224 来たるべき者 7
「そんなに落ち込まないでくださいよ。何も私が今すぐ本を書くとかいう話じゃないんですから」
「え!?」
突っ伏していたマリコは明るい調子で言うブランディーヌにヒョコリと顔を上げた。
「確かに私が書ければいいとは思っていますし書きたいですよ? 私も物書きの端くれですから。でもさっきマリコさんが言われた通り、まだ早いんです。今のままだと、ナザールの里に優れた修復の使い手がいるっていうだけになってしまいますからね。実際に本が書けるだけの出来事が積み重ならないと。私がここに来たのは、書きたいという気持ちももちろんありますけど、その前にそうした出来事を記録するためでもあるんです」
「記録、ですか」
「はい。例えばマリコさんですけど、このまま行けば癒した人の数だけでも歴史に名前が残る可能性は高いと思います」
「はあ」
マリコは一応頷いたものの、歴史に名がと言われても今ひとつピンと来なかった。マリコの感覚だとそれは歴史の教科書に出てくるような人たちのことであって、そこに自分を並べてみるなど想像の外もいいところである。そんなマリコを置いてブランディーヌの話は続く。
「後々伝記が書かれるかもしれません。私が元気なうちに書けるならそれに越したことはありません……例えば『聖女マリコの奇跡の軌跡』とか。……あ、これいいですね。忘れないうちに……」
ブランディーヌは自分の思いつきに膝を打って話を止めると、ノートに何やら書き込んでいる。マリコとしては自分の伝記というのも大概だが、正直そのネーミングはどうだろうと思ったものの、口にすると薮蛇になりそうな気がしたので黙っていた。
「失礼しました。私が書けるならもちろん書きますが、実際はどうなるかは分かりません。ただ、私だろうと他の誰かだろうと書くためには基になる資料が必要になります。そしてそれは正しく詳しい方がいい。ですから私は記録するんです」
そこからさらにしばらく記録の重要性を説いた後、「結果的に記録者として私の名前も残りますしね」と締め括った。人は死して名を残す、ではないが名前が残ることがそんなに重要だろうかとマリコは思う。
(名前が残らなくても、生きて目の前にいてくれる方がずっといいじゃないですか)
そういう意味合いの話ではないと頭では分かっているものの、マリコはついそう思った。
「そんなわけで、当面こちらでごやっかいになりますのでよろしくお願いします」
「はあ」
マリコの想いをよそに明るく右手が差し出され、マリコは一応その手を握った。それを力強く握り返してブンブンと振りながらブランディーヌは言う。
「前からナザールの里には来てみたかったんですよ。タリア様にもお話をお聞きしたかったですし、ここにはバルトランドさんの組もいらっしゃいますから。希望を聞いてくれた上には感謝ですよ」
「え、バルトさん?」
ブランディーヌの口から出た思わぬ名前に、マリコはつい聞き返した。ヒューマンの国に住んでいたはずのブランディーヌが、タリアはまだしもどうしてバルトを知っているのか。
「ええ、バルトランドさんです。ここで一番の組なんでしょう? 中央四国でも名前は聞こえてますよ」
「へえ」
バルトたちの強さはそんな遠くまで響いているらしい。マリコはバルトが褒められているような気がして何となく嬉しくなった。そしてそう感じた自分に気が付いてハッとする。
(いやいや、何を喜んでるんですか私は。ええと、これはそう、知り合いが何かの大会で優勝した話を聞いたようなものだからです)
「もちろんバルトランドさんたちだけじゃなくて、各方面の最前線で強いって言われている探検者のことは皆結構気にしてるんですよ。その中で一番強いのはどこだろう、みたいな話もよく出ますね」
「そうなんですか」
どうやら本当にスポーツ選手か何かのようなノリで見られているらしい。
「それに……」
「それに?」
「さっきも少し話をしてきましたけど、バルトランドさんは優男でトルステンさんは厳つい大男でしょう?」
「は?」
ほぼ毎日顔を合わせているし、手合せもするマリコは知っている。トルステンは確かに大男の部類だろうが、バルトは特に優男というほどではない。結構筋肉の付いたいい身体をしている。そこは言っておいてやらないと男のプライド的にバルトが気の毒だろうとマリコには思えた。
「いや、トルステンさんはともかくバルトさんは優男ではないでしょう」
「そうですか?」
「そうですよ」
「やけに言い切られますね。もしかして見たことがある……とか」
「そんなことがあるわけが……」
反射的に言い返しかけたマリコはそこではたと言葉に詰まった。脳裏に風呂場の一件が甦る。一応、見たことはあるのである。
「まさか本当に?」
「……ええと」
マリコは必死に頭を回転させる。しかし、ここで嘘を吐いても今の自分ではすぐにバレそうな気配しかしなかった。仕方がないと事実を端的に述べることにする。
「前に一度、風呂場の、事故で」
「覗いたんですか!?」
「誰が覗きますか!」
マリコは吠えた。何が悲しくて男湯なんぞを覗かねばならないのか。覗くのなら女湯だろうと思ったところで、女湯に関しては最早覗く必要などない立場なのだと思い出した。思わずふうとため息が出る。
「それで、バルトさんとトルステンさんがどうだって言うんですか」
「……その、似合うと思いませんか?」
「はあ!?」
(何を言い出すんですか、この人は)
他ならぬブランディーヌのセリフである。何がどう似合うのか、マリコには聞かずとも分かってしまった。これまでこの二人をそういう目で見たことはもちろんない。それ以前に、自分が直接知る誰かでそういう想像をしたことはなかった。しかし。
――たくましい男性には優男の相棒が似合う
――黄金は水面に揺蕩う
先のブランディーヌとの会話と風呂場での記憶が相まって、マリコはうっかり二人のそういうシーンを頭に思い浮かべてしまった。
(うわあ……)
マリコは己の妄想に頭を抱えた。
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