217 新たな日常 16
(んっ。こ、これは……)
あわてて口を押えたマリコはバババとページをめくって中身を斜め読みする。最後まで目を通し終え、パタリと本を閉じてはあと息を吐いた。
(これは……子供には読ませられないお話です)
これがどういう類の話であるかはマリコも知っていた。まだ若かった頃、『ウイング主将』だの『検非違使スターアロー』だのの漫画を基にしたそういう本をその手のイベントでよく見かけたものである。マリコは本を置くと隣に座っている女神にジトリとした目を向けた。
「いきなり叫んだかと思うたら、何を変な顔をしておるのじゃ」
「変な顔は余計です。ああいや、それよりこれ、他の本もこんななんですか?」
「ん? こんな?」
「ええと、その、男同士の、こういう……」
「ああ、BLとかというのじゃな」
「知ってるんですか!?」
女神の口からBLという言葉が出たことにマリコは驚いて、思わず身体ごと女神に向き直った。一方の女神はマリコの驚き様に少し目を丸くしているものの、落ち着いた様子で答える。
「驚くようなことかの。わしの出所は彼の世界じゃ。そのくらいの事は知っておってもおかしくはないじゃろう」
「……そういえばそうでしたね」
手は出せないから見るだけ、つまり、干渉はできないが観測はできるというようなことは前に女神から聞いた話である。そうであれば、現実世界の出来事を知っているのも不思議ではない。マリコはそう思うとなんとなく納得した。
「ふむ、それで他の本のことじゃったな。わしが説明するより読んでみればよかろう」
そう言われてマリコは次の本を手に取った。作りは先ほどのものとほぼ同じだが文字の筆跡は明らかに違っていて、それが示す通り作者も別人である。お伺いと女神が言っていた通り、本というよりは原稿か草案を読みやすいように一応本の形にしてあるというもののようだった。
二冊目の本は、風の女神――つまり今目の前に居る女神――が命の女神と美しい景色を求めて世界を巡りながら戯れる、という内容である。命の女神は風の女神と同年代の白黒虎縞の猫耳少女として描かれており、幻想的な童話という雰囲気だった。もう少し直接的な描写が多ければ、マリコは先のBL話と比較して百合話と断じていただろう。
「んん?」
マリコは首をひねりながらさらに次の、そして今ここにある最後の本を取る。今度は豊満な肢体を持つ水の女神が洞窟でスライムと戯れる、というかスライムに戯れられる話だった。水の女神のセリフを構成する文字の大半は「あ」と「い」と「う」と「ん」で、特に「あ」が多く、途中で「ん」ばかりになったりする。いわゆる「男性向け」であった。はっきり言ってエロい。
「これは一体どういうラインナップですか」
上げた顔を女神に向けながらマリコは言った。三冊の内容があまりにバラバラでマリコとしては首を傾げざるを得ない。どうやら女神の趣味というわけではなさそうである。共通点があるとすれば、どれも神々が登場することくらいだろうか。
「ん? 読み終えたか。では先にそれを渡すのじゃ」
マリコの疑問に答えずに本を受け取った女神は、三冊それぞれの裏表紙にいつの間にか取り出したスタンプをポンポンと押していった。机まで行くのが面倒なのかベッドに座り込んだ自分の足の上に本を置いてである。押し終えた後、それをマリコの方へ向けて言う。
「こういうことじゃ」
一冊目と三冊目には「妄想話・成人向」、二冊目には「創作童話」という赤い文字がスタンプされていた。続けて女神が言うには、題材として神々を取り上げた作品については今回のように女神に確認と振り分けの依頼が来るのだそうだ。
女神はそれらを読んで「神話」や「実話」、「妄想話」などに振り分け、内容によっては成人向のような制限を付ける。あまりに酷い話だと発禁処分になるそうだが、さすがにそれは滅多にないらしい。この振り分けの後、本当に本として発行されることになる。
こと神々についての事柄は未だに知られていない部分が多いため、「嘘や間違いが流布してしまうのを防ぐための措置なのじゃ」と女神は締め括った。
「じゃあ、本当にそういう趣味があって読んでいるわけではないんですね」
「面白ければ何でもアリじゃ」
それはBLも好きだと言っているのとあまり変わらない気もするなとマリコは思ったものの、それを口に出すことはしなかった。間口の広さは自分も似たり寄ったりなのである。
「……そうですか。でも、どうしてまたこういう妄想話まで許可できるんですか」
自分が主役として登場する官能小説なんぞ書かれたらたまらないではないか。そんな気がしてマリコは聞いた。
「ふむ。おぬしの気持ちも分からぬではないがの。妄想とは可能性なのじゃ」
「可能性?」
「そうじゃ。こういうお話についてはまあともかくじゃが、今はない物を妄想する、今はできないことを妄想する、これは文化や技術を発展させる原動力なのじゃ」
「文化や技術、ですか」
また話が随分壮大な方へと飛躍してマリコは目を瞬かせる。
「そうじゃ。もっと美味しい物や楽ができる物。思いついただけならそれは妄想に過ぎぬ。じゃがそれをなんとか工夫して現実の物にしてきたのがおぬしの元の世界じゃろうが」
「それはまあ……」
女神が言っているのは「人が想像できることは人が必ず実現できる」みたいな考え方なのだろうなとマリコは思った。
「故にわしは妄想すること自体を妨げようとは思わぬ。それにの、神々に対する妄想も可能性のひとつではあるのじゃぞ。おぬし、この二冊の差に気付いたか」
女神はそう言って一冊目と三冊目を取ってマリコに示した。BL本とスライム本である。もちろん女神はそういう差のことを言っているわけではない。
「その二つだと……ああ、もしかして水の神様ですか?」
BL本の水の神は男神、スライム本の水の神は女神だった。現在の神話上ではこの神が男神か女神かは未確認なのである。
「そうじゃ。これから先、水の神の正体が人々に知れ、もしもこの本のどちらかの内容が本当であるということが確認されたらどうなると思うかの?」
「いや、それはさすがに無いんじゃあ」
「あくまで可能性の話じゃ。それに彼の世界の神話を紐解いてみよ。助平な話には事欠かぬじゃろうが」
言われてみれば多神教の神話、つまりギリシア神話や日本の神話はエロい話のオンパレードである。ハーレムも浮気も同性も近親も、それこそ何でもアリだ。
「故に、わしもまあ無いじゃろうとは思うが、もし事実じゃと認められれば……」
「認められれば?」
「その話はその時から、妄想話ではなく神話となるのじゃ」
ババンという感じでふんぞり返る女神。命の女神の寝坊の話ではないがそんな神話は嫌すぎるだろうとマリコは思った。しかし、可能性だけで言えば無いとは言い切れない話でもあるのだった。
これは言わば「シュレディンガーの猫」のような理屈である。事実が確認されるまでは水の神はBL男神とエロい目に遭う女神が重なり合っているとも解釈し得るのだ、とここまで考えたところでマリコはあれと首をひねった。可能性も何も、目の前にいる女神は事実を知っているはずなのである。
「それで結局、水の神様は男神様なんですか女神様なんですか」
「内緒じゃ。おぬしならそのうち出会うかもしれんからの。自分で確かめればよかろう」
「自分で、ですか」
それはそれでマリコに騒ぎを予感させる。そんなマリコを眺めながら女神は悪戯っぽく微笑んだ。
前話更新後、腐女神(ふじょしん、ふめがみ)認定のご感想を多数頂いて少々あせりました。
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。
2017/01/23 「シュレディンガーの猫」のくだり他を追記。




