232 神々の研究 6
サブタイトルを変更しておりますが、前回の続きです。
「エ、エイブラムさん?」
迫るエイブラムにマリコは少々腰が引けた。もっともソファに座っているので実際には腰は動かず、上半身が後ろに泳いだのだが。マリコの様子と言葉にエイブラムはハッと我に返り、マリコから目をそらしてオホンと一つ咳払いをした後ソファに深く座りなおした。さすがに熱が入り過ぎたことに気が付いたらしい。
「失礼しました。つい、年甲斐もなくはしゃいでしまいました」
「い、いえ、大丈夫です」
(この人、根っこの部分ではブランディーヌさんと類友なんじゃないですかね)
それでも年齢を重ねている分ブランディーヌよりは自制が効くようである。エイブラムが一応下がってくれたので、マリコは仰け反りかかった上体を戻すと先ほどのセリフにあった気になる部分を口にする。
「え、ええと、そこから先、というのは……」
「はい。これまでの調査から今申し上げた状態回復などの魔法が使える方は全て、効果の高い治癒も使えるということが分かっています。故に、これらの魔法は治癒を基礎とした中級魔法、上級魔法に当たるものだろうと考えられているのです」
「ああ、それで『先』ですか」
マリコが前にタリアに聞いた話からすると、この世界の魔法もゲームと同様に習得の難易度によって下級、中級、上級と分けて認識されているはずである。同系統の魔法だと上級、中級を習得するためにはそれに対応する中級、下級の習得が必須となっていることが多い。エイブラムが言っているのはそのことなのだ。
「ええ。治癒を下級呼ばわりするのは心苦しくはあるのですが、分類上はそういうことになります」
「でも、考えられているっていうのは……あ」
マリコの知識では治癒は下級、病気治癒は中級、修復は上級の魔法とされていたはずである。それが何故未確定情報のように言われるのか不思議に思ったマリコは、それを口にしかけて気が付いた。確定されていたのはゲームでの話であって、この世界でのことではないのだ。
「そうです。例えば火矢と火球が下級中級の関係にあることは様々な検証によって確認されています。しかし、治癒系統の魔法は先ほど申し上げた通り、使い手が少ない上に狙って取得するのも検証するのもいろいろと問題があるのです。そのため、今のところは仮定ということになっております」
どうやらマリコが言葉を止めた理由を勘違いしたらしいエイブラムは、マリコの疑問に答えるように話を続けた。その仮定を確定とするために、回復系魔法の使い手に話を聞いて回って情報を積み上げているのだという。殊に修復や病気治癒は使い手が少ないので情報がなかなか集まらないと嘆いた。
「キ、病気治癒ですか……」
エイブラムの話を聞いたマリコの顔が若干引きつる。今のところこちらで使ったことはないが、回復系魔法完全習得のマリコは当然使えるのである。
「マリコ様、もしや……」
冷や汗を浮かべるマリコの様子を見たエイブラムの目に希望の火が灯る。マリコにはそれがギラリと光る肉食獣の目に見えた。
「使えるのですか!?」
再び身を乗り出しつつあるエイブラムに一瞬逃げたくなったマリコだったが、使えないと嘘を言う気にはならなかった。黙ったまま頷き返す。
「おおお!」
「うるさいよ、エイブラム!」
遂に腰を浮かして叫んだエイブラムに、これまで書類と格闘しつつ黙って聞いていたタリアから声が飛んだ。一緒に書き損じを丸めた紙くずも飛んでくる。
「いいトシして何を大騒ぎしてるんだい。ごらん、マリコが怯えてるじゃないかい!」
実際にはドン引きしているだけで怯えているという言われ様は心外ではあったが、今そこを訂正していては話が進まない。タリアに乗ることにしたマリコはそれらしいポーズを作ってうんうんと首を縦に振った。
「ああ、いや、失礼致しました」
腰を下ろしてカップのお茶をあおり、ふううと一度深呼吸した後、それでも興奮冷めやらぬといった風情でエイブラムは言った。使い手の数で言えば病気治癒は修復ほど珍しくはないが、両方を使える人となると滅多にいないのだという。
