252 行きつ戻りつ 5
マリコは宿屋の裏口を出て、別棟になっている風呂場の建物の後ろ側へ回り込んだ。風呂場の裏側が洗濯場になっているのである。洗濯場の前の広場は物干し場で、既に結構な数のシーツや服が干されていた。広げて掛けられたシーツの下からその向こうで動いているスカートを穿いた足が見えており、マリコはそちらに向かって声を掛けた。
「あ、マリコさん」
シーツの陰から顔を出したのはフローラだった。背中の中ほどまである金髪を今は首の後ろでひとまとめに括っている。洗濯物を掛けた腕を下ろすとエリーに迫るサイズの胸が弾み、ついそれを目で追ってしまったマリコはさりげなく目をそらした。どうもやはりそういうモノに対する感覚がこちらへ来た当初とは違っているような気がする。
「こっちは私だけでいいですから、向こうをお願いします。中にマリーンがいますから」
そちらに近付こうとしたマリコに手を振って止めたフローラは洗濯場を指差した。考えてみればフローラの担当は本来食堂が中心である。今朝もマリコと一緒に厨房に入っていたのだ。ということはフローラもヘルプ要員なのだろう。マリコは分かりましたと返事をして踵を返した。
「あ、そうだ。マリコさん、今食堂から来たんですよね?」
「え? ええ。サニアさんに言われて」
足を踏み出しかけたマリコはフローラの声に立ち止まって振り返った。マリコの答えを聞いたフローラは額に手をかざして太陽のある方を見上げる。
「この時間、ということは……、当たりです」
「それはもしかして……」
「はい。じきに出てくるって信じてましたから」
「あー、それは……どうも」
マリコがいつ部屋から出てくるかという賭けの話である。そういえばサニアのメモにフローラの名前もあったなとマリコは思い出した。
洗濯場に向かったマリコが扉を開けると、女の子が一人たらいの前で洗濯物と格闘しているのが目に入った。水色のポニーテールを揺らしているのはもちろんマリーンである。
「お手伝いに来ましたよ」
「ああ、マリコさんも来てくれたんですね」
マリコの声に手を止めて振り返ったマリーンがホッとしたような顔を見せた。その手に握られているのは作業着のような物である。マリコは袖をまくり上げながらそちらに近付いた。
「何をすればいいですか。何だか予定が押してるって聞きましたけど」
「ええと、じゃあお掃除をお願いしていいですか? 女将さんから、できたら早目にお風呂を沸かしてやってくれって頼まれまして」
マリーンの言う掃除とは風呂場と浴槽の掃除のことである。早目に沸かしてというのはバルトの組に対する気遣いなのだろうなとマリコは思った。これまでなら洗濯を終えてから風呂の準備に取り掛かっていたのが同時進行になって手が足りなくなったということらしい。
しかし、理由はそれだけではなかったようである。バルト組の女性陣なら、早く風呂に入りたいという本音はともかく無理に急かしたりはしないだろうと思ったマリコがそのことを口にすると、マリーンが答えてくれた。
「バルトさんたちの洗濯物を受け取ってたら、ついでに頼めないかっていう人が結構いたんですよ。それで洗濯の方も伸びちゃって。お風呂に入れないかって聞いてくるのもその人たちなんです」
犯人、ではなく原因は建設工事関係者たちだった。当然ながら、彼らの全員が一日中仕事をしているわけではないし、均等に汚れるわけでもない。担当箇所や工事の進捗状況によっては、朝のうちだけで作業が終わる場合や早々にひどく汚れてしまうこともある。そういう人たちにも一律に夕方や翌日まで待てというのは確かに酷であろう。
とりあえず水浴びでもと思っても宿暮らしではする場所に困るだろうし、汚れについては誰でも好きなだけ浄化を使いまくれるわけではない。マリコにとって身近な探検者たちと比べると、日常的な魔法しか使わない普通の人の魔力量、つまり最大MPはそこまで高くないのである。もちろん、マリコ自身とは比較にもならない。
