249 行きつ戻りつ 2
薄桃色の花びらがはらはらと舞い降りていく。
もちろん、マリコが手にしていた枝から落ちたものである。それが音もなく床へ軟着陸した時、マリコの姿はもう廊下の奥へと消えていた。後に残されたバルトは頭を撫でるポーズのまま呆然と立ち尽くしている。
静まり返った食堂にゆっくりと十数えるほどの時間が過ぎ、バルトはカクカクと壊れかけのロボットのような動きで仲間たちを振り返った。その手はまだ幻のマリコの頭の位置にある。
「……お、俺、なんか間違えた?」
「そんなに間違えたわけでもない、とは思うんだけど。ねえ?」
細い目をさらに細めたトルステンはヒョイと肩をすくめて隣に立つカリーネに目を向ける。
「ちょおっと、いきなり過ぎたんじゃないかしら」
親指と人差し指で「ちょっと」の形を作ってみせるカリーネの脇で、ミカエラとサンドラがうんうんと頷く。それを切っ掛けに食堂内のあちこちで小さなざわめきが起こり始めた。
「でもなんで逃げたんだろう?」
「そりゃ、恥ずかしかったんじゃない?」
「マリコさん、すごい赤かったよね」
「満更でもなさそうだったけど」
「効いてる効いてる」
「ムードが足りないのよ、ムードが!」
「結構気持ち良さそうだったよ?」
「けっ、見せつけやがって。そういうのは二人でやれ、二人で」
「「「それだ!」」」
今まで息を詰めて成り行きを見守っていた分も合わさって言いたい放題である。
そうして皆が好き勝手言い合っていると、マリコが消えた廊下の奥に人影が見えた。コツコツという足音と共に近付いてくる。途端にまた静けさを取り戻した皆の視線が集まる中、現れたのはタリアだった。
「今、マリコがえらい勢いで部屋に駆け込んで行ったけど何が……って、どうしたってんだい!?」
ほぼ全員に見つめられてさすがのタリアも少したじろいだ声を上げる。しかしそれもほんの一瞬のことで、じきに立ち直るとバルトたちに目を向けた。それだけで何かを察したらしく、ふうと息を吐く。
「何となく何があったか、少なくとも原因は分かったような気がするね。おかえり、バルト。今回はやけに早かったじゃないかい」
「ああ、女将さん。ただいま戻りました」
とりあえず探検者モードになったことで表面上は落ち着きを取り戻したバルトが帰還の挨拶を口にする。他の四人も揃って軽く頭を下げた。
「母さ……女将さん。今戻ったところでね。ちょうど誰か呼びにやろうと思ってたのよ」
カウンターの中からサニアが言う。バルトの組は最も未開地側を担当しているため、見回りから戻った際にはタリアが直接報告を聞くことになっているのである。しかし、サニアのセリフには一つ嘘があった。皆と一緒になって野次馬と化していたのでタリアを呼びに行くのを忘れていたのである。
「……まあいいさね。それでどうするね? あっちはいいのかい?」
タリアはそう言って親指で廊下の奥を指す。問われはしたものの、バルトとしては答え様がない。部屋に居ると分かったからといって追いかけて踏み込むというわけにもいくまい。
「まあ、自分の部屋に居る分にはどこかに消えちまうこともないだろうし、あの娘のことだから落ち着いたら出てくるさね。それじゃ、先に話を聞こうかね」
「……はい」
今のマリコには女神の部屋という、自分の部屋からでも消えてしまえる逃亡先があるのだが、さすがにそれはタリアの想像の外にある。タリアはバルトたちを促すと空いているテーブルへと向かった。
◇
「それじゃ、街には行かずにもう一度出るのね?」
「はい。いい機会ですから、ある程度奥まで行って来ようと思います」
確認するサニアにバルトが答えた。奥までと言うのは洞窟の話である。洞窟は今回バルトたちが早めに戻ってきた理由でもあった。
先日、里を出発したバルトたちは放牧場から連なる山の尾根を越えたところで咲きかけの山桜を見つけた。里の周囲ではもう桜――日本のソメイヨシノのような種類――も山桜も終わってしまっていたが、温度の低い山の上ではまだ山桜が散っていなかったのである。
マリコが桜を見損ねたという話を思い出したバルトは、当然それをお土産にしようと考えた。しかし、さすがに見回りに出たばかりで花だけ抱えて戻るというわけにはいかない。幸い、山桜自体はまだ咲き始めで数日間の余裕はありそうだった。ただ、いつもの見回りルートだと行きと帰りで通る道が違う。帰りは別の方向からこの山に入り、途中にある洞窟でスライムを狩るのが常である。
そこで復路を途中から変更して、洞窟に寄らずに山桜のあった場所に回ったのである。事情が分かっている仲間たちは誰も反対しなかった。むしろ、回らなかったらどやしつけられていた可能性も高い。こうして、ほぼ満開になっていた山桜の枝を手に入れた一行は急いで里に戻って来たのである。
タリアへの報告の途中でこの話が出た時、バルトは回り中から「どうしてマリコにその話をしなかったんだ」とボロカスに突っ込まれた。とは言え、話を始める前にマリコに逃げられたのでどうしようもない。枝を渡す前に話すのではもったいぶりすぎだろうとバルトには思えたのである。
ともあれ、今夜は宿で過ごして明日改めて洞窟に向かうことになる。バルトとしては今すぐ出ても良かったのだが、女性陣の「お風呂!」というもっともな理由で却下されたのである。風呂を済ませて夕方に出発するのはさすがにあまり意味がない。ろくに進まないうちに野営するハメになる。
また、いつもなら見回りから戻った時には主に武器類の研ぎ直しや修理のためにもっと大きな街まで出向くのだが、今回はその必要が無かった。獲物が少なかったわけではない。茶色オオカミや灰色オオカミはいつもと同じくらい持ち帰っている。違っていたのは武器の方だった。
借りたという体裁にはなっているものの、実質マリコから贈られたトンデモ装備の数々は、それまでの物と同じように使っても刃こぼれ一つしなかったのである。材料や工具の関係で大きな修理こそできないものの、普段の手入れは当然自分たちでやる。今のところそれで十分なのだった。
そうしたわけで、主に女性陣からバルトに新たなミッションが課せられた。出発するまでにマリコに「山桜物語」を伝えてちゃんとアピールせよ、というものである。バルトは頭を抱えた。
マリコはまだ部屋から出てこない。
宿屋の中の話でマリコが出てこないのは珍しい気がします。
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。