「それではお話をお聞かせいただけますか」
「ええと、それなんですが、実は私……」
「ええ、マリコ様のご事情は伺っておりますから、覚えている限り話せる範囲で構いません」
マリコとしては話が女神に及んだ時の予防線として持ち出そうとした記憶喪失設定だったが、エイブラムはそれも承知しているようである。
かくして尋問、いや質問が始まった。
◇
「ご協力ありがとうございました、マリコ様」
「いえ、どういたしまして」
多少疲れはしたものの、どこまで話していいものかと思っていたマリコの心配はほぼ杞憂に終わった。治癒と同様、他の回復系魔法についても神格研究会はその取得条件についてかなり正確に把握していたのである。マリコへの聞き取りはむしろ裏付け調査としての意味合いが強かった。
では何故その条件をクリアして使い手を増やそうとはしないのか。マリコにその疑問を投げかけられたエイブラムはもっともですと頷いて答えた。
「まず、病気治癒にしても修復にしても、その魔法を自らが受けるという条件がありますよね」
「そうですね」
マリコの記憶でも研究会の記録においても、回復系魔法は全てその取得条件の中にその魔法を受けるというものがあったのである。この「受ける」というのは単に掛けてもらえばいいわけではなく、効果が伴わなければならない。病気状態で病気治癒を受けて快復する、というのが「受ける」ということである。
「ということは、病気治癒を進んで取得しようとするなら、自分でわざわざ病気にならないといけません。しかし、それはとてもおかしなことだと思われませんか? 神々は我々の傷を癒すためにこの力を授けてくださった。でもその力を手にするために我らが自らをわざと傷つけるのは、神々の意に背くことになるのではないでしょうか」
言われてみれば確かにおかしな話だとマリコも思った。ゲーム中では魔法取得のために普通に行われていたことなのだが、これはユーザーが苦痛を感じることがないからだろう。修復であればそれを得るために無傷の手足を自ら切り落とすということになる。現実で考えればおかしいどころか狂気の沙汰とさえ言える。治癒の話の時にもエイブラムは「実際的ではない」と言っていたではないか。
「じゃあ、どうして調査を続けてるんですか」
「今はまだ見つかっていませんが、どこかにあるかもしれないではないですか。自らを傷つけることなく神の力を得る方法が。私はそれを探しているんです」
エイブラムは屈託なくそう言い切って笑った。
その後、今日はこの辺でと書き散らかした紙をまとめるエイブラムを見ながら、マリコはふと女神との会話を思い出して口を開いた。
「神々と言えば、お供え物のことなんですが」
「ええ、なんでしょう?」
「神格研究会では神様にお酒は供えないと聞いたんですが、どうしてなんですか?」
「ああ。命の女神様が寝過ごされた話はご存知ですよね」
「え? はい」
いきなり特定の神の話になって、マリコは目を瞬かせる。
「あれは前の晩にお酒を召し上がり過ぎたからだという説がありましてね。一般にはあまり知られていませんが、神格研究会の中にはそれを信じている一派がおりまして」
「は? まさかそれで……」
「はい、また同じ事があって命が焼き払われることになってはいけないということで、少なくとも神格研究会でお酒を供えるのはやめておこうということになっております」
全く無いのもどうかということで、そこは世間一般に任せることにしているのだそうである。
(見た目さえ碌に伝わってないのに、教会みたいな組織に酒飲んで寝坊したって思われてるんですか)
酒のせいというわけではないはずだが、ほぼ毎朝ミランダに起こされている我が身を顧みて他人事とは思えず、マリコはまだ見ぬ命の女神に深く同情した。
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。
2017/03/17 説明不足に感じた部分を少々追記。




