208 新たな日常 7
翌朝、若干睡眠不足気味のマリコは例によってミランダに起こされた。幸いな事に摘み上げられたわけではない。
「何やら眠そうだがどうなされた」
着替え終わった後も大欠伸をするマリコを見てミランダが目を丸くする。これまでそんなことはなかったので少し驚いたのである。
「ちょっと寝付くのが遅かっただけです。大したことはありませんよ」
そうは答えながらもマリコはまだ少々眠かった。昨夜は結局清めの儀の後、洗濯までしてきたので戻って寝るのが大分遅くなったのである。物を食べることができる女神は当然着替えもするということらしい。風呂場の脱衣所に洗濯機と溜まった洗濯物があったのだ。
――明日の晩も見に来ますからね
――何じゃと!? 掃除も洗濯も今したではないか
――ご存知ですか? こういうのは毎日するものなんです
――ぐ、……うるさい小姑のようじゃの
――何か言いましたか?
帰り際にこのような心温まる会話が交わされ、マリコは当分の間なるべく女神の部屋に通うことを決意した。マリコの見たところ、女神は掃除や洗濯ができないのではなく、自らの身体を使ってそういうことをすることに慣れていないだけなのである。こまめにやる習慣ができてしまえば大丈夫だろうと思えた。逆に言えば、放っておいたらやらないような気がするのだ。
そんなわけで今の女神の部屋にはベッドと壁の間にロープが渡され、そこにサリーもどきやミランダの物のようなしっぽ対応デザインの下着――なんと穿いていた――が干されているという、誠にシュールな状態になっているはずである。乾いたら畳んで仕舞うように言い置いてきたものの、女神はちゃんと取り込むだろうかとマリコは思い、少々不安を覚えるのだった。
「ふむ、マリコ殿がそう言われるなら大丈夫なのだろうが」
何か考え込むような様子で微妙に眉間にシワを寄せるマリコを見ながら、ミランダは首を傾げて耳をピョコリと一振りした。
◇
今日は天気も良く、麦刈りは順調に終わりに近付いていた。小麦色の穂波は粗方消え、代わりに藁束の架けられた稲架の列ができている。身体を動かしているうちにいつのまにか眠気も去り、マリコも特に問題なく仕事を進めて行った。
唯一の失敗は手伝いに出掛けるバルトたちを普通に送り出してしまったことくらいだろうか。昨日と同じく自然にいってきますを言うバルトをいってらっしゃいとそのまま見送ってしまったのである。また捕まえ損ねたことにマリコが気付いたのはしばらく経ってからだった。
昼も大分過ぎて昼食時の喧騒が収まった頃、馬に牽かれた一台の荷車が宿屋に到着した。タリアの言っていた打ち上げ用の荷物が届いたのである。
「サニア、マリコを借りていくよ」
「マリコさん? ああ荷解きね」
そんなやりとりがあって、マリコは予定通りタリアと着いた荷物を解いた。中身はもちろん酒、食材に調味料の類が主であるがマリコが手伝っている真の理由はそこにはない。それらを片付けた後、よそに送られていたマリコの所持品が見つかったという話がタリアの口から主だった宿の者に伝えられた。良かったねと言われる度に微妙に申し訳ない思いをするマリコである。
(本当の事を言ってないですからねえ……。ともあれ、これで私がいろいろ持っていてもおかしくないということにはなりましたか)
マリコはアイテムストレージに入っていた物を思い浮かべた。出して使っても大丈夫そうな物もあれば、人に見せるわけにはいかないような物もある。そして、荷物が見つかったことになったからこそできることがあるなと思った。
◇
「バルトさん、この後食堂が閉まってから、お部屋にお邪魔させていただいてもいいですか」
夕食の時間、遂にマリコはバルトを捕まえた。バルトの組の面々が着いている席に給仕に行った時にこう言ったのである。その声はさして大きくもなかったが、その辺り一帯に緊張を走らせるには十分だった。
バルトがギョッとしたような顔でマリコをまじまじと見返し、その隣に座ってジョッキを傾けていたトルステンがむせ返った。その背中をカリーネが叩き始めたところで初めて、マリコは自分の言葉が足りていなかったことに気が付いた。
「ああ、いえ、違うんです。ええと、用があるのはバルトさんじゃなくて……、いや違います。バルトさんだけではなくて、組の皆さんなんです。バルトさんの部屋が皆さんの集合場所になっていると思っていたんですが、違いましたか?」
宿の仕事でバルトの部屋の状態を知っているからこその判断だったのだが、説明なしにいきなり通じるものでもない。わたわたと手を振ってマリコがそう付け加えると、硬直したかのようだったバルトがようやく動き出した。
「えー、あー、いや、間違ってない」
バルトが何とかそう答えると、マリコはホッと息を吐いた。
「ではお邪魔しても?」
「ええと……、ああ、構わない」
組メンバーの顔をぐるりと見回したバルトは、特に反対する者がいないことを確かめてからそう答えた。
「では、後でお伺いしますね。皆さんも」
マリコはそう言ってカリーネたちの顔を順に見回す。それぞれが頷くのを見届けると、マリコは下げた食器を載せたトレイ片手にカウンターへと戻っていった。残されたバルトたちはお互い顔を見合わせる。
「私たち全員にって、一体何の用なのかしらね」
「バルトに何か言いたいことがあるっていう話でもなさそうだよね」
カリーネとトルステンの疑問に答えられる者はその場にはいなかった。
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