273 マリコの秘密 6
「本物の、風と月の女神様……」
「うむ」
驚き、喜び、憧憬といったいくつかの感情がない交ぜになった表情を浮かべるミランダに、女神は腕を組んだまま満足そうな顔をして鷹揚に頷く。数瞬の沈黙の後、もう一度ふうと息を吐いたミランダは表情を改めて女神を見上げた。
「では、風と月の女神様……」
「女神、でよい」
「え?」
意を決して話し始めたところで口を挟まれ、ミランダは目を瞬かせた。
「なに、いちいち『風と月の女神』では煩わしかろう。今この場にはわししかおらぬ。それ故、単に『女神』でよいと言うたのじゃ」
「ああ。いや、しかし……」
女神の言葉に一瞬納得しかけたものの、判断に困ったミランダは視線を彷徨わせ、女神の傍らに立つマリコに助けを求めるような目を向けた。ミランダの意図を察したマリコが黙って頷きを返すとミランダの顔に安堵の色が浮かぶ。マリコも常々「女神様」と呼んでいるし、女神自身がいいと言っている以上、問題があるとは思えなかった。
「それではお言葉に甘えまして『女神様』とお呼び致したく」
「うむ」
「お伺いしたき事はいくつかございますが、まずは……」
「申してみるがよい」
「ここしばらくマリコ殿が度々何処かへ消え失せておられたのは、女神様のご意向によるものでありましょうか」
「ふむ。そうじゃな」
これは全くその通りのことだったので、女神は軽く頷いた。
「……であれば此度の件、我が首一つで収めて頂きたく申し上げまする」
「首じゃと? 何の話じゃ」
物騒な物言いに女神は片方の眉だけ上げてミランダを見た。同じく内心でギョッとしたマリコは何とか声を上げることなく成り行きを見守る。
「マリコ殿が、恐らくはここへと転移するのを見てしまったことにございます。人の身で転移を操るなど秘中の秘でありましょう。幸い、その後の私はまだ誰にも会っておりませぬ故、今なら秘密は守られるかと」
「何をバカな事を申しておる!」
「ぬ」
「見られたというならそれはこのマリコの不注意であろうが。何故おぬしの首を取らねばならんのじゃ」
「そうですよ。ミランダさんが悪いわけじゃないんですから」
さすがに黙って見ているわけにはいかず、マリコは話に割って入った。秘密を知った者には死を、などということを見過ごせるわけがない。
「いや、しかし」
「しかしもかかしも無いわ。おぬしの首など取っても……ふむ、首か」
言いかけた女神は途中で何かに気付いたようにアゴに指を当て、少々大袈裟に首をかしげて考え始めた。
「め、女神様!? 罰せられるのなら私でしょう? まさか本当にミランダさんの首を……」
「誰がするか、安心せい馬鹿者」
ミランダもいるのでさすがにいつもの突っ込みは入らず、何を思いついたのか女神は音も無く石の床へと降り立った。
「ミランダよ。おぬしの望みは強くなることであったかの?」
「え!? いや、確かにその通りではありますが、どこでそれを……」
「ふむ、わしは何じゃ? 知ろうと思えば造作もないことじゃの」
「ぬ、それは確かに」
ミランダのことについてはマリコとの話の中で出たから知っているのだが、女神はもちろんそんなことはおくびにも出さない。知ろうとすれば知ることができるというのも事実だからである。
「まあ、そっちは今はよい。今はおぬしの望みのことじゃ。強くなりたいか」
「それはもちろん」
「では、少し待つがよい」
そう言った女神は両脚をやや広げて踏ん張ると、手の平を広げて自分の首に巻いたチョーカーに沿わせるように指を当て、チョーカーに触れたまま小声で何事かをつぶやき始めた。
やがて女神の声は止まり、指で作られた半円型をそっと首から離すとその手の中には細く白い輪っかが納まっていた。
「え!?」
いつの間に外したのかとマリコは女神の首に目を向けた。するとそこには先ほどまでと同じようにいつもの白いチョーカーが巻きついている。つまり、二つ目のチョーカーができていたのである。女神はそれを手にしたまま、腕を伸ばしてミランダの前にかざした。
「強くなりたいのなら受け取るがよい」
「こ、これは一体……」
今の光景を目の前で見ていたミランダはようやくそれだけを口にする。
「これか? これはの、神々の加護と呼ばれている物の一つの形じゃ」
「神々の……加護!?」
ミランダは目を見開いた。女神の手にあるそれは輪になった白く細い革に黄色く光る丸い石が付いている。色こそ違うが確かにそれはマリコが着けている物と同じ物のようにミランダには見えた。ミランダの手がそちらに伸びる。しかし、その手はチョーカーに触れる前にピタリと止まった。
「どうかしたかの?」
「いや、しかし。女神様の力で強さを手に入れても、それは本当の私の強さとは言えぬのではありますまいか」
ミランダの言葉に女神は一瞬キョトンとした表情になった後、ニヤリと頬に笑みを浮かべた。
「……なるほどの。確かに丸ごと与えられる強さは己のものとは言い難いかも知れぬの。じゃがの、おぬしは勘違いしておる。これは手にしたからというて即座に強くなれるような都合のいい代物ではないのじゃ」
女神はそこで一度言葉を切ると、チラリとマリコに目を向けてから再びミランダを見た。
「これには確かにいろいろな機能や力が備わっておる。それらは主が己を鍛えるための助けや道しるべにはなってくれるじゃろうが、己を鍛えるのはあくまで己自身じゃ。そのような修練を何千何万と繰り返して今に至った者がそこでぼんやりとおぬしを見ておるから、嘘だと思うなら聞いてみればよい」
「マリコ殿?」
「え」
二人のやりとりに見入っていたマリコはいきなり目を向けられて急いで考えを巡らせた。女神の手にあるチョーカーがマリコの物と同じようにゲームにあったシステムを使えるようにするアイテムなのだとしたら、確かにチョーカーそのものが本人を即座に強くするわけではない。
レベルを上げるためには経験値が必要で、スキルレベルを上げるためにはそのスキルを使い続けなければならない。そして上位レベルになれば必要回数が千、万の単位になるものも確かにあるのだ。ミランダに対する答えとしては頷いてみせるしかなかった。
「誠か……」
「それでも良ければ、これを受け取るがよい。そして己の首に当てるのじゃ。さすればおぬしはわしの力を分け与えられし者となる」
ミランダは一度目を閉じ、ふんと息を吐いて顔を上げるとそれを女神から受け取った。
遂にミランダが同じステージへやってくることに。
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