269 マリコの秘密 2
その日はバタバタしている間に夜を迎えた。マリコもミランダもやる事に追われているうちにいつの間にか暗くなっていたという感覚である。マリコがここで暮らすようになってから四度目の命の日だったが、これほど忙しなかったのは初めての時――マリコがから揚げや串焼きを作った日である――以来だった。
食堂の利用者はこれまでより多く、食事時以外でも飲み物を頼む者がなかなか途切れない。洗濯物の量も入浴する者の数も増えた。その理由ははっきりしている。宿に泊まっている者が増えているからである。まずは、もう二人だけではなくなった神格研究会の面々と工事関係者が連泊していた。
また、マリコの下に修復を受けに来る者――実際今日も二人連れられて来た――もいる。失われていた部位を取り戻した彼らは、新たな身体のバランス感覚に慣れるために何日か滞在するのが普通だった。
しかし、ナザールの里は今のところ単なる田舎で特に名所や娯楽施設があるわけでもなく、他の店も命の日には閉まっている。散歩がてらに里の外に出るのは不慣れな者には少々危ない。研究会の者はともかくそれ以外の人たちは、休みになっても行くところが食堂以外にはほとんどないのである。
その上、食堂には串焼きを始めとした他では見かけないマリコ発案のメニューがあった。里に住む者はさすがにもう慣れて落ち着いているが、よそから来た者にとってはそうではない。ハマった者たちによって注文が繰り返され、食堂としてやっている時間はじわじわと延びてきていた。
「何日か内には働いてくれる者が何人か増えるからね」
タリアはそう言っていたが、それは今現在のことには間に合わない。何人か増援が呼び出され、タリアからの要請で見守る会――宿のOB・OGに当たる年配の人たち――によるフォローが入って何とか切り抜けた、というところである。
もっとも、その忙しさのおかげでマリコには悩んでいる暇もバルトたちを心配する余裕も無かった。それだけが良かったと言えない事もない点である。
◇
(さて、今夜は女神様の所に顔を出しておきましょうか)
食堂の仕事が引けた後、自分の部屋の扉を開けながらマリコは思った。一昨日は女神が既に眠っており、昨夜はマリコの都合で女神の部屋を訪れていないのである。さすがに何日も空くのは自分でも何となくすっきりしない。すっかり習慣になってしまったなあと思うと同時に、何も誤魔化さなくてもいい相手だから――神であるにも係わらず――気が楽なのだと気が付いて思わず苦笑する。
部屋に入ったマリコは灯りを点すと一旦ベッドに腰を下ろした。ミランダは昨夜と同じくマリコが二杯目――今夜は軽めにビールである――を飲んでいる間に先に帰っており、顔を上げるとやはり昨夜同様隣の部屋の方向に気配を感じる。
(ミランダさんにも言ってないことは一杯ありますからねえ)
何かと世話になっているミランダではあるが、それでも話せないことは多々ある。心苦しくはあるが今のところマリコにはどうしようもない。あえて話すのであればそれでいいかどうか女神の判断を仰ぐべきだろう。そもそもマリコの事情が特殊過ぎて、何をどう説明すればいいのか見当が付かない。
そこまで考えたところでマリコは今は結論を出せないその問題を脇に追いやってメニューを開いた。首のチョーカーに手を当て、声に出さずに「メニュー」と考えればそれは開く。「その他」タブを選んで開き「風と月の女神の部屋へ行く」というボタンに触れると確認の選択肢が表示された。「はい」のボタンに指を伸ばしたところで、引き戸を開けるからりという音がマリコの耳を打った。
「え?」
中空に浮かんだメニューウィンドウから視線を上げる。押入れ側の下段。何も入れていなかったはずのそこにミランダがいた。引き戸に手を掛けたままのミランダと目が合う。その瞬間、構えていたマリコの指がピクリと揺れて「はい」のボタンに触れた。
「マリコ殿!」
その声だけをマリコの耳に残して、押入れから身を乗り出しかけたミランダの姿はマリコの視界から掻き消えた。代わりに目に映ったのは白っぽい石畳の床とその向こうに見える天蓋付きの大きなベッド。最早見慣れた女神の部屋である。
(ミランダさんが消えたんじゃない)
移動したのはマリコの方である。どうしてミランダがあんなところに入っていたのかは分からない。しかし、アイテムボックスのウィンドウにも似たメニューウィンドウはミランダには見えていなかったはずである。マリコはミランダが見ている前で突如消えてしまったことになるのだ。
「うわああ!」
マリコは思わず声を上げた。
「うるさいのう。何じゃ、いきなり」
ベッドの上でうつ伏せになっていた女神が、迷惑そうに読んでいた本から顔を上げた。
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