271 マリコの秘密 4
ミランダはマリコの部屋に置かれたイスに身体を預けて天井を仰いだ。短めのスカートから伸びた脚を前に投げ出して背もたれに寄り掛かり、両腕は力なく身体の両脇に垂れている。己の無知さと思慮の浅さにミランダはそのままはあと息を吐き出した。
(あれは恐らく、私などが見てはならないものだったのだ)
◇
あの時マリコは、物入れに潜んだミランダに気付かぬまま中空に指を走らせていた。その様子はミランダからすればアイテムボックスを操作しているとしか思えなかった。それ故に、出掛ける準備をしているのだと判断したミランダは物入れの引き戸を開けたのだ。毎晩のようにどこに行っているのかを質すために。
ところがミランダを見て驚いた顔をしたマリコは、ミランダが何かを聞く間もなく霞の如く消え失せたのだ。てっきり部屋を出てどこかに行くものと思っていたミランダにとって、まさかその場で掻き消えるなどとは予想外もいいところである。
もちろん、自分が知らないことなど山のようにあるというということをミランダは知っていたので、己の知識に無い何事かが起きたのだということは理解できた。ミランダの知る限り、人がその場から消えてしまうという現象は転移門を使った時以外には起こり得ない。そして、そう考えたことでミランダは気が付いた。
(マリコ殿のあの動きは転移門を使う時の動きに似ていたのか)
転移門では空中に現れる自分以外には見えないウィンドウを操作して行き先や同行者を決める。その後二本の門柱の間を通り抜けるとその場からは消えて行き先に指定した門に現れるのだ。マリコのしていたこととの差は門柱の有無くらいである。しかし、その差は「くらい」で済むレベルのものではなかった。
転移門を利用しない転移など恐らく前代未聞である。使い手こそ少ないが一般に存在を知られている修復とは訳が違う。明らかに人の力を超えていた。
そしてマリコが神々のいずれか、それも恐らくは命の女神の加護を受けているということは、ナザールの里においては周知の事実である。マリコであればそうした力を授けられていても不思議ではないとミランダには思えた。
しかし、力が使えるということとそれを周囲に知られるということは全く別の問題である。修復であの騒ぎなのだ。これが知れたらどうなることか。
(マリコ殿が秘匿していたのも当たり前だ)
それを自分は考えなしに覗き見てしまった。もしも他者に見られること自体が神々の意志に反することであったなら、マリコは一体どうなるのか。
(まさかこのまま戻って来られぬ、などということは……)
怖い考えに取り付かれたミランダはひとしきり部屋の中をうろついた後、崩れ落ちるかのようにドサリとイスに腰を落とした。タリアに相談するべきかとも思ったものの、それ自体がさらに知っている者を増やすことにもなりかねない。今はとりあえず待つことだとミランダは己に言い聞かせた。
◇
真っ直ぐに座り直してやや顔を俯かせたミランダはマリコを待った。目安や区切り、終点の不明な「待ち」は精神力を否応無く削り取っていく。実際にはそんなに長い時間が経ったわけでもないのだが、ミランダが十分に待ち疲れてふうと息を吐いた時、唐突に気配を感じた。
それはマリコが消えた位置、即ち、今ミランダが座っているイスのすぐ横である。ミランダがバッと勢い良く顔を上げると、今の今まで誰もいなかったはずのそこにマリコが立っていた。背筋は真っ直ぐに伸び、両手を身体の前で重ねるように組んでいる。
「マリコ殿、戻られたか。……よかった」
安堵の息を吐き出したミランダは、そのままイスから雪崩れ落ちるように床に座り込んだ。ちょうど土下座をするような姿勢になったまま、改めて顔を上げる。
「マリコ殿、先ほどは……」
「ミランダさん」
謝罪の言葉を発しかけたミランダをマリコの声が遮る。その声は硬く、しかしどこか威厳を感じさせるものだった。ミランダが見上げたマリコの顔にもその声の調子に見合った、自信を感じさせるような表情が浮かんでいる。普段の少しのんびりしたマリコとは別人のような雰囲気だった。
「ミランダさん」
マリコはもう一度ミランダの名を呼んだ。ミランダは呑まれたかのようにマリコの顔を見つめている。見蕩れていると言った方がいいのかもしれない。背筋を伸ばして表情を改めたマリコには、凛々しさと美しさが絶妙なバランスで同居していた。ミランダの返事はないと判断したのか、再びマリコが口を開く。
「女神様がお呼びです」
「な……、ええっ!?」
「女神様が、ミランダさんを、お呼びになっておられます」
一瞬聞き違いかと思ったものの、言葉の意味を理解するに至ったミランダがさすがに驚きの声を上げる。このタイミングで女神の名が挙がるということは。
「で、では、マリコ殿が行っておられた先というのは……」
「はい」
「なんと……それは、全く……」
ミランダの考えを認めるマリコの返事に、ミランダは驚きと納得をないまぜに感じた。何と言っていいのか分からない。神の御許へ直接行っているなど、大っぴらにできるはずがなかった。それ以前にそんな話は聞いた事もない。深呼吸して息を整え、なんとかその事実を受け止める。
「ではマリコ殿は……あっ!」
それが本当のことだと一応納得した途端、ミランダの胸に一つの大きな疑問が湧き上がった。これを聞いておかないわけにはいかない。床に座り込んだまま、ミランダはマリコの目を見上げた。
「マリコ殿。先にお伺いしたいのだが…」
「はい」
「その女神様は、どなたであろうか」
十分予想できた質問だったのだろう。この部屋に戻って初めて、マリコの表情が少し和らいだ。そして、それはさらに笑みを含んだものとなる。
「それはお会いした時のお楽しみ、だそうです」
「え!?」
「さあ、手を」
目を見開くミランダに向けて、マリコは左手を差し出した。座ったままのミランダがそっとその手を取って立ち上がると、マリコは一度右手をアゴに当てて――ミランダにはそう見えた――何か思案するような素振りを見せ、次にその手を振って中空で何かの操作を始めた。
(やはり)
マリコの動きについて、自分の考えは正しかったと納得するミランダにマリコが顔を向ける。
「では、行きます」
ミランダの手を握ったまま、マリコの右手が最後に一振りされる。二人の姿は音も無くマリコの部屋から消え去った。
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