257 行きつ戻りつ 10
洗濯物を預け終えた男たちが通過していった後、バルトとトルステンが入ってくる。カリーネたちが来たからには彼らも風呂に入りに来るのは当然なのだが、今の騒ぎで気をそらされていたマリコにはちょっとした不意打ちになった。一瞬ギョッとしたものの、何となくどんよりした表情のバルトを見て考え直す。
逃げてしまったのはマリコの方で、しかもそれっきりなのである。立場を置き換えて考えてみればそれは確かにショックを受けるだろう。バルトが嫌で逃げたのなら仕方ないところだが、どういうわけかそうではないということは何よりマリコ自身が知っている。そういう顔をさせたかったわけではないのだ。
先ほどカリーネに言われたこともある。今この場で話しこむわけにはいかないが、それでも言っておかなければならないことはあるだろう。マリコは目を閉じて一度深く息を吸い込むと、意を決して口を開いた。
「け、今朝は、いきなり逃げてしまいまして、その、失礼しました」
「えっ!?」
番台に座っているマリコを見上げる形のバルトは目を見開いて一瞬ポカンとした顔になった。二、三度目を瞬かせた後、ようやく言われた事の意味を理解したのかその顔に生気が戻ってくる。しかし、そこからさらに表情が二転三転し、こちらも申し訳なさそうな顔になった。
「い、いや、こっちこそいきなりあんなことをしてしまって」
「いえ、ちょっとびっくりしただけで……。今はもう気にしていませんから大丈夫です」
「そ、そうか。良かった」
バルトがほっとした表情になる。びっくりしただけで嫌ではなかったんですとは、マリコもさすがに口に出しては言えなかった。両方が曖昧な物言いをするせいで、傍から聞いていると何の話だか分からない。バルトの一歩後ろで見守る形になってしまったトルステンは噴き出すのを密かに堪えていた。
「それで……」
マリコが次のセリフを発しようとした時、またガラリと引き戸を開ける音が響いてマリコは言いかけた言葉を飲み込んだ。
「今日はもう入れるんだってさ」
「ありがたいよねえ」
足音と一緒に声も聞こえてくる。どうやらさっきの男たちの同類のようだった。トルステンが「時間切れだよ」とでも言いたげにヒョイと肩をすくめて見せる。そちらに目を向けたマリコだったが、そのトルステンの大きな身体のせいで靴脱ぎと脱衣所を隔てる暖簾がほとんど見えなかった。
「ええと、続きはまた、後にでも」
「あ、ちょっと待って」
急いで番台の横を通り過ぎようとしたバルトを、マリコは呼び止めた。これだけは言っておかないといけないと感じたのである。
「桜、ありがとうございました。それと……、無事で良かった」
「……あ、ああ」
向けられた笑顔に固まるバルトをよそに、マリコはさっさと前に向き直る。マリコが座り直すのと同時に暖簾が捲られた。
「バルト。ほら、お風呂行くよ。そこにずっと立ってちゃ邪魔だから」
肩をつつかれて我に返ったバルトはトルステンの顔を見た後、一度マリコの方を振り返り、彼女がもう次の入浴者の相手をしているのを認めてもう一度トルステンに顔を向けた。細い目をさらに細めたトルステンが見返してくる。
「良かったってことでいいんじゃない?」
「ああ……。ああ!」
拳を握って頷き返したバルトは生き返ったような足取りで歩き出した。
一方、番台に残ったマリコは心の中で叫んでいた。
(ああああ、今のは何ですか何ですか。そりゃ確かに思ってましたけど。思ってましたけど! 何だってそんなことまで!)
無事で良かったということまで口に出して言ってしまったことである。表面上は平気な顔で再び洗濯物の説明をしながら、マリコは頭の中だけで頭を抱えた。もし目の前にベッドがあったなら、その上を転げまわっていただろう。青年期どころか思春期まで逆戻りしたような気分だった。
◇
結局マリコは夕食の仕込みが始まる時間まで番台に座った後、マリーンと交代して厨房へ戻った。魔力もほぼ回復している。マリーンが追加の洗濯物もできる限り片付けた分、マリコが番台業務をしていた時間も長くなったのである。
そしていざ夕食の時間が始まると、朝とは打って変わって元気になっているように見えるバルトの姿が様々な憶測を生んだ。落ち込んだ原因がはっきりしているので、それを立ち直らせられる相手も決まっている。当然のように、では何があったかということになる。
もっとも、野次馬たちもさすがに厨房の奥で包丁や鍋を振るっている状態のマリコに何か聞こうとはしないだろうし、もしやったらそれは料理を待っている他の客が許さないだろう。食べ物の恨みは恐ろしいということは誰でも知っている。
となればもう一方の当事者であるバルトを探ることになるのだが、こちらはこちらで今夜はいつもとは違う面子に囲まれて盛り上がっている。囲んでいるのは神格研究会やその工事関係者だった。
(中央四国では結構名前が知られているって、ブランディーヌさんも言ってましたしねえ)
カウンター越しにその様子を眺めたマリコはそう思った。バルトと風呂で一緒になった何人かから話が広がったらしく、あの時の倍くらいの人数がバルトたちの回りに陣取っている。その中にはブランディーヌ自身も混ざっていて、こちらはカリーネたち女性陣と何やら笑い合っていた。
近くがほとんど開発されている中央四国から来た者には探検の話が珍しいのだろう。腕利きの体験談となればなおさらである。時折どよめきや歓声が聞こえていた。
(そう言えば、私も探検の話はあまりくわしく聞いたことがないですね)
どんなことをしているといった概略はタリアに教わった。他に野豚狩りや巨大オオカミ襲来などもあったので分かったような気になっていたものの、マリコ自身は今のところ狩り以外でナザールの里から出たことがない。今度聞いてみてもいいかもしれないなと、マリコは焼きあがった串焼きを皿に盛りながら思った。
落ち着いては無理でも最低限の話はできた模様。
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。




