247 八つ当たり 12
「んんっ……」
ふわふわとした浮遊感とわずかな倦怠感を覚えながら、マリコは薄く目を開いた。目に入るのは波打つ白いシーツの海。頬に触れるその感触の心地よさにマリコはもう一度目を閉じようとした。
「おっ、目が覚めたかの」
聞こえてきた声に閉じかけた目がもう一度ゆっくりと開かれる。シーツの海が途切れた向こうに白っぽい人影が立っているのがその目に映った。白い服、白銀の髪、そしてその頭上に飛び出た同じく白銀の猫耳。
「……女神様にゃ」
何となく幸せな気分でそうつぶやいたマリコは、その自らが発した言葉にギョッとして大きく目を見開いた。同時に意識が吹き飛ぶ前にあったことが脳裏を駆け巡る。そして今も腕を頭上に伸ばしてうつ伏せになっていることに気が付いた。
腕をゆっくりと身体の方に引き寄せていく。それは途中で突っ張ることもなく、軽く握った拳を顔の前まで持ってくることができた。そこにはもうロープは巻きついていない。視線を上げてみると中空を横切る元通りに張られたそれが目に入った。
「どうじゃ、気分は?」
流しで片付け物をしていたらしい女神が振り返って近付いてくる。マリコは手を胸の前に突いてゆっくりと上体を起こし、腕と同じように伸びていた脚を身体の方に引きつけた。
「う、冷たいにゃ」
身体を起こした途端、その前側に不快さを感じてそこに目を向ける。
寝転んでいた時に腰があった辺りに、濡れたような染みができていた。汗だけではない。出血やおねしょをしてしまったわけでもない。メイド服を貫通してしまったそれが何であるか、不幸にしてマリコはその正体に気が付いてしまった。ババッと音を立ててそちらに手をかざす。
「浄化にゃ! 浄化にゃ! 浄化にゃ! 浄……」
「落ち着かぬか、馬鹿者」
「にゃっ!」
魔法の連打を始めたところで脳天に女神手刀を落とされたマリコが思わず頭を押える。やはりまだそこに残っていた三角の耳に触れながら、マリコの赤らんだ顔がうらめしそうに女神を見上げた。
「そんなものは後でよい。気分はどうじゃと聞いておるのじゃ」
「え、ええとですにゃ……」
「少しはスッキリしたじゃろう」
「なっ!?」
口ごもっている間に言いにくいことをズバリと言われてしまい、マリコは驚きの声を上げた。マリコにとっては想定外もいいところな出来事ではあったが、女神の言う通りスッキリしたと思えるところは多々あるのである。
「腹に溜まったモヤモヤをあちこちで八つ当たりしそうになって、そんな自分に気が付いてますます溜め込んでおったのじゃろう? 酔ったおぬしが自分で言っておったのじゃぞ」
「え!?」
「じゃから心置きなく八つ当たりできるようにしてみたのじゃ」
「じゃああの時いい加減な返事をしたのはにゃ……」
女神の言うことが本当なら、女神はわざとマリコに撫で回される方向へ持っていったことになる。
「まさか押さえ込まれるとは思わなんだからの。ただその分、こちらも存分に仕か……オホン、神罰を下してやれたから結果オーライというやつじゃな」
「それ、どこまで本当なんですかにゃ」
マリコの目から見る分には、女神のこれまでがこれまでだけに何となく疑わしい。じとっとした目を向けると女神はついと目をそらした。
「さて、信じるも信じぬもおぬし次第というところかの」
よそを向いたままそう言った女神は、ふと何かいいことを思いついたという顔になってマリコに向き直った。
「なんなら、神の言を疑って掛かる不逞の輩に神罰を下すということでもうちょっと続けてみるかの?」
「イヤですにゃ!」
あんなことを続けられたらにゃあにゃあ言うだけの生き物になってしまいそうな気がするマリコだった。
◇
「さすがにそろそろこれを元に戻してくださいにゃ」
マリコが意識を飛ばしていたのはわずかな時間だったようだが、それでもいい加減遅い時間である。仕事もある以上、帰らないわけにはいかない。
「おお、そうじゃった。それの正体を教えておらんかったの。メニューを見るがよい。『容姿』タグじゃ」
「『容姿』ですかにゃ」
ゲームでの「容姿」タグは文字通り、身長や髪の色といったキャラクターの見た目を決めるところである。ただし、これはいつでも変えられるわけではなかった。レベルリセット時に専用の課金アイテムを所持していると「容姿を変更しますか?」という選択肢が出るのである。
この「容姿」はキャラクターの能力そのものには影響しないので、プレイヤーによってしょっちゅう変える者と滅多に変えない者にきれいに分かれる。「マリコ」については始めに決めて以降、当然一度も使ったことがなかった。
「メニューにゃ!」
チョーカーに触れながらメニューを開いたマリコが「容姿」タグを開くと、案の定大部分はグレー表示――ノンアクティブ――になっている。しかし、そこに見覚えのないスイッチが増えていた。「ネコミミモード」と「強制語尾添付システム」である。このふたつだけはアクティブ、つまり変更可能となっている。「ネコミミモード」の方は猫耳のオンオフだけだが、「強制語尾添付システム」には「にゃ」のほかに「わん」とか「ちゅう」を選ぶことができるようだった。
「それをどっちも切れば元通りじゃ」
マリコとしては語尾はともかく、猫耳自体はもちろん好きである。しかし、さすがに今の姿で帰ろうとは思わなかった。皆に説明のしようがないのである。早速両方をオフに切り替えて決定を押し込む。例の気持ち悪さに構えていたマリコだったがこちらも女神が修正を入れたらしく、少し動いている感じがするという程度で済んだ。
パンツを穿き替えたりといった身支度を終えたマリコが少々怪しげな腰つきで帰って行った後、女神はベッドを振り返った。
「これは洗濯した方が良さそうじゃの」
ポツリとそうつぶやくと、女神は二人分の染みが付いてしまったシーツをはがし始めた。
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。




