235 神々の研究 9
食事を終えた後、アリアは犬たちと遊び始めた。牛や羊たちは思い思いの場所で草を食んだり休んだりしている。つい先日ボスオオカミが襲来したなどとはとても思えないのどかな光景に目を細めたマリコは、そこから先へと視線を移した。木をいくらか残した放牧場の端、柵から向こうは段々と木の密度が上がり、地面の傾斜がきつくなっていく。
(やっぱりここはあの村と似ていますね)
ゲームにログインして初めて降り立つ村のはずれがこういう感じだったのだ。目の前の山の中腹には初心者用のダンジョンがあった。コボルトやらゴブリンやら巨大な虫といったファンタジーの定番とも言える雑魚モンスターが出るダンジョン。その雑魚にやられまくったことで「マリコ」は近接戦と回復の必要性を痛感したのだ。
もちろん、今見えている山にダンジョンはない。ダンジョンとは元々地下牢という意味の言葉で、そもそもその言葉自体がこの世界にはないようだった。サニアに「何それ」と言われたことを思い出して、マリコは小さく笑った。
だが、ダンジョンがない代わりにこの山の向こう側には洞窟があるという。例のスライムもそこに居るとは聞いたものの、池を満たすスライムというものがマリコには今ひとつ想像できなかった。バルトの組は探検の帰りに大抵そこへ寄ってスライムを狩ってくるのだとか。
「三、四日先だったっけ? 本当のところは」
横合いから掛けられた声にマリコが振り返ると、家畜舎の掃除に戻っていたカミルがその戸口から出てくるところだった。
「知ってるんならアリアさんに変な事吹き込まないでください」
三、四日先というのはバルト組の帰還予定日のことである。詳しいルートなどはマリコも知らないが、出発したのが一昨日なので予定通りならまだ往路かせいぜい折り返しくらい。よほどの事が無ければ今日戻ってきたりはしないはずなのである。口を尖らせたマリコが半眼を向けるとカミルはちょっと驚いた顔をした後、プッと吹き出した。
「何がおかしいんですか」
「いや、すまんすまん。マリコさんもそんな顔をするんだって思ってな」
「そんな顔ってどんな顔ですか」
「うーん、何て言えばいいのか……。歳相応、とでも言えばいいのかな」
カミルが言うには、普段のマリコの行動は見た目の年齢通りには見えないことがよくあるらしい。マリコにしてみればそれは当たり前と言えば当たり前である。なにせ頭の中身の年齢はマリコの十九歳どころではなく、むしろタリアに近い。
あまりおかしく見えないようにとは気をつけているものの、それは主に性別の問題についてのことであり、いくつに見えるかというところは気に掛ける掛けない以前に基準がよく分からない。ただ、そんなマリコが割りと歳相応に見える時があるのだとカミルは続けた。
「それが、ご飯食べてる時とバルト君の話になった時」
「!!」
美味しそうに食べるわねとは時々言われるので食事中というのはマリコとしてもまだ分かる。だがしかしバルトである。マリコが言葉を失っている間にもカミルは続ける。
「あのデカいオオカミが出た日からだと俺は思ってるんだけど、あれから二人ともなんていうか、雰囲気が変わった。うん、恋してる若い子たちってのはいいなあ。ついおせっかい焼きたくなっちゃうよ」
「恋!?」
マリコは頭を大剣の腹でぶん殴られたような衝撃を受けた。確かにあの日はいろいろあって妙なこともした。その後、タリアにモジモジしているなどとも言われて憤慨したが、面と向かって恋をしているなどとはっきり言われたのは初めてである。その破壊力はマリコの想定外だった。
(恋!? 誰が!? 誰に!?)
確かに女神にはマリコとして好きに生きればいいとは言われている。それは女として生きるということでもあって、その生を全うするには男が……いやしかし。現実逃避気味の自問に、それを否定したい気持ちと同時にそれでいいのだという内なる声も聞こえるような気もしてきて、マリコは混乱した。
「まだ戻らないと分かっていてもついつい足が向いてしまう……うーん、青春だねえ」
カミルがまだ何か言っていたが、最早マリコの耳には届いていなかった。その後、アリアと一緒に宿に戻って仕事をこなしたはずなのだが、マリコにはその覚えがほとんど無かった。
◇
夜、マリコは女神の部屋を訪れた。ウイスキーを渡すという試練の続きもあったのだが、己の心に渦巻くこの困惑をなんとかしたかったのである。話が話であるだけに誰にでもぶちまけるわけにもいかない。そういう意味では事情を知っている――むしろ元凶と言えるのだが――女神が相手としては一番問題ないはずなのだった。
「……寝てるんですか」
ところが、女神の部屋でマリコが発見したのは、マリコが三、四人寝られそうな大きさの天蓋付きベッドにうつ伏せで寝こける猫耳女神の姿だった。例によって本を読んでいる最中に寝落ちしたらしく、頭上に伸ばされた手には一冊の本が握られている。
一瞬叩き起こしてやろうかと思ったマリコではあったがさすがにそれはしのびなく、女神に近付くと手の中にある本をそっと抜き取った。チラリと中を見てみると今日のそれは男神と女神の割と真っ当な恋愛譚のようである。男女の問題で唸っている今の状態で読んでみようという気にはなれず、マリコはそれを閉じると脇の机に置いた。
時折ピクピク動く猫耳としっぽに心引かれはするものの寝ている相手を撫で回すのも憚られ、女神の身体に上掛けをそっと被せたマリコは最後に上を見上げた。そこには白いままの天蓋がある。上から月の光を浴びた天蓋はそれ自体が光っているように見えた。
「このままだとまぶしそうですけど、どうしますかね」
猫耳女神が指を鳴らして色を変えていたことを思い出したマリコは、それを真似て右手を構える。
「銀色に変われ、えい」
マリコが指をパチリと鳴らすと、驚いたことに天蓋は銀色に変わりベッドの上に影を落とした。ダメ元のつもりで本当に変わると思っていなかったマリコは目を瞬かせる。
(これ、女神様の力で直接変えてるんじゃないみたいですね)
音に反応しているのか何なのか原理はよく分からなかったが、どうやらそういうシステムになっているらしい。穏やかに眠る猫耳女神をしばらく眺めた後、流しと洗濯物だけチェックし、ウイスキーの壜をテーブルに置いてマリコは自室に戻る。
昼間の出来事のせいで己の身体が妙に存在感を増したように感じるものの、女神の部屋で少しは気が紛れたらしく睡魔は程なくマリコにも訪れた。
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。




