268 マリコの秘密 1
ミランダはいつも通りの時間に目を覚ました。
睡眠時間自体は普段より幾分短めだったので身体にはやや疲れが残っているが、何故か気分はすっきりと爽快である。ベッドに横たわったまま頭の上へ両腕を伸ばして気持ちよくううんと伸びをした後、えいと勢いを付けて起き上がった。
身体に被さっていたシーツと上掛けが滑り落ちて朝のひんやりした空気が肌を撫でるが、今はそれさえも心地良い。と、そこまで考えたところでふと疑問が浮かんだ。
(肌に……ひんやり?)
ゆっくりと視線を下げる。滑落していくシーツを食い止めるにはやや不足気味の隆起が、何にも包まれることなく二つ並んでそこにあった。改めて周りに目を向ければ、昨夜ベッドに入る前に身に付けていた物が足元や上掛けの横に追いやられている。
「違う! これは違うのだ、マリコ殿!」
ブワッとしっぽを膨らませたミランダは急いでシーツを胸元に抱え込み、思わずマリコの名を呼んだ。ミランダの隣には同じように生まれたままの姿で穏やかな寝息を立てるマリコの姿が……あるはずもなく、ミランダははあと息を吐いて隣――自分の真横ではなくマリコの部屋の方――に目をやった。その壁の向こう側では本当に一糸纏わぬマリコが眠っているはずである。
(あれは、あれは仕方ないではないか! あんな……あんな……)
昨夜何を目撃してその後何をやったのかを思い出したミランダは抱えたままのシーツに顔を埋めた。部屋に戻った後、パジャマに着替えてベッドに潜り込んでからも、あちこちと自分の身体を探っている様子だったマリコの声となまめかしい足の動きが頭から離れなかったのである。
悶々として寝付けない時間を過ごした挙句、マリコが挑んだ試みにミランダも挑んでしまったのである。マリコが具体的にどこをどうしていたのかは分からないが、いろいろと未知の領域に挑んでいたのは間違いない。ミランダもそれにならった。その探検の成果として新たな鉱脈を発見し、すっきりと気持ちよく眠りに落ちて朝を迎えることになったのである。
(うぬぬぬ)
思い出し唸りをしながら、ミランダは散らばった肌着類を拾い集めて身に着けた。ろくに着ていなかったパジャマはとりあえず仕舞いこむ。何というか、自分一人しかいないのに妙にバツが悪い感じがした。
やがて身支度を整え終わったミランダは、あることに気付いて窓を開け放った。すっかり明るくなった中庭の景色が見えると同時に、草木の匂いをはらんだ、部屋の中よりさらにひんやりした空気が流れ込んでくる。
(やはり)
鼻が慣れてしまっているので今の自分にはよく分からないが、外の空気の匂いがはっきり分かるということは部屋の中には別の匂いが漂っているということである。おそらくは昨夜マリコの部屋で感じたものに近い匂い。しかし、今回の発生源はミランダ自身なのである。
それでもしばらく窓を開けておけば大丈夫だろうとミランダは思った。念のためにシーツやベッドには浄化を施しておく。そこまでやってようやくミランダはふうと一息ついた。
◇
「マリコ殿!? マリコ殿!?」
ゴンゴンと大き目のノックと共にミランダの呼び掛ける声が廊下に響いた。今ミランダはマリコの部屋の前に立っている。
毎朝のようにマリコを起こしているミランダだが、いつもこんなに派手なことをしているわけではない。普段は軽くノックして小声で呼び掛けた上でさっさと鍵を開けて中に入る。おそらくマリコは気付いてもいないだろう。しかし、今朝はそうしなかった。できればミランダが扉を開ける前にマリコに目を覚ましてほしかったからである。
もう一度ノックして声を掛けたところで、中からマリコがふにゅふにゅ言う声が聞こえた。さすがにもう防音の効果は消えているようである。なんとかマリコを起き出させることに成功したミランダはやれやれと息を吐いてもう一度呼び掛けた。
「マリコ殿?」
「はーい……、あ! ちょ、ちょっと待ってください!」
今度はすぐに返事があったが、すぐにあわてた様子でストップが掛かる。部屋の中でマリコがバタバタと動く音も一緒に聞こえてくるが、ミランダはただ「承知した」とだけ答えた。中で何が起きているのかは概ね予想できる。じきに浄化の連呼が聞こえてきて、ミランダはなんとか噴き出すのをこらえた。
少しして、ようやく部屋の扉が細く開かれた。急いで着込んだらしい、パジャマ姿のマリコが顔を出す。
「おはよう、マリコ殿」
「……おはようございます。あの……、もう起きましたので、着替え終わったら行きますからお部屋で待っていてもらえますか?」
「承知した」
ミランダの返事を聞いたマリコはそそくさと引っ込んで扉を閉めた。今の様子だと、昨夜ミランダが押入れに潜んでいた件については気付いていないように見える。この分なら今夜もう一度潜入しても大丈夫だろうなと思いながら、ミランダはマリコを待つために自分の部屋へと戻って行った。
◇
今日は命の日であり、世間一般的にはお休みである。しかし、宿屋はその仕事の性質上、命の日だからといって休んでいるわけにもいかない。パートの人たちは家族の都合などもあってある程度休むので、住み込みであるマリコたちは余計に休んでいられない。
「マリコ殿、昨日は何やら鬼気迫る様子で気張っておられたが、身体の方は大事ないだろうか」
着替え終わってミランダを迎えに行ったマリコは、そう聞かれて一瞬考えた。
「……ええと、はい。何とか」
昨夜の探検のおかげで精神的な部分のモヤモヤは晴れた。しかし、正にそれのせいで若干の睡眠不足と軽い倦怠感があるのも事実なのである。そのため、マリコの返事は少々曖昧なものになった。
「いや、今日は命の日でもあることだし、マリコ殿が疲れを残しておられるなら鍛錬を休みにしても、と思ったのだ」
「え」
マリコは思わずミランダの顔を見返した。ミランダの口からそんなセリフが出るとは思えなかったのである。ミランダもマリコと同じ状態にある、などというのはさすがに想像の外だった。
「マリコ殿が大丈夫だと言われるのなら……」
「いえ! いえいえ! たまには休むのも大事だと思いますよ! あ、でもお湯は浴びに行きたいですね。昨夜ちょっと、ああいや、少し寝汗をかいたみたいなので」
「それは問題なかろう。放っておいてもじきに抜くのだ。それに私も浴びておきたい」
若干怪しげな返事をするマリコをいぶかしむでもなく同意するミランダに、むしろマリコの方が疑問を感じた。しかし、珍しくミランダが言い出した朝練抜きである。気が変わられても敵わないのでマリコは何も言わないことにした。
二人が冷めかけた風呂で汗やら何やらを流して食堂に向かうと、既にサニアが出てきていた。挨拶の後、マリコの顔を見てサニアが言う。
「マリコさん、今日はなんだかすっきりした顔をしてるわ。悩みは解決したのかしら」
「ええと、一応、多分。ご心配をお掛けしました」
どう解決したのか話すわけにもいかず、マリコは少々言葉を濁した。
「ならいいんだけど……。あら? ミランダ、あなたも何かすっきりした顔してない?」
「うえ!?」
サニアが何となく投げた言葉に、マリコは首をかしげ、ミランダは目を泳がせた。
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