291 変わり行くもの 1
「うわっ! 何事だ!?」
ジャガイモの皮をむいていたミランダが、突然驚いた声を上げた。隣で鶏肉に包丁を入れていたマリコはギョッとして手を止め、そちらに振り返る。
「どこか切ったんですか!?」
しかし、ミランダの右手には包丁が握られているものの、むき終えたイモをボウルに置いたところだったらしく左手は下ろされており、包丁で手を切ったわけではなさそうである。キョロキョロと辺りを見回していたミランダが、首をひねりながらマリコの方を向いた。
「いや、今の光と音は一体……」
「光と音?」
「あれに気付かなかったと申されるか、マリコ殿」
今は昼前で、晴れている今日は明り取りの窓も開けられていて特に暗くはない。食堂も場所によっては直接日の光が差し込んでいる。また、二人がいる厨房もカウンター越しに見える食堂も全くの無音というわけではなかった。自分たちの作業の音や食堂でお茶をしている人たちの話声は聞こえている。だが、今さらそれらに驚くミランダではないだろう。ミランダの言っていることが理解できず、今度はマリコが首をひねる。
「いえ、特に変わった事は私には何も……。どんな光と音だったんですか?」
「己の身体が一瞬光を放ったように見えて、同時に音がしたのだ。音の方はベルを振った時のような、とでも言えばよいのだろうか。高く澄んだ音であった」
「それは……」
マリコにはミランダが光ったようには見えなかったし、そんな音が聞こえた覚えもない。しかし、その現象には心当たりがあった。マリコはそっと周りに視線を走らせる。
ミランダの調理スキルの修行だからとサニアに断って早めに入ったので、今厨房には自分とミランダしかいない。食堂から見えないわけではないが、カウンターがあるので見えているのは上半身だけである。マリコはミランダをうながしてその場にしゃがみ込むと声を潜めた。
「メニューを開いてみてください」
「メニュー? では、今の光と音は……」
「はい」
メニューと聞いた時点でミランダも声を潜め、マリコはそれに頷き返す。他者には見えない光と聞こえないチャイム。今やっている下ごしらえで経験値が入ってラインを越えたのだろう。それを知らせる合図は、本人にしか分からない。ミランダはレベルアップしたのだ。
◇
ミランダの件でタリアと話し合ってから三日が経っている。この間にミランダは習得条件の整ったスキルをさらにいくつか手に入れた。既に取っていたものも含めて修練を続け、スキルレベルが上がったものもある。特に斧と槍、それに調理は低レベル帯であったために修練のハードルが低く、実用レベルに近付きつつあった。
スキル一つ一つのステータス上昇は大した事はないが、これだけ複数同時に上がると本人にも自覚できるほどの変化となる。朝練に復帰したマリコとの手合せでそれを実感したミランダはさらにやる気を出していた。
また、タリアの話通りミランダの外見の変化は続き、今や髪の色は誰の目にも明らかなほど薄まって、次第に銀色がかってきていた。例えるなら、黒猫がブリティッシュショートヘアかロシアンブルーになったような色の変化である。同時に、瞳の色も元の茶色から金色へと徐々に近付いていた。
それはもちろん神格研究会の面々の知るところとなり、予想通りミランダはブランディーヌの突撃取材を受けた。もっとも、タリアやマリコたちがいろいろと根回しや入れ知恵をした結果、ブランディーヌが手にした情報はマリコの時のものとさほど変わらないものになった。
「うーん。また風と月の女神様ですかあ……。いえ、今回は加護を与えた神様と受けた人の変化が一致してるので、正しいと言えば正しくはあるんですが……」
特に目新しい情報が得られず、少し残念そうなブランディーヌではあったが、対象が増えた事自体は歓迎していた。今後も何かあれば知らせるということで、今のところはおとなしくしていてくれそうである。
一方、マリコもミランダに付き合っていただけではない。買物に出掛けて紐パンのバリエーションを増やしたり、欲しい物の注文を出したり、タリアに中庭作業場への屋根設置を具申したりと、ようやく自発的な行動が取れるようになってきた。ナザールの里での生活にそれだけ馴染んできたということであろう。
宿屋の方にも若干変化があった。かねてからタリアとエイブラムが手配していた増員計画。その第一陣として、数名が到着したのである。彼女たちはしばらくの間は客室に部屋を取って一通り仕事をし、宿の住み込みとなるか神格研究会の方へ行くかに分かれることになっている。マリコに宿でも後輩ができることになる。
そんな中、開け放たれたままになっている宿屋の戸口に人影が現れた。影の数は五つ。外の方が明るいのでシルエットになって顔ははっきりとは見えない。しかし、頭上に二つの三角が飛び出したシルエットを持つ五人組など、この里には一組しかいない。
「アドレー組、只今戻りました」
しかし、響いた声はアドレーのものではなかった。
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