216 新たな日常 15
ミランダは猫耳があるせいでヘッドドレスやホワイトブリムを着けるのが難しい。少なくとも今マリコが持っている物をそのまま着けるのには支障があった。
耳の前か後ろに持っていくことになるので、前だと耳を塞ぐ形になり、後ろだと頭頂部より後ろ側に着けることになって頬かむりのようになってしまうのである。ミランダの部屋を出たマリコは、ミランダが着けられるようなヘッドドレスの類を作れないものかと考えながら一旦自室に戻った。
今夜の用事も残すところ後一つ。清めの儀である。マリコはメニューを呼び出すと女神の部屋へと移動した。
星空に浮かぶ、石でできた四角いステージ。そこに立ち上がった壁と物干しロープで結ばれた天蓋つきのベッドには、いつものように寝転がる女神の姿がある。マリコは物干しロープにぶら下がる物が昨夜とは変わっていることに気が付いて黙って頷いた。
(どうやら洗濯は自分でしたようですね)
床を見回してみても特にゴミが落ちている様子はない。もっとも昨夜かなり掃除したので、見た目には今日も掃除をしたのかどうかまではマリコには分からなかった。
(昨日の今日でまた早速散らかっているようでは困るんですけどね)
そんな事を考えながらマリコがベッドに近付くと女神がひょいと顔を上げた。今日はさすがに警戒していたらしい。
「おお、今日も来たのか。ご苦労ご苦労」
そう言うと、読んでいた薄めの本を閉じて脇に置いて起き上がる。
「ちゃんと洗濯したんですね。すごいじゃないですか」
「当たり前じゃ。おぬし、わしを何だと思っておる」
物ぐさ女神様です、とは口に出さずマリコは黙って女神の顔を見返した。
「掃除もちゃんとしたのじゃぞ? 女子力が低いなどと在らぬ噂を立てられては敵わぬからの」
「それ、気にしてたんですか」
妙に真剣な様子の女神がマリコには不思議に思えた。
「当然じゃろう。月の女神に会った、女子力が低かったなどという話が知れ渡ってみい。どうなると思うのじゃ」
「どうなるって言うんですか」
「おぬしも神話の本は見たじゃろう? 話が伝わればあれに書き足されることになるのじゃぞ」
そう言われてマリコは思い出した。ここへ来た日にタリアが見せてくれた『世界の始まり』という本。神々の目撃情報や遭遇情報を元に今でも記述が更新されていると聞いたはずである。
「あれに書かれるとそこらじゅうの者が目にするのじゃぞ。しかも一度載ったら訂正するのは容易なことではないのじゃ。それを覆すような出来事がなければの。一つおぬしに聞くが、女神が女子力を示すには何をすればよい?」
そう問われて、マリコは返事に詰まった。手っ取り早いのは料理や掃除といった家事の技能を披露することだろうが、女神が人に対してそんな技を見せる機会などそうそうはないように思える。とすれば、もし書かれてしまえばずっとそのままになる確率が高い。
「難しそうですね、それ」
「そうじゃろう? わしとて命の女神のようなことになるのはごめんじゃ」
「命の女神様?」
「そうじゃ。あやつが命と太陽以外に何と呼ばれておるか知っておろう」
突然引き合いに出された命の女神に他の呼ばれ方などあっただろうかとマリコは首をひねる。
「命の日は何の日じゃ」
「命の日は休みの日……、あ! 寝坊!」
神話の本では、命の女神は寝坊した結果一度地表を焼き払うに等しいことをした、ということになっている。その女神の寝坊にちなんで命の日は休みの日とされているのだ。
「そうじゃ。わしはあんな恥ずかしい故事など作られとうはないわ」
「あー」
命の日が巡って来る度に命の女神の寝坊も思い出されることになる。なかなか起きずにそれになぞらえられたことのあるマリコとしては、恥ずかしい故事という女神の言葉が腑に落ちた。
「故にマリコよ。女子力の低い女神などと、決して他言してはならぬぞ」
「……分かりました」
確かにこの先ずっとそう言われるのは嫌すぎる。マリコは黙っていることを約束した。
「ところで女神様」
「なんじゃ」
「さっき読んでいた薄い本は何ですか」
考えてみると、マリコはこちらに来てからまともな本らしい本は先の神話二冊以外に読んだことがなかった。前回までは他の事に気を取られていて気にする余裕がなかったのだが、神話の話が出たことでそこに思い至ったのである。
神話の本は和紙らしい紙に和綴じという古めかしい作りだった。しかし、先ほど女神が広げていた本はもっと現代的な作りであるように見えてマリコとしてはそこが気になったのである。
「ん? これか? これはお伺いのようなものかの」
「お伺い?」
「こういう話を書いてみたのだがどうだろう、くらいの意味かの。見てみるか、ほれ」
女神はそう言うとマリコにその本、というより薄い小冊子を手渡した。神話の本より紙もとじ方もより現代的である。白い表紙には何も書かれておらず、確かに普通の本とは少し違うようだった。マリコがパラパラとページをめくってみると手書きらしい文字ばかりでセリフのような行も見える。
「小説かなにかでしょうか」
マリコは適当に止まったページに目を落とした。
◇
「まだ奴のことでウジウジしてるのか?」
ノックもせずに水の男神が部屋に入ると、寝いすに身体を預けていた金の男神が気だるげに顔だけをそちらに向けた。疲れたような顔をした彼の手には酒らしいボトルが握られている。
「お前か、水の男神」
「奴の方が良かったか」
「……いや」
一度視線を落とした金の男神は自分の手にあるボトルに目を向け、それに初めて気付いたように持ち上げ、そして呷った。
「もうやめろ」
歩み寄った水の男神は圧し掛かるようにしてボトルを奪い取る。
「奴はただお前を利用したかっただけだ」
「……」
取り上げたボトルを脇のテーブルに置いた水の男神は寝いすの背もたれに左手を突くと、右手を金の男神の頬に沿わせ、つとその縁をなぞった。金の男神は暗い目をしたまま水の男神を見上げて動かない。
「俺なら、奴がお前に擦り付けていった泥も砂も洗い流してやれる」
透き通った水の色の瞳の奥に、情欲の炎が揺らめく。
◇
「なんじゃこりゃあ!」
マリコの心の叫びは、口を突いてそのまま漏れた。
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