295 変わり行くもの 5
「ただいま戻りました」
マリコにも聞き覚えのある女の人の落ち着いた声が応え、食堂内にまたざわめきとおかえりの声が広がる。固まっていたミランダはハッと我に返るとマリコに向かってパタパタと両手を振った。
「と、とりあえずこの話はまた後でだ。マリコ殿」
「ええ」
もし邪魔が入らなかったとしても、加護だメニューだという話を厨房であまり大っぴらに続けるわけにもいかない。あわてて話を打ち切ったミランダに頷き返すとマリコは戸口へと目を向けた。
「あれ?」
声の主はもちろんマリコの記憶通りカリーネで、背中まである緑の髪はいつものように首の後ろで束ねられている。しかし、その服装はマリコの予想とは少々違い、いつもの革鎧ではなくマリコから譲られたメイド服を身に着けていた。先ほど食堂で上がった声には、この姿に対する驚きも含まれていたようである。
「あー、今回は特に疲れたー」
「ボクもー」
カリーネに続いて入ってきた赤いウルフカットのミカエラと青の姫カットのサンドラもメイド服姿――この二人はショートタイプ――だった。食堂から上がる歓迎の声がカリーネの時より大きいのは二人分だからか、それともそのスカートの短さ故か。
(確か、ミニスカートが恥ずかしいから里の外で着替えるって言ってたはずなのに)
そう思いながら見ていたマリコは気が付いた。三人が着ている黒いメイド服やその上の白いエプロンには、大きな破れ目こそ無いもののほつれや小さな裂け目が各所にできている。金属鎧並みの丈夫さを誇るマリコ謹製のメイド服がそんな状態になるなど、一体何と戦ってきたのか。第一、身体の方は無事なのか。マリコはカウンターの脇からフロアへ出ると三人に走り寄った。
「ああ、マリコさん、ただいま」
「おかえりなさい……、ってそれどころじゃありませんよ! 皆さん、怪我は、身体は大丈夫なんですか!?」
のんきそうに言ってくるカリーネの言葉を遮るようにマリコは聞いた。近付いてみると、多分浄化を使ったのだろう、汚れてこそ付いていないものの、やはり三人の服には明らかに戦いの痕跡が残っている。
「ええと、私たちは大丈夫。治癒も使ったから傷は残っていないわ」
カリーネはマリコにそう答えると、何か意味有り気に後ろを振り返る。三人のすぐ後ろ、戸口の外にはバルトとトルステンが立っていた。二人とも革鎧に革手袋、革ブーツといういつもの姿ではあるものの、武器の類は仕舞ってあるようで手ぶらである。
「あ、バルトさん、にトルステンさ……」
二人の姿を認めたマリコはそこで目を見開いて言葉を失った。彼らの革鎧はカリーネたちのメイド服以上にあちこちと裂けたり破れたりと傷だらけになっていたのである。先日のボスオオカミと戦った後よりひどい。
「な、何をやったんですか、一体!?」
「え、ええとだな……」
「ちょっと待った待った、二人とも」
硬直から復帰して詰め寄るマリコとタジタジになりながらも答えようとするバルトに、トルステンがストップを掛けた。マリコの視線を受け止めた後、ひょいと肩をすくめて宿の中を示すように首を巡らせる。
「今ここで始めても困るんじゃないかな?」
「あ」
振り返ったマリコは宿中の注目を集めていることに気が付いた。このメンバーが宿の出入口を挟むように固まって騒いでいるのだ。目立たないはずがなかった。それに第一、バルトたちはタリアに事情を報告しなければならない。今聞き出しても二度手間になるというのは先ほどのアドレーたちの時と同じである。その時にはミランダを止めた自分が今度は止められる方になっていることに思い当たって、マリコは顔に熱が上がるのを感じた。
「と、とりあえず中へ」
立ち塞がる形になっていたマリコが急いで脇へ避け、バルトとトルステンはようやく宿に足を踏み入れる。目の前を通り過ぎる二人に、マリコはふとすっかり忘れていた事を思い出した。すぐさまそれを口にする。
「おかえりなさい、二人とも」
「あっ、ただいま、マ、マリコ、さん」
「はい、ただいま戻りましたよ」
バルトはわずかに目を泳がせて手袋のはまった手で頬を掻きながら、トルステンはそんなバルトに何か言いたげな目をちらりと向けてから、それぞれ帰還の挨拶を返した。
ミランダがタリアを呼びに走り、バルトたちはいつものように食堂に陣取る。いつもと違うのはカリーネたちで、何故か風呂に直行せずに一緒に席に着いていた。じきにタリアが現れて報告が始まった。
◇
洞窟の奥深さもあり、報告には結構な時間が掛かった。カリーネたちが残った理由のひとつがそれで、バルトたち二人だけでは伝えきれなかったのである。マリコは厨房で包丁を使いながらそれを聞いていた。
カリーネたちがメイド服を着て戻ってきた理由も知ることができた。洞窟内のひんやりした温度と水気の多さから、始め彼女たちは革鎧を着けていたらしい。行きの道程での魔物たちとの戦いでそれが損傷したため、途中でメイド服に着替えたのだそうだ。裂け目の入ってしまった革鎧は、今着るとかなり際どい姿になってしまうという。本人たちの身体の心配をしながらも、マリコはついその姿を想像してしまった。
(いや、中身はお風呂で何度も見てるんですけどね……)
全裸とセクシーコスチュームは別腹のようである。
「……ではその、あんたたちの言うゴーレム? とアドレーたちが戦った岩の魔物とは同じ種類の魔物のようだね」
「姿や特徴を聞く限り、どうもそのようですね」
タリアの言葉にバルトが答え、その隣に座ったアドレーも頷いた。自分たちの報告の後、風呂に向かったアドレーは普段着に着替えてこざっぱりしている。ただし、その髪や猫耳はまだ湿っていて少し重そうだ。風呂から上がってまだ脱衣所にいたところを連れて来られたので無理もない。バルトたちの話がゴーレムに及んだところで同じ魔物ではないかという話になり、確認のために呼び出されたのである。
「ならやっぱり、西の洞窟にはあんたたちに行ってもらうのが良さそうだね」
「それはもちろん構わないんですが……」
バルトたちの装備類の損傷である。カリーネたちのメイド服はマリコが何とかできる、というより、今のこの里では材料の点で恐らくマリコしか直せない。これはマリコが一も二もなく引き受けた。革鎧もある程度は何とかなるが問題は五人分という数である。
「ケーラとダニー、だけじゃ厳しそうだね」
アゴに手を当てながらタリアが言う。ケーラは服屋、ダニーは雑貨屋の主人でそれぞれある程度心得がある。タリアはさらにエイブラムに目を向けた。
「あんたのとこに頼めるかい?」
「担当の者を回しましょう。ブランディーヌ君」
「分かりましたー。話してきます」
さらに話を振られたブランディーヌはさっさと席を立った。増員されたメンバーの中にそういう担当もいるらしい。バルトたちの問題はあっと言う間に目途が立ってしまった。
「じゃあ、頼んだよ」
「……分かりました」
軽く片目を閉じてみせるタリアに、バルトは少し呆れた顔をした後で頷き返した。
「とりあえず、ここまでかい?」
「報告は以上です」
「……が、最後に一つ」
タリアに答えたバルトのセリフを引き継ぐようにトルステンが続ける。
「マリコさん、お願いします」
「え? 私ですか」
怪我人はもういないはずである。そう思って首をかしげるマリコの前に、一人の男がトルステンたち四人の手で押し出されて来た。バツの悪そうな顔をしたバルトである。
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