292 変わり行くもの 2
(今の声はイゴールさんですよね。アドレーさん、どうしたんでしょう)
いつもならアドレーの仰々しい物言いが響き渡るはずである。しかし、聞こえてきたのは主にその補佐を勤めている男のやや硬い声。マリコがカウンターの陰で一緒にしゃがみ込んでメニューを広げていたミランダに顔を向けると、ミランダは少し不安そうな表情で首をかしげた。
見てみないことには分からないと、マリコは腰を上げた。何にせよ、カウンターの内側に二人しかいないのに、その二人が隠れていたのでは話にならない。探検者としての報告はサニアなりタリアなりを呼んでからになるが、先にすべきことがある。
「おかえりなさい、皆さん。……あれ?」
立ち上がってカウンターに近付いたマリコは戻って来た一行を迎え、同時にイゴールの陰に隠れるように立っているアドレーに気が付いた。随分と気落ちした様子で顔を俯かせている。残る三人は何とも言えない微妙な表情を貼り付けて後ろに控えていた。その雰囲気はこの五人組にしては珍しい。
「ああ、マリコ様、ちょうど良かった。……っと。改めまして、アドレー組、只今戻りました」
「ええと、皆さんご無事……ですよね? それとも何かありましたか?」
一見した限りでは怪我人がいるようには見えなかったが、いつもと違う空気を纏う彼らにマリコは疑問を口にする。
「あー、その事なんですが実は……、あっ、ミランダ姫様!」
何か言い掛けたイゴールは、メニューを閉じていた分遅れて出てきたミランダを見て一度言葉を切った。しかし、途切れた言葉の続きは発せられず、ミランダに向けられたイゴールの目が丸く見開かれる。そして、その口からは全く別の言葉が飛び出した。
「ひ、姫様、その髪は一体いかがなされましたか!?」
「何っ!?」
驚くイゴールの声に一番に反応したのはアドレーだった。イゴールの陰から横に飛び出すと、顔を上げてミランダに目を向ける。すぐにその目がイゴールと同じ形を取った。見事な赤トラだったはずのミランダの髪は銀色に近付き、今の時点では縞の入った淡い金髪のように見える。それをいきなり目にして驚くなと言う方が無理な話だろう。
「あっ!」
「アドレー、貴殿は……!?」
一方、マリコとミランダも驚きの声を上げていた。イゴールの後ろから出たことで、隠されていたアドレーの姿も明らかになったのだ。無意識なのだろう、腰の後ろで一振りされたしっぽが明らかに短くなっている。それに気付いたアドレーは急いでしっぽを自らの脚の後ろ側に沿わせるように垂らしてマリコたちの視界から遠ざけた。
「何があった!? 他に怪我は!? 身体の方は大事ないのか!?」
「姫様こそ、その髪は!? 何があったというのですか!?」
珍しくあせったように問いを重ねるミランダにアドレーも負けじと言い返す。やいのやいのと言い合いになりかけたところで、他の者たちと一緒に成り行きを見守りかけていたマリコはハッと我に返った。
「二人とも、待った待った!」
隣に立つミランダを抱きかかえるようにしてカウンターから引き離すと、その間に身体を滑り込ませた。そのままアドレーに顔を向ける。
「アドレーさん、怪我は、今は痛みはないんですか」
「え、はい。傷自体はポーションで癒えておりますから」
「どこで、何にやられたんですか、それは」
「洞窟が深くなっておりまして、そこで岩の魔物に」
とりあえず最低限のことを聞いて、即座に治癒が必要な状態ではないことを確認したマリコはアドレーに向かって頷くと、今度はミランダに向き直った。
「ミランダさんはタリアさんを呼んできてください。これはまずタリアさんに聞いてもらわないといけません」
「あ、ああ、そうであったな。ふう、承知した」
帰還した探検者の報告は、里長またはそれに準じる者に対して行われるのが普通である。今ここで話を進めても二度手間になりかねないし、すぐに対応しなければならない場合も有り得る。マリコに言われてそれに気付いたミランダは頷いて踵を返した。厨房の奥の扉からミランダが出て行くのを見送って、マリコはアドレーを方を向くとちょいちょいと手招きして五人をカウンター前に呼ぶ。
「ミランダさんの髪の件もタリアさんが来てから、ということでいいですか。神様に係わる話なので」
声を落として言うマリコに五人は目を見開き、互いに顔を見合わせあってから神妙に頷いた。加護の件に関しては口裏を合わせてある部分もあるので、さっきの勢いでミランダとだけ話をされるとどこかでボロが出かねない。タリアから話してもらうか、改めて場を設ける方がいいだろうとマリコは思った。
◇
程なくサニアを伴ったタリアが現れ、食堂の一角で報告会が行われた。
「あの洞窟にまだ奥があったのかい。それはまあいいんだけど、問題はその岩の魔物だね」
魔物は基本的にその住みかからは出てこないとされている。しかし、これにはいくつかの例外があり、全ての魔物が出てこないわけではない。その一つが「戦闘状態に入ってから逃げた」時で、この場合には自分を攻撃した者を追って外まで出てくる可能性がある。
今回の場合だと途中に岩の魔物が通り抜けられない所があるが、時間を掛けてそれを突破してくる恐れが全くないわけではない。魔物が攻撃者をどこまで追えるのかは未知数だが、最悪の場合はこの里までやってきてしまう可能性まであるのだ。アドレーたちとて決して弱いわけではない。それが勝てなかった相手では、普通の里の人たちではどうしようもないだろう。
「確かめに行かないわけにもいくまいねえ」
タリアはそう言ってふうとため息を吐いた。
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。




