290 洞窟にて 2
「行ったぞ、エゴン!」
「うおっ!」
唸りを上げて迫り来る岩の拳を前に、大盾を構えていたエゴンはグレーの毛並みを揺らして横っ飛びに避けた。ガリッと大盾を掠めた拳が広間の床に叩き付けられ、硬い岩であるはずのそこに亀裂を入れる。
「これ受けるの、無理。死ぬ」
大盾ごと転がったエゴンは、大柄な身体の割りに滑らかな動きでそのまま一回転してスタッと立ち上がると、そうポツリと口にした。それを耳にしたアドレーは眉間にシワを寄せて悔しげな表情を見せる。舌打ちをするのだけはなんとかこらえた。
「仕方ない。さっきの穴から向こうに戻れば、さすがにこいつも付いてこれまい。皆、撤退するぞ!」
「賛成ですね! これは我々の手に余ります!」
アドレーの撤退宣言を聞いたイゴールが、丸い盾を握り直しながらシャム猫のしっぽをゆらりと一振りしてそれを支持する。この二人の意見が一致した以上、組としての方針はほぼ決まりだった。
ただし、決めることと実行することはまた別の問題である。アドレーとイゴールは今、この岩の魔物を挟んで反対側にいた。他の三人も各方向に分かれている。取り囲んでいると言えば聞こえはいいが、いきなり動き出したこれに散開させられたという方が正しい。
「逃げるのはいいんですが、こいつがおとなしく逃がしてくれますかね?」
「それは、こうするっ! 火矢!」
構えた槍の先で魔物をチョイチョイと指しながら言うウーゴの声に、アドレーは返事と共に即座に行動に出た。大きく後ろに飛び下がりながら右手を刀から放して魔法を撃ち込んだのである。それは岩でできた魔物の身体の表面で弾け、わずかな焦げ跡を残しただけだった。しかし、攻撃を受けたことは分かったのだろう。魔物はアドレーの方に向き直る。
「あなたはまた勝手にそのような!」
「避けるだけなら何とかなる!」
イゴールの抗議をさらりと流してアドレーはさらに下がった。人型と言えなくもない大きな岩の魔物は、岩の連なったその手足を振り回してくる。まともに当たればペシャンコだろうが、幸いなことに動く速度は大したことがなかった。距離を取ったアドレーは広間の奥へと回りこみ、魔物をそちらへ誘導するつもりのようである。
「……仕方ありません。ウーゴ、オベド、穴の向こうまで後退! エゴンは二人の背中を守って、その後に続きなさい!」
アドレーを追って動き始めた魔物の後ろで三人が動き始めるのを見届けたイゴールは、アドレーを援護すべく魔物の側面に回りこんで行った。
◇
数日前、アドレーたちは麦刈り後の見回りから戻った。しかし、アドレーにとって肝心のミランダは何事かに気を取られている様子で、ろくに相手をしてもらえなかったのである。そんな時、バルトの組が東一号洞窟の探索に向かったという話を聞いた。
話に聞く東一号ほど深くはないが、自分たちの担当区域にも二つの洞窟がある。大したものではないとされているからこそ、このところ様子を見に行くこともしていなかった。アドレーの気晴らしというわけでもないが、いい機会だから自分たちも洞窟を確認しておくかということになるのに大して時間は掛からなかった。
里からさして離れていない西一号洞窟は何も変わっていなかった。元々は熊か何かが掘った巣穴らしく、そこに雨が流れ込んで広がったもののようである。人がようやく通れるくらいの穴を数メートル進んで一度曲がるとそこで行き止まり。洞窟と呼んでいいのかどうかもよく分からない代物だった。
時折現れる茶色オオカミを難なく退けながら一日進んで、次は西二号洞窟である。こちらは崖下に口を開けており、岩の割れ目のような入口から少し入ると途中から鍾乳洞のような内壁になる。一本道とは言え、天井から水が垂れる石のトンネルがグネグネと数十メートル続き、何かあるのかと期待が高まったところで広くなったところへ出るのだが、そこで終わりだった。その広場の隅に大きな水たまりと呼んだ方が良さそうな池はあるがそれだけである。
否、以前はそれだけだった。
「あれえ? これ、スライムになってない?」
一応、異変がないか手分けして調べようと分かれてすぐに、池を覗き込んだオベドが声を上げる。曲がりくねった洞窟では使い物にならないので、いつもの弓は仕舞ってオベドは短めの刀を手にしていた。その鞘に点された灯りで照らし出された池の中央付近には、確かに核のような物が沈んでいるのが見える。ただし、数は一つだけだ。アドレーは腕を組んで考えた。
スライムの体液にはそれなりの値が付き、バルトたちが東一号洞窟で狩っているという話は聞いていた。しかし、今の自分たちはこれを安全に狩る方法も知らなければ、体液を持ち帰るための樽の準備もない。迂闊に手を出して装備を溶かされた挙句、持ち帰れるのが今手元にある入浴用の桶一杯では赤字もいいところである。結論は自ずと明らかだった。
