206 新たな日常 5
「どうしました!?」
「ああ、これなんだけどね」
割れている物があったという話ではありませんように、と祈りながらタリアに歩み寄ったマリコは示された先に目を向ける。組ごとにそれぞれまとめて置かれている探検者の証の中で、一つだけ少し離れた位置にあったタリアと書かれた探検者の証。その隣にもう一つ、証が置かれていた。
(え!?)
マリコは目を剥いたものの、上げそうになった驚きの声をなんとか飲み込んだ。それにはマリコと記されていたのである。前に来た時にそんなものがあった記憶は無い。その後に誰かがここへ置いたということになるが、そもそもマリコは自分の証など持っていなかった。とすれば、こんなことをすると言うかできる者の心当たりは一人、いや一柱しかいない。
「昨日の夕方に見た時には無かったと思うんだがね。……その様子じゃあんたが置いたんじゃないんだろう?」
「え? あ、う」
顔に出ていたものらしい。何かいい言い訳はないかと考えていたマリコは、タリアの言葉に思惑を粉砕された。しどろもどろになったマリコにタリアはさらに言葉を重ねる。
「そんなに唸らなくてもいいさね。前にも言ったろう、私も似たような目に遭ったって。何と言うか、あんたも大変だねえ」
少し呆れたような顔をしてため息を一つ吐いたタリアは、かつて自分が経験したことをマリコに話して聞かせた。ナザールと共に門を見つけるまでの間に、偶然とは思えないようなことが続けて起きたり、夢でお告げがあったり、持っていたはずのない物がいつの間にかアイテムボックスに入っていたりしたと言う。
「神々は素直じゃない、というのもおかしいかもしれないけどね。自分たちがさせたいことを直接伝えたりはしないみたいなのさね。こっちの道を行け、みたいなことは示すけれど、その道がどこに繋がってるのかは教えてくれないのが常だったね」
「それはまた……」
随分と不親切な話だとマリコは思った。神には神の都合なりルールなりがあるのかもしれないが、振り回される方の身にもなってほしいものである。
(猫耳ハーウェイ様は好きにしろって言ってましたけど、私が好きなように行動した先にあの人のやらせたいことがあるんでしょうか)
「私の時は最前線から、ああもちろんその頃の最前線、今の隣の街のことだがね。そこからさらに東に向かうことになったところで気が付いたんだよ。神々が連れて行こうとしているのは新たな門なんだろうってね。ただそれまでは、一体何をさせたいんだって