238 八つ当たり 3
戦闘です。残酷描写注意。
野豚の脇をすり抜けてひと飛びで数歩分の距離を稼いだマリコは、油断無く構えを取りながら振り返る。横一文字に喉を切り裂かれた野豚は、そこから噴き出る血の奔流に押されたかのように仰向けにどうと倒れた。最早首から上に血液が巡っていないのは明らかだが、それでもなおその腕は何かを求めるようにビクリビクリと動いている。
じきに流れ出る勢いは弱まり、やがて身体の動きも止まる。それを見届けたマリコはそこでようやく盾を下ろしてふうと息を吐き出した。右手の小剣を目の前にかざして見ると、刃こぼれひとつない刀身に紅い色は見えず、ただ切っ先に脂を塗りつけたような曇りがあるばかりである。
「浄化!」
そのわずかに残った戦いの痕跡を魔法で拭い去り、マリコは刃を鞘に収めた。もう一度息を吐いてから改めて倒れた野豚に目を向ける。ついさっき、相手を目の前にして自分の間違いに気付いたマリコが選んだのは、食べるための狩りに徹するということだった。
自分の感情は横に置いて、より美味しく食べるために必要なことだけを考える。それは即ち、身体に余計な傷を付けず、なるべく血抜きの手間を省けるよう速やかに倒すということだった。これは完全にマリコの側だけの都合であり、狩られる方にしてみれば結果として訪れる死は同じかもしれない。
だがもし自分の方が狩られる側になったとしたら、嬲り殺しにされるよりは一撃で終わらせてくれる方がまだマシなのではないかと、マリコにはそう思えるのである。自分自身の死について思いを巡らせたマリコは、腹の奥に重く鈍い痛みを感じた。もちろんそれは幻で、実際にどこかを傷めたわけではない。
(でもこの感覚は……)
「マリコ殿!」
さらに深く考え込みそうになったマリコをミランダの声が現実に引き戻した。マリコが顔を上げると三人がさっきいたところから真っ直ぐ近づいて来ているのが目に入る。マリコは三人に向かって手を振った。
◇
「あれをそのまま真似るのは無理です!」
「誰もそんなことは言っておらんだろう」
マリーンの苦情にミランダが言い返す。四人は今、次の獲物を求めて歩き始めたところである。
あの後、マリコは「素晴らしい」という声と共にしばらく振りにミランダの抱きつき攻撃を受けた。それからミランダによる解説がひとしきり続き、次は自分も試してみたいと言い出して四頭目を探すことになったのである。
上級者の試合なり戦いなりは見るだけでも結構な勉強になる。道すがらそういった話をしていた時に出たのが、先のマリーンのセリフである。確かに今のマリーンたちに全く同じことをしろというのは無茶だろうとマリコも思った。
野豚の腕力は大野豚やボスオオカミとは比べるまでもないが、並みの男よりはずっと強いのである。そのパンチを真っ向から打ち返すことができたのは、マリコのステータスがいろいろと常人の域を超えているからに他ならない。
「大事なのは相手の動きをよく見ること、それに応じた適切な対処をすること、攻撃するためには隙を見つけるか作ること、できれば急所を狙うことだ。それは今までもやってきたであろうが。力と技を磨いていけばいずれ近づけると言っているのだ」
「話としては分かるけど、そう簡単にはいきそうにないよねえ。ミランダさんだって無理でしょう?」
シーナが微妙に混ぜっ返すが、ミランダはそれを気にも留めずに当たり前だと応じる。
「今の私にはマリコ殿ほどの膂力はない故な。だが得るものはあった。だからこそこうして次の獲物を探しておるのではないか」
そんな話をしながらしばらく歩き、三頭は狩ったことだし時間的にもそろそろ帰ろうかという話が出始めたところで、お馴染みの声が聞こえてきた。幸い、今四人がいるのは木々の間隔がやや広めの、林といっていい程度のところである。足場は比較的マシと言っていいだろう。