「今どうこうするわけにもいかないな。池にはまって装備を溶かされないよう注意!」
報告だけ持ち帰ることにした一行は、じきに次の変化を発見する。以前から割れ目の多かった広場の奥の壁の一部が崩れて、奥に続く道が見えていた。どうする? という話にはなったものの、ここでしっぽを巻いて帰ったのでは探検者の名折れである。できる範囲で調べてみようということになった。
先ほどの広場までのような、滑らかな石のトンネルがしばらく続き、最後に穴の開いた分厚い壁に突き当たった。壁全体が鍾乳石で、人がなんとかくぐり抜けられるくらいのその穴は後から開いたものではなく、育っていく鍾乳石によって塞がりつつあるもののようである。このまま何百年か何千年か後には全体が壁になるのだろう。
その穴の中に灯りを放って覗き込むと、そこはさっきの広場よりずっと広い、広間とでも呼べそうな天井の高い平坦な空間だった。たくさんの岩がゴロゴロと転がっている他には特に何も見えず、さらに奥がどうなっているのかまでは見通せない。
行ける所までは行ってみるかと順に穴をくぐり抜けた一行が広間の中央辺りまで来たところで、岩の群れが動き出したのである。
◇
二人で交互にちょっかいを出すことで何とか時間を稼いだアドレーとイゴールは、他の三人が穴の向こうへ抜けたことを認めると自分たちも逃げ出すことにした。幸い岩の魔物を広間の奥側へ誘い込めたので、後は走って逃げるだけである。追いつかれる前に十分穴を抜けられるだろう。
「同時に行くぞ! ……三、二、一、今!」
「おう!」
アドレーの掛け声と共に、二人はそれぞれ右と左に駆け出した。正面と右、両方同時に動かれた魔物は、一瞬迷ったような様子を見せる。その隙を逃さず、二人は魔物を置き去りにしてその両側を駆け抜けた。
魔物のさらに奥側にいたアドレーと脇にいたイゴール。単純な距離の差の問題でイゴールが先行する。縦に並んで走るその二人の横で、いきなりズドンと衝撃が走った。アドレーが目を向けると、自分の胴体ほどある岩がゴロンゴロンと転がっていく。
「あいつ、怒って身体の一部を飛ばしてきやがった!」
「急ぎましょう!」
先に着いたイゴールが頭から飛び込むように穴を抜けて振り返る。
「アドレー! 急い……避けて!」
イゴールの叫びに、アドレーは何も考えずに走る勢いのまま横へ飛んだ。次の瞬間、穴のすぐ手前に岩が着弾して石の欠片をバラ撒く。転がって振り向いたアドレーの額に冷や汗が流れた。四つんばいのまま、穴へと這い寄る。
「手を!」
誰のものか、穴から何本かの腕が突き出され、アドレーはそのうちの一つを取った。すぐに他の手がアドレーの腕をつかむ。そのまま穴から引きずり出されかけた時、穴のすぐそばでゴスンという音が響いた。
「づっ!」
下半身に衝撃を感じた次の瞬間、アドレーの身体は穴を通り抜けた。すぐ後ろでさらにゴンゴンと岩の音が続く。イゴールたち四人はアドレーが起き上がるのを待たず、そのまま担いでさらに下がって行った。
幸いな事に魔物は穴を抜ける事も壁を破る事もなかったらしく、追いかけてくる様子はない。四人はスライム池の傍まで戻ったところでようやくアドレーをうつ伏せのまま下ろした。
「ぐっ!」
「アドレー……」
「……どうした?」
イゴールの声音にアドレーは顔を上げた。腰から下のあちこちに、痛みというより熱さを感じる。身体をひねってそちらに顔を向けたアドレーは、いくつもの岩の欠片が突き刺さった自分の足を見た。
◇
アドレー一行は今、里に向かって歩いている。そう、自分の足で歩いているのだ。
あの後、ズボンを切り開いて食い込んだ欠片を抜き取り、ポーションを傷口に掛けると同時に飲むことでアドレーは何とか回復した。傷の数こそ多かったが、骨にまで至った物が無かったのが救いである。
だが、ポーションでは治らない傷が一つだけあった。
「私のしっぽがぁあああ……ううっ」
ミランダよりやや濃い茶色にごく薄い縞模様が浮かんでいたアドレー自慢の長いしっぽ。恐らく岩の破片に斬り飛ばされたのだろう、その先から四分の一ほどが失われていた。先の部分はあの壁の向こうにあるかも知れないが、もちろん探しに行けるはずもない。
「帰ったらマリコ様にお願いしましょう。私たちも一緒に行きますから」
普段着のズボンに穿き替えて歩きながら嘆くアドレーをなだめながら、イゴールは里にマリコがいてくれた幸運を密かに感謝した。
怪我人続出編(汗)。
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。
次回から第五章となります。
なお、次(2017/10/30)の更新はお休みします。31日にハロウィン番外編とか上げられるといいのですが、どうなるか未定です(汗)。




