258 探検と冒険 1
「帰ってきたらまた手合せをしてもらえないか」
翌朝、朝食時の混雑もピークを過ぎた頃、バルトはそう言いながらマリコに向かってカウンター越しに手を差し出した。剣こそ出していないが、いつもの革鎧を着込んだ姿は彼が今から出発することを示している。アイテムボックスあればこそのこの光景にもマリコはようやく慣れてきた。
「それはこちらこそお願いします」
バルトたちとの手合わせはマリコにとっても勉強になるのだが、彼らは今日の朝練に顔を出さなかった。昨日戻ったばかりということと、昨夜大勢に囲まれて結構飲んでしまったかららしい。マリコは快諾しながらそっとその手を取った。不意打ちではないカウンター越しの握手くらいであれば、マリコも特にうろたえることなく対応できる。
(温かい……)
マリコはバルトの手の平の温度に何となく懐かしさのようなものを覚えた。平均体温自体に男女差はないらしいが、筋肉と皮下脂肪の比率の関係から体表の温度は男性の方が高めになることが多い。バルトを温かく感じるのはそういうことなのだろうと思ったところで、マリコはあれと首を捻る。
(筋力という点で言えば、バルトさんより私の方が上のはず。それでも温かいと感じるという事は筋肉以上に皮下脂肪の差が……)
「……リコ殿。マリコ殿」
肩をつつかれる感覚にマリコがそちらに顔を向けると、いつの間にかすぐ横にミランダがやってきていた。片方の眉をちょっと上げた微妙な表情でマリコを見ている。
「ミランダさん、どうかしたんですか?」
「いや、どうかしたのは私ではなくてだな……。いい加減、その手を離されてはいかがかと言いにきたのだ。バルト殿が何やら嬉しさを滲ませながら困っておられるぞ」
「え? あっ」
我に返ったマリコはあわてて手を離した。どうやら握手をしたまま考え込んでいたようである。二人に目を向けていた周囲からはああともおおともつかない声が上がる。
「い、今のは別にそういう意味ではなくてですね……」
「いや、言わなくていいからいいから」
言い訳を始めようとするマリコをバルトが押し留めた。マリコの扱いに慣れてきたからなのか落胆したくないからなのかはよく分からないが、離された右手が所在なさそうにしているところを見ると後者のようである。マリコが止まったところで、バルトはその手で拳を作って口元に当てた。
「あーゴホン。まあ、とにかくだ。戻ったら手合せを。それでいいだろうか?」
「え、ええ、それはもちろん」
咳払いを一つしたバルトは強引に話を元に戻した。マリコとしては頷くしかなく、頷いた後でふうと息を吐いた。その様子を確認したバルトはちらりと後ろに視線を走らせる。もちろんそこには組の面々がいた。代表するようにトルステンが肩をすくめるのを見てマリコに向き直る。
「それじゃあ、いってきます」
それだけ言うとバルトは身を翻した。それぞれ挨拶の言葉を口にして、トルステンやカリーネたちもバルトに続く。
「あ、はい、いってらっしゃい」
マリコは戸口に向かうバルトたちに小さく手を振って見送る。これも段々と恒例になりつつあり、今日のところは余計な茶々を入れる者もいない。新顔の工事関係者たちだけは興味深そうに眺めている。最後尾を歩いていたミカエラが戸口を抜けるところで一度振り向いてマリコに手を振り返し、一行は出掛けていった。
じきに食堂は先ほどまでの喧騒を取り戻した。マリコとバルトたちは最近何かと耳目を集めているが、里の皆もそれにばかり気を取られているわけにもいかない。それぞれ今日の仕事が始まるのである。
「ふむ、行ってしまわれたな」
「そうですねえ。戻ってくるのは三日後くらいですか」
「えっ?」
マリコのセリフを聞いたミランダが驚いた声を上げてマリコを見る。その様子に今度はマリコの方も驚いた。
「えって何ですか、えって」
「いや、バルト殿たちが戻られるのはもう少し先ではなかったかと思った故」
「もう少し先? 今回はもっと遠くの街へでも行くんですか」
「何を言っておられる。洞窟の探索に行くのだと言っておられたではないか」
「洞窟!?」
「昨日、戻られた時にっと、ああ、マリコ殿は居られなかったか」
内容が噛み合わない理由に気が付いたとばかりに、ミランダは自分の額にパシリと手を当てた。
「ん? ということはマリコ殿。バルト殿から何も聞いておられぬのか」
「バルトさん? いえ。何の話ですか、それ」
「あー、それは……。うむう、致し方ない」
口ごもって少し何か考えているようだったミランダは、昨日マリコが部屋に逃げ帰った後の出来事をかいつまんで説明した。いつものように帰りに洞窟に寄れなかったので、改めて洞窟に向かうという話である。マリコの様子からバルトが何も話していないのは明らかだったので、山桜云々の話は端折った。
「じゃあバルトさんたちは街に装備の修理に行ったんじゃなくて、洞窟探検に行ったってことですか」
「そういうことだ」
「聞いてないですよ」
「あー、それはなあ……」
ミランダにしては歯切れが悪いことが珍しく、マリコは首を傾げた。桜の話はバルトからということになっていたので、それを抜きに洞窟行きの話だけをするわけにもいかず、結果的に誰もマリコに情報を流していなかったのである。番台での会話で終わらせてしまったバルトのミスといえばミスだが全部の責任を被せるのも酷というものであろう。
「洞窟、ですか」
街へ出掛けると思っていたのでマリコは特に不安にもならずに送り出せたのである。ところが行き先は洞窟だという。普通の見回り以上にマリコの知識は乏しく、何を心配すべきなのかもよく分からない。
(地底湖みたいなところにスライムがいる、としか知らないですからね)
マリコに想像できるのは鍾乳洞のような光景くらいである。マリコは気まずそうなミランダを前に、どうしたものかと唸った。
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