「やはり風下から現れたか。二人共、こちらに弓は不要。周囲を警戒。では二人をお願い致す」
ミランダはマリコに後の事を託すと一人前進した。スルスルと進んで行くミランダにマリコはまた感心する。身体の柔軟性というか動きのしなやかさについてはミランダの方が上なのではないかと感じるのである。身体の動きに合わせてユラユラと揺れるしっぽを見送りながら、マリコもミランダの戦いをハッキリ見るのは初めてなのだと気が付いた。
バキバキと草や小枝を折りながら野豚が駆けてくる。マリコたちの少し前で待ち受けるミランダは先に刀を抜いてゆらりと構えた。突進してくる野豚が右腕を引いた。手が届く距離まで来たと同時にその腕が振るわれる。
「あっ!」
誰かが小さく声を上げる。刀で迎え撃つかと思われたミランダがぬるりとした動きで腕をかわしたのである。続いて迫る左腕も同じようにかわす。次も。その次も。もちろん刀は正眼に構えたままである。前後左右に細かく動きながら腕をかわし続けるミランダを見てマリコは意外に思った。前回の時は両腕を斬り落としてトドメを刺したと聞いていたからだ。じきにマリコはミランダの不思議な動きの源に気が付いた。
しっぽである。触ったことがあるのでマリコは知っているが、しっぽは腕に近い長さと腕ほどではないがそれなりの太さとを持っている。つまり、重さもそれなりにあるということである。そのしっぽが別の生き物のようにクネクネと頻繁かつ複雑に動き続けていた。
ミランダはしっぽをカウンターウェイトとして足捌きの補助に使っているのだ。それが身体だけ見ているととらえにくい不思議な揺れを作り出している。正面に立っていてしっぽの見えない相手からはなおさら分からないだろう。
(バランスを取るのに使うとは聞いていましたが)
マリコは感心しながらミランダの危なげない戦いぶりを見守った。同時に、危なげないが故にどうしても目が行ってしまうところがあった。もちろんしっぽにも目が行く。そして、しっぽが上下左右と自在に動いているということは、それに伴ってスカートの裾も動いているということである。しっぽが上がれば裾も大きく捲れ上がった。そうなると必然的に見える物がある。
ブルマである。後方に対するそういう意味での防御がお留守になっていた。ほぼ丸見えである。
もちろんそのためにこそオーバーパンツとして穿いているのだが、後ろにいるマリコとしては大変微妙である。ジャージのような伸縮性のある生地ではない少しもこもこした紺色のブルマ。正にそういったブルマが現役だった世代の記憶を持つマリコにとってブルマそのものは憧憬の対象ではない。では何故今、マリコはミランダの下半身から目を離せないのか。
脚である。ブルマは腰から脚の付け根までを覆う構造をしている。つまり、脚はその付け根近くまで見えてしまうのである。その恥ずかしさこそがブルマが廃れた原因の一つでもあるのだが。
ブルマの裾がわずかに食い込んで微妙な段差を作る脚の付け根。普通ならその先にはソックスまでの間、素足が伸びるはずである。しかし、ミランダが今その身にまとっているのは何か。マリコが渡したミニバージョンメイド服だった。故にソックスはなく、膝上丈の白ストッキングがガーターベルトで吊られているのである。
本来、ミニスカートの裾とオーバーニーソックスの間に形成されるべき絶対領域が、ブルマとストッキングで形作られていた。しかもガーターベルトのおまけつきである。マリコをしてなお、そこから目を背けることは難しかった。
やがて、疲れを見せた野豚の隙を見逃さず、ミランダがその喉を払って戦いは幕を閉じた。ミランダは急成長の証を見せたが、それ以外にもいろいろと見せてしまった。マリコはそのミランダにどういう言葉を掛けるべきか本気で悩まねばならなかった。
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