里の状況が変わって人が増えてきたことで、これまで通りでは追いつかない部分が出てきているのである。この辺りはタリアやエイブラムも対策を検討しているところだが、まだ全部が実施にまでは至っていなかった。
「じゃあ、掃除は任されました」
話を聞き終えたマリコは早速裸足になって洗濯場から風呂場へ繋がる通路へ入った。番台の脇から女湯側に出るとまずは脱衣所の掃除である。
◇
男湯、女湯共に掃除は終わった。洗い場や浴槽を洗う際の水はマリコが水で出して済ませた。洗濯場にある井戸には魔力駆動のポンプが据え付けられているので水汲み自体には苦労しないが、さすがにポンプはそれなりの大きさもあるので一基しかない。洗濯しながら風呂の方にもというわけにはいかないのである。
「まあ、いろいろと水の練習にもなりましたし、よしとしましょう」
ゴシゴシ洗ったあとを流すのに、手の先から勢いよく水を出しながら「○ルトラ水流!」とこっそり叫んでいたのは内緒である。
洗濯場側へ顔を出すと、ちょうど洗濯も終わったところだった。それを干しに行くマリーンたちを見送ったマリコはポンプの送水先を湯船の方に切り替えるとまずは女湯側から水を入れ始める。再び浴室に戻ったマリコは水が入っていく様子を眺めた。
ポンプに繋がった金属製の管からはジャージャーと結構な勢いで水が流れ出てくる。しかし、見ていてもなかなか水位は上がってこない。十人くらいは浸かれそうな湯船であれば当然のことだった。人が浸かるところは深さこそ数十センチだが縦横はそれぞれメートル単位である。数トンの水が必要なのだった。
(これ、魔法でなんとかなりませんかね)
しばらく水の流れを眺めていたマリコは、もっと早く風呂を沸かし終えるにはと考えていてそう思った。この調子だとそれほど早い時間にはならないのである。そこでさっき使いまくった水である。あの程度であればマリコの魔力はほとんど減らなかった。では湯船一杯分ならどうか。
(ついでに沸かす時間も短縮できれば……)
厨房でしょっちゅう水を使っていて気付いたのだが、ある程度は温度調節ができるのである。さすがに熱湯にはできないようだが、冷水から人肌くらいなら概ね思った通りの温度の水になる。
「試してみますか」
そうつぶやいたマリコはもう一度裏へ出て一旦ポンプを止め、また湯船の脇に戻って来た。湯船の大きさと人が浸かれる深さを確認して出す水量を推し量っていく。今度は水がめに水を張るイメージを大規模にしたものである。底にわずかに水の溜まった湯船に向かって腕を伸ばす。
(この範囲を満たす、なるべく温かい水を……)
「水!」
もうお馴染みになってきた身体から魔力が抜けていく感覚と共に、ドザバッという水音がマリコの耳に響いた。一瞬くらりとするような感覚を覚えたマリコは転びそうになって足を踏ん張る。思わず閉じた目をゆっくり開くと、湯船はイメージ通りに満たされていた。しゃがんで手を浸してみるとぬるま湯程度には温かい。これなら少し炊いてやれば入れるだろう。
「成功はしましたけど……。さすがにごっそり持って行かれましたね」
魔力の話である。今ので尽きてしまったわけではないが、まだ朝と言っていい時間から魔力を使い切ってしまっていてはさすがに何かあった時に困る事になる。マリコは頬を撫でながら男湯がある方の壁に顔を向けた。
「あっちは普通にやりますか。申し訳ないけど」
それでも女湯に水を張るのに掛かる時間分は早くなることだし、と自分を納得させながら、マリコはまたポンプの所へと向かう。
しばらくして戻って来た二人には、もちろん呆れられた。
後の事を考えなければ大丈夫な模様(笑)。
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。




