276 マリコの秘密 9
「さてと。まずは少し下がるのじゃ」
「え? はい」
女神はマリコを促すと自分もその場から数歩下がった。マリコたちはここに現れた時のまま、つまり石畳のステージの真ん中から特に動くことなく話をしていたのである。移動した女神は元の位置に目を向けて右手を肩の高さまで上げた。それは女神が時々やる、指を鳴らす時の構えである。
「『開け、ゴマ』じゃ!」
女神が呪文らしきものを唱えて指をパチリと鳴らす。するとステージの中央部、縦横一メートル半ほどの範囲の石畳がガコンという音と共にゆっくりと下がり始めた。ある程度下がったところで今度は横にスライドしていく。程なくステージの真ん中に四角い穴ができあがった。近付いたマリコが覗き込んでみると穴は石の床を貫通しているようで、向こう側にも闇の中に浮かぶ星々が見える。
「これ、どうするんですか」
「こうするのじゃ!」
「ええっ!?」
穴から顔を上げたマリコの疑問に答えるなり、女神はそこに勢いよく飛び込んだ。しかも足からではなく、水泳の飛び込みのように腕を頭上に伸ばしてきれいに頭から飛び込んだのである。マリコは急いで穴を覗き込みなおしたが、そこには向こう側の空が見えるだけだった。女神は穴越しに見える範囲からずれてしまったらしい。
「女神様!」
「なんじゃ?」
「おおっ!?」
宇宙に飛び出してしまったのかと思わず叫んだマリコに応えるかのように、穴の向こう側の縁から女神がヒョコリと顔を出した。石の床の厚さは何メートルもあるわけではなく、割と目の前に現れた顔にマリコはまた驚きの声を上げる。
「今手を伸ばしますから、早くこっちに!」
両方から手を出せば届くかもしれないと、マリコは女神を引き上げるべく石畳に寝そべって穴の奥に手を伸ばそうとした。
「何を言っておるのじゃ、おぬしは。わしが飛び込むのを見ておったじゃろう。こっちに来るのはおぬしの方じゃ」
「え」
「じゃから、わしがやったようにこの穴へ頭から飛び込めと言っておるのじゃ。危なくは……多分ない。いざとなったらわしが捕まえてやる」
いろいろと突っ込みどころのある女神のセリフにマリコは首を捻ったが、そもそもここは石のステージが宇宙に浮いているという謎空間で、かつ女神のホームである。女神がマリコにわざわざでたらめを言う必要も無い以上、言う通りにして問題ないはずだった。
しかし、向こうに星空が見えている穴に向かって勢いよく飛び込む気にはさすがになれない。マリコは穴の縁にしゃがみ込むと下に向けて手を伸ばし、プールサイドからそっと水中に入るように頭から穴へと飛び込んだ。
「あっ!」
女神の小さな叫び声を聞きながら飛び込んだマリコは、身体が穴に入り切ったところで何とも奇妙な感覚を味わうことになった。例えるなら、下り始めたエレベーターがいきなり止まるような感覚とでも言えばいいのだろうか。落ちていくはずが途中で逆方向に引き戻されるような、頭で予測したものとは違う慣性、あるいは重力のようなものを感じた。
実際に入ってみると床の厚さは二メートルそこそこくらいで、ゆっくり飛び込んだとはいえ瞬く間に通過するだろうとマリコは思っていた。しかし実際には、伸ばした手が穴の向こう側に出た辺りで身体の動きが止まり、本当に逆方向――足元の方――に戻り始めたのである。
(これは、本当に重力?)
そう思った瞬間、伸ばしたマリコの手がガシッとつかまれた。そのまま、思いがけず強い力で引き上げられる。あれっと思う間もなく、マリコは石の床の上に寝転がっていた。
「わしがやったように飛び込めと言うたじゃろうが!」
マリコの手を握ったまま女神が文句を言う。マリコが顔を上げると天蓋付きのベッドや机が目に入った。さらに視線を巡らせると反対側には扉のある壁。どこかいつもと雰囲気が違うが、並んでいる物から言えば間違いなく女神の部屋である。
(あ、影ですか)
横たわったまま足元にも目を向け、そこに先ほどの穴があるのを認めたマリコは雰囲気の違う原因に気が付いた。いつもは真上から射している光が、普段より明るい上にかなり傾いている。マリコがいる辺りは後ろの壁が光を遮って影になっていた。斜めから照らされた女神の部屋は何となく別人の部屋のようにも見える。
「怪我は無いの? ならいつまでも寝転がっておらずに起きるのじゃ」
マリコが起き上がってろくに付いてもいないホコリを叩いていると、足元の穴がさっきとは逆の動きで閉じていく。さすがにこの状況を見ればマリコにもカラクリの正体が分かってきた。
「さっきまでいたのは、この部屋の裏側なんですね?」
「その通りじゃ! 驚いたかの?」
女神は腕を組んで得意気にふんぞりかえる。マリコは素直に頷いた。
「向こうとこっちで重力の向きが反対なんですね」
穴を通っている時の奇妙な感覚。あれは途中で重力の向きが変わったことによるものだったのである。
「そうじゃ、床の真ん中に重力を向けることで表と裏のバランスを取っておるのじゃ。……あ、それで思い出したわ。おぬし、わしの言うた通りに飛び込まなんだじゃろう。ちゃんと飛び込んでおればこちらの床の上まで上がって来られたのじゃぞ」
「碌な説明も無しでできるわけないじゃないですか! 宇宙に飛び出すかと思ったんですよ?」
「先に全部言うたらびっくりさせられんじゃろうが!」
女神によるマリコ驚愕作戦はこうして中途半端に終わった。
◇
「さて、後は……ほれ!」
女神が掛け声と共にまた指を鳴らした途端、マリコは床が動くのを感じた。同時に斜めに射していたまぶしい光がさらに傾き始める。やがてその光が真横まで来た時、今度は反対側から光が射し始めた。女神のベッドの向こう、石の床の上に月が昇ってくる。
「ああ、こうやって月のある方向を変えてたんですか」
「そうじゃ」
「じゃあ、さっきまで後ろから照らしていたのは……」
「もちろん太陽じゃ」
トイレや風呂のある方の壁に阻まれて直接見ることはなかったが、まぶしい光の元は太陽だったようである。元々女神の間は太陽と月に挟まれる位置に浮かんでいる。そのため、部屋自体を床ごと回転させることで好きな位置に光源を持ってこられるのだった。
やがて月が天頂に届いたところで床の動きも止まった。これで女神の部屋も元通りである。その様子を見守っていたマリコは、ふとあることに気が付いた。
「もしかして、私が初めてここへ来た時、普通にメニューにあるコマンドを使ってここに来ていたら……」
「そうじゃ。裏側、というか本来あちらが表じゃな。あちら側にかのゲームと同じように現れておったじゃろうな」
「でも、どうしてレベルリセットで来たらこっちに出たんですか」
「……っておったのじゃ」
「はい?」
「……そこだけ出現場所の設定を間違えておったのじゃ! わ・し・が・の!」
女神はそっぽを向いてそう言った。口を尖らせた女神の横顔を見ながらマリコは思う。
もし女神が設定を間違えず、ゲームと同じようにまず女神ハーウェイとして会っていたなら自分はどうなっていただろうか。ハーウェイは今ほどぶっちゃけた話をしただろうか。少なくとも今の自分と女神とはまた違った関係になっていたのではないだろうか。マリコは珍しく女神の間違いに感謝したくなった。
微妙にSFテイスト(?)。
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。




