218 来たるべき者 1
2017/01/23 前話(217 新たな日常 16)に若干追記しました。ストーリーには影響ありませんが、気になる方は「前の話」をご覧ください。
翌日、マリコは朝から大忙しだった。もちろんマリコ一人だけがということではなく、宿全体の話である。急にそんなことになったのには当然訳があった。麦刈りも今日が最後だろうというのは二、三日前から言われていたことである。それが今朝になってよく晴れていた時点で頑張れば昼頃には終わるんじゃないかという空気が皆の間に流れた。
その後もやることはあるが、とりあえず刈入れが終われば打ち上げが待っている。となれば、一つ気合を入れようかという気にもなるのが人情である。その結果、本当に終わりが見え始め、早々に今夜のはずだった宴会が昼に前倒しされることになった。
前倒しと口で言うだけなら簡単だが準備する方はそうはいかない。基本的には定食だけの予定だった昼の献立が居酒屋メニューに変わるのである。仕込みの手間だけでも大幅に違う。厨房は上を下への大騒ぎになった。
幸いなことに材料は揃っていたので後は人数を投入しての総生産体制である。作業台が持ち出されて中庭は臨時の厨房となり、パートや見守る会の女性陣も包丁を振るう。焼き鳥などマリコ発案の料理についてはまだレシピが里中にまでは広まっていなかったので、マリコは臨時のメンバーに教えつつ自分の作業も行うという非常に忙しないことになった。
◇
宿屋前の広場は静まり返っていた。そこに集まった人々の視線は、開け放たれた宿の入り口の前に立つ白い泡の盛り上がったジョッキを手にしたタリアに向けられている。
「おかげで今年の麦刈りも無事に終わった。皆、今日は十分にやっとくれ。それでは乾杯!」
「「「「「乾杯!」」」」」
あっさりした挨拶を済ませたタリアがジョッキを掲げて宴の始まりを宣言する。木のジョッキをぶつけ合う音がゴンゴンと響き、広場は一気に喧騒に包まれた。一仕事終えた後、暖かな日差しの中で真昼間から干す酒が不味い訳がない。皆笑顔を浮かべて飲み食いし始めた。
「「「乾杯!」」」
宿の建物の中でもジョッキが掲げられて打ち合わされる。マリコもミランダやサニアたちとジョッキを当て合い、それを一気にあおった。
「ぷふぅ、ああ、生き返りました」
例によって白い泡ヒゲを付けたマリコは空になったジョッキをタンと音を立てて作業台に置いた。サニアはそれをすかさず取り上げると、マリコに悪戯っぽい笑みを向ける。
「マリコさんは一杯で足りるのかしら? おかわりは?」
「もちろんいただきます」
マリコはニヤリとサニアに笑い返すと躊躇せずに答えた。実際身体が水分を欲しているのである。断る理由など無かった。サニアは元々自分が持っていた――こちらは果物のジュースが入っている――ジョッキを脇に置くと、マリコのジョッキに二杯目を注いで渡してくれる。受け取ったそれに口をつけ、マリコはもう一度ふうと息を吐いた。
「ミランダはおかわりどう?」
マリコの様子に笑みを浮かべていたサニアが今度はミランダを振り返る。マリコのように一気飲みしたわけではないが、ミランダのジョッキも空になっていた。
「いや、今はやめておこう。本番はこれから故な。あんまり赤くなっても困る。それではサニア殿、マリコ殿、こちらは任せた」
ミランダはそう言うとジョッキをサニアに渡してカウンターの外へと向かって行った。打ち上げの宴はミランダの言った通り、今始まったばかりである。マリコも二杯目を先ほどよりは時間を掛けて飲み干すとそれをミランダと同じようにサニアに託し、自分の持ち場、即ちかまどの前へと戻ることにした。
そちらに向かいながら、マリコはふと給仕に戻ったミランダに目をやった。すると、カウンターの近くの席に陣取っていたアドレーに早速何やら話しかけられている。マメなことだなあと微笑ましく思いながら、そこからの連想でつい別の探検者の組に目を向けてしまった。
アドレーほどあからさまではないものの、かまどの前に立つマリコの姿が見える席、言い換えればマリコからもその姿を見ることができる位置にいるバルトの組である。そのバルトはと言えば、あの日以来大抵こうしてマリコの視野に入るところに席を取るようになった。
そのくせアドレーのように直接何かを言ってくることもなく、マリコからすると相変わらず何を考えているのかよく分からない。無口な方なのかと思っていたら昨夜はメイド服について熱く語っていたのでそういうことでもないらしい。何となく腹立たしく思いながら、マリコは仕事に戻った。
◇
しばらくの後、マリコは時々冷却剤を追加投入しながらも、焼き物だ揚げ物だと相変わらずかまどの前で奮戦していた。集まっている人数が多いこともあって、注文が途切れることもほとんどない。宿の中も外もワイワイと楽しそうなざわめきが続いていた。
(まさか夜の店仕舞いまでこのペースが続くんでしょうか)
一瞬怖い考えが頭を過ぎり、さすがにそんなことはないだろうと思い直したところで外が騒がしいことに気が付いた。何かガラガラという音も聞こえてくる。
「あれは馬車の音ですよね?」
「そうね。誰か行商にでも来たのかしら」
ちょうど近くにいたサニアに聞くと、マリコの予想とさほど変わらない答えが返ってきた。ナザールの里は特に何があるわけでもない最前線なので、馬車を使ってまでやってくるのはまず間違いなく行商か何かの配達かのどちらかである。
じきに馬車の音は止んだが外の騒ぎは収まらず、宿の入り口に姿を現したのはマリコも知っている人物だった。
「あれ? パットさん」
「ええ。今日の配達は朝の内に済んだはずなのにどうしたのかしら」
パットは飛脚、つまり転移門を利用して手紙や荷物の集配をする仕事に就いている初老の男である。このパットはここナザールの門と隣の門とを担当しており、この数日でマリコも何度か会っていた。
しかし、いつもなら一人でやってくるはずのパットには連れがいた。数人のパットと似たような格好をした男たちが次々と現れたのである。しかもそれだけではなかった。パットたちに続き、ナザールの者に左右から支えられたり担がれたりした数人の男女が運び込まれたのである。
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