287 ミランダとの秘密 10
「わっ!」
マリコが女神の部屋に現れると、すぐ目の前に両腕を振り上げた女神の姿があった。今日はベッドの上ではなく、マリコの出現位置の近くに立っていたのである。
「おっ?」
驚いて飛び退るマリコに対して、女神はさして驚いた様子もなく、上に伸ばした手を下ろしながらマリコに顔を向けた。女神の前を洗濯ロープが横切っており、そこには白い布――例のトーガかサリーのような服――が掛かっている。よく見ると下ろした女神の手にはパンツと思しき小さな布切れが握られていた。腕を振り上げているように見えたのは、それをロープから外しているところだったらしい。
「何じゃ、おぬしか。まだ朝も早かろうにどうしたのじゃ」
女神がそう言いながら手にした物を広げて頷くと、それ――やはり真っ白なパンツだった――はパッと消え失せた。アイテムボックスに仕舞ったようである。次いで白い布も外してバサリと振って確認した後、同じように消し去る。マリコは意外なものを見たような気がして、ついそれを見守ってしまった。
「何を呆けておる」
「……ええと」
「わしが洗濯物を取り込むのがそんなに珍しいか。おぬしがやれと言ったんじゃろうが」
「いえいえ、大変結構です。その調子」
「ふむ、そうであろうそうであろう」
女神は満足そうにふふんと鼻から息を吐いて薄い胸を張る。だがそれも束の間で、じきにふんぞり返るのをやめてマリコを見上げた。
「それで一体どうしたというのじゃ。せっかくメッセージという連絡手段を作ったのじゃから、急ぎでないならそれで知らせればよかろうに」
「あ! それですよ、それ」
ようやく今回の訪問の目的を思い出したマリコは、平面で表示される仮想キーボードの使いにくさを女神に向かって説明し始めた。
「……これでどうじゃ?」
「はい、この方が断然使いやすいです」
マリコの苦情に、女神はその場であっさりとキーボードをちゃんと厚みのある物に直してくれた。ついでにキーボードをつかんで好きな位置に移動させられるようにもなったので、今後は空中だけでなく、机の上に置いてタイプすることもできる。
「やはりデザイン重視ではダメなようじゃの」
女神が言うには、他のウィンドウと並んだ時に違和感がないよう、キーボードも平面にしてあったのだそうだ。確かに今はキーボードだけが立体で、デザイン的には浮いていると言えば浮いている。しかし、いずれにせよ基本的には他人からは見えないのだ。なら使い勝手を優先させても問題はないだろうとマリコは思った。
「女神様はよくあのキーボードでメッセージが打てましたね」
「うん? まあ、自分で作ったシステムじゃからの。特に問題無いのじゃ」
「へえ」
さすがに女神だけのことはあるなと、マリコは妙なところで感心した。とは言え、ブラインドタッチで華麗に入力する女神、というのはどうしても思い浮かべられなかった。
◇
マリコが自分の部屋に戻って程なく、扉をノックする音が聞こえた。やってきたのはもちろんミランダである。朝練の後、風呂を浴びてそのまま来たらしく、ミランダが入ってくるとわずかにセッケンの香りが漂った。
「マリコ殿マリコ殿。斧と槍のスキルレベルを上げて頂きたい」
「もうですか!?」
スキルの修行も低いレベルのうちは比較的簡単だとはいえ、ミランダは朝の間に二つとも修了したという。ミランダが自分で開いたスキルのウィンドウを覗き込むと、確かに斧と槍の規定の条件はクリアされていた。それだけでなく、魔法理論も「魔法を何回使う」といった項目が埋まっており、残っているのは「『魔法理論の応用Ⅰ』という本を読む」だけである。
(斧と槍を振り回して、魔法を撃ちまくってきたわけですか)
ミランダが剣の鍛錬に熱心だということは皆の知るところである。しかし、今朝はいつもと違うことをいつも以上の情熱を持ってやってきたのであろう。どれだけ周囲の人の目を引いたかと、マリコは冷や汗が浮かぶのを感じた。
しかし、先の事はともかく、ミランダは己の目標に向かっているだけで間違った事をしているわけではない。女神もそれを知った上で加護を与えた。となれば、マリコの一存でスキルレベルを上げないなどというわけにはいかないし、マリコにも元よりそんなつもりはない。第一、強くなる方法として今のやり方を教えたのはマリコ自身である。
(いずれバレるだろうというのは承知の上じゃないですか。それに……)
昨日のタリアとの話を思い出す。タリアはなんとかすると言ってくれた。それにマリコから見た限り、ここの人たちが加護を得た人に何かするとは思えない。むしろ応援されそうな気がする。結果的にわずらわしいと感じることはあるかも知れないが、それさえも恐らくは善意の表れなのだろうと思える。
(一番厄介そうなのはブランディーヌさんですかねえ)
立場からしても本人の好奇心からしても、これはほぼ確定的である。ミランダの目指す方向が剣技に寄っている以上、専門が魔法関係であるエイブラムはそこまで突っ込んでこないだろうと思えた。
(まあ、ブランディーヌさんについては、弱点というか気をそらす方法がある程度分かってますから……)
「マリコ殿!」
「え!? はい」
奇しくもタリアと似たようなことを考えていたマリコは、ミランダの声に現実に引き戻された。顔を上げると、ミランダの恨めしそうな、あるいは拗ねたような顔が目に入る。
「そういうマリコ殿は今さら珍しくもないが、とりあえず斧と槍を……」
「ああっ、すみません」
ウィンドウは開いているので、マリコは早速ミランダのスキルレベルを上げる手順を取った。斧と槍がレベル二になり、またわずかにステータスが上がる。それを確認したマリコは顔を上げてミランダ本人を見た。
「あれ?」
「どうなされた」
「い、いえ……」
昨夜も感じた、ミランダに対する違和感。あれがより強くなったような気がするのだ。
(多分……、いえ私の錯覚かも知れないし……)
しかし、マリコの感じた違和感は勘違いなどではなかった。
「おはようございます」
「おはよう、サニア殿」
「おはよう、二人とも……あら? ミランダ、あなた何か変な物で頭を洗わなかった? 髪の色が抜けてるわよ?」
厨房に入るなり、サニアにそう指摘されたのである。
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