234 神々の研究 8
マリコは宿の建物の前に作られた臨時のオープンテラス席の間を、そこに着いている人たちと会釈を交わしながら通り抜けて宿の門をくぐる。すぐ脇にある小屋の前に立っている門番とも挨拶を交わして前に目を向けると、畑の向こうに陽に照らされて黒光りする一対の柱が見えた。その転移門のさらに向こう側に目的の放牧場がある。しばらく前まで景色を埋め尽くしていた黄金の穂波は消え去り、所々に立つ稲架にその名残が見えるだけだった。
畑の間を抜ける途中でも作業をしている人たちから挨拶の声が掛かる。さすがにもうマリコを知らない者はいないようだが、今ここを歩いているのがマリコではなかったとしても同じように声が掛かるだろう。そのことを何となく嬉しく感じながらマリコは少し足を速めた。
転移門の近くに差し掛かったところで、マリコの目は前を行く小さな背中をとらえた。どうやらアリアはまだ到着していなかったらしい。マリコはその背中に追いつくべく、さらに速度を上げた。草の薫りをはらんだ風が耳元で唸り、黒いスカートがバサリとはためく。
「アリアさーん!」
「え? あれ? おねえちゃん!?」
距離を半分ほどまで詰めたマリコが声を掛けると、足を止めて振り返ったアリアの顔に疑問符が浮かぶ。この時間帯、普段ならほぼ間違いなく厨房か食堂にいるマリコがこんなところにいるのだ。当然の疑問ではある。
「おねえちゃん、何かあったの!?」
「え?」
追いついたマリコはアリアのやや緊張した声に一瞬疑問戸惑ったものの、じきにその理由に思い当たった。アリアがこちらにいてマリコが駆けて来るというシチュエーションは先のボスオオカミ襲来の時と同じなのだ。あれはまだほんの一週間ほど前の出来事である。マリコは安心させるように違う違うと手を振った。
「ああ、大丈夫です。危ないことがあったわけじゃありません。実は……」
マリコがやって来た理由を話すとやっとアリアの肩から力が抜けた。ふうと吐いた息と一緒にお下げ髪が揺れる。
「ということは……あ、ほんとだ。もう。お母さんったら。ああでもちゃんと見てなかった私もいけないのか」
復活したアリアは手籠を取り出して中身を確認し、マリコの言う通りだと分かるとブツクサと文句を言った。それでも自分の非にも気が付ける辺りがいい子だなあと、マリコは口に出さずに考える。
「間に合ったんだからいいじゃないですか。さ、行きましょう。お父さんたちが待ってるんでしょう?」
「うん」
手籠を仕舞ったアリアが伸ばしてきた手をマリコは取る。二人は手を繋いだまま放牧場へ向かって歩き出した。
◇
「んー、マリコさんがいてくれるだけでメシも美味くなるってもんだ。な?」
野菜炒めを頬張りつつ、カミルが一緒にいた男に同意を求める。男もそうだなと頷いてこちらは厚切りベーコンに噛り付いた。カミルの口調は軽いが本気でそう思っていることも伝わってくるのでマリコとしても悪い気はしない。ただ、そう感じる自分に気付いていやこれは「マリコ」が褒められたからだと自分に言い聞かせる。
放牧場にいたカミルたち二人にアリアとマリコを加えた四人は、片側に張り出した小屋の軒下に置かれたテーブルに着いている。小屋自体はさして大きくもなく寝るための部屋と一応簡単な調理ができる厨房兼食堂しかないので、寒い時期や雨の日以外は大抵、本来は作業スペースであるここで食べているらしい。
行って帰ってくるだけなのも何だからアレと一緒でよければ食べていらっしゃいとサニアがマリコの分も持たせてくれたので、マリコもお昼をご一緒しているのである。
「またそんなこと言ってる。お母さんに教えてもいいの?」
カミルのセリフを聞きとがめたアリアが目を細めるが、当のカミルは平気な顔をしている。
「ああ構わんぞ。きれいな人にきれいだって伝えるのは男の義務だからな。ただ母さんに言うなら忘れず一緒に伝えてくれ。愛してる、ってな」
悪びれもせずに言い放つ父を見て娘の方は少しげんなりした顔をする。だが、その頬が少し赤らんでいるので本気でイヤなわけではないのだろう。傍で見ていたマリコはそこまでハッキリと言い切れるカミルにある種の羨望さえ感じた。
かつての自分は真理子に面と向かって愛してるなどと言ったことが何回あるだろうかと、つい我が身を顧みてしまう。その一方で、同じように多くを語ることなくただ視線を向けてくるとある男の顔を思い出してしまい、あわててそれを振り払う。
「おねえちゃん、大丈夫? 何か変なものでも入ってたの?」
「え?」
マリコがふと気付くと、アリアが心配そうに覗き込んでいた。
「さっきまで美味しそうに食べてたのに、いつの間にかおでこにシワを作ってたから」
「あ、いえいえ大丈夫です。ちょっと考え事をしてただけでなんでもありませんよ」
答えながらマリコは反射的に額に手をやった。もちろん今は眉間にシワなど入っていない。
「娘よ、ヤボな事を言ってはいかん」
「お父さん?」
「マリコさんはな、この山の向こうに出掛けていったとある人のことを心配しているだけなんだ」
「ちょ、カミルさん!?」
どこから話を聞いていたのか突如会話に加わったカミルが、放牧場の後に続く山々を手で示して滔々とまくしたてる。確かにバルトの組がこの山を越えて行ったということは事実である。だが、マリコは今それを意識していたわけではない。
「今日にも戻ってくるんじゃないかと、仕事にかこつけてここまで様子を見に来たんだ。愛の成せる業だねえ」
「おー、おねえちゃんすごい」
「ちーがーいーまーす!」
カミルに巻き込まれてアリアまで納得しそうになっている。マリコは必死になって今日来たのは偶然であること、バルトだけを心配しているわけではないことを主張した。言いつのりながらもマリコはふと、サニアがわざわざ自分に忘れ物を託したのはカミルの言葉と同じような意図があったからではないかと気が付いた。
(夫婦揃って何してくれるんですか、全く!)
何とかアリアの誤解を解いたマリコは、肩で息をしながら八つ当たり気味に昼食の続きをかき込んだ。
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