグー鳴られても困るし、折角持ってきてくれたんだ。ごはんごはん)
何とか気を取り直したマリコは、サニアが置いていってくれたポットの中身をカップに注いだ。暖かな湯気を上げるそれは昨日飲んだものと同じお茶だった。
「いただきます」
椅子に座って手を合わせる。サンドイッチは昨日アリアとカミルが食べていた物と同じ丸いパンのスライスに、レタスと炒めたベーコンらしき肉を挟んだものだった。半分に切られて半円形のそれに、マリコはかぶりついた。
(ふむ、パンは小麦粉とイーストを使った普通のパンだな。日本のやつほどフワフワじゃないけど、これはこれでおいしい。挟まってる肉は昨日の昼ごはんに出てきた肉と同じものみたいだな。豚肉っぽいけど、ちょっとクセがある。猪ほどじゃないから猪豚みたいなのがいるんだろうか。カミルの牧場にそれらしいのは見えなかったけど、豚は放牧はしないよなあ)
マリコはまた昨日のように、今食べている物について考え考え食べていった。つまり、昨日と同じようにとても幸せそうな笑みを浮かべて食べている。もし今この部屋に誰かが居たなら、時折足先をパタパタさせながらサンドイッチをほお張るマリコの姿を見ることができただろう。
◇
「ごちそうさまでした」
(今のところ、食べ物に関しては日本と特にかけ離れてる感じはしないな。ごはんもパンもあるっていう和洋折衷な感じは、むしろ日本っぽいか。調味料に何があるのかとかがよく分からないけど、調理自体を全部魔法でやってますなんてことでもなければ、厨房に手伝いに行ってもなんとかなるかな)
食べ終わったマリコは、手を合わせながらそう思った。先ほどサニアに手伝いを申し出ることができた理由がこれである。家事に関する基本的な事は祖母に叩き込まれており、一人暮らしの時期もそれなりに長かったので、家庭料理レベルの調理ならマリコにもそれなりにできる。材料や調理方法が似たようなものなら、手伝う分には特に問題はなさそうだった。
(次は……)
マリコは立ち上がると押入れの前まで行き、左側の襖をガラリと開けた。中は襖一枚と同じ位の高さと幅、奥行きを持つ空間だった。高めの位置に横棒が設けられており、サニアの言ったとおり、ハンガーに掛けられたメイド服とエプロンがぶら下がっていた。試しに反対側を開けてみると、こちらには横棒が無く、代わりに真ん中で区切られて上下二段になっている。荷物は何も入っていなかった。
(半分クローゼットで半分押入れなのか、これは。まあ、今はそんなことはいい。問題はこっちだ)
マリコは左側を開け直すと、ハンガーからメイド服とエプロンをはずして引っ張り出した。メイド服と一緒に、襟に結ぶ赤いリボンも掛かっていたので、それも取って全てをベッドの上に並べた。
(問題は、これを今から、私が着なければならない、ということなんだが)
マリコは腕を組み――胸を下から掬い上げるようにしないと組めなかった――やや険しい目つきでメイド服を見た。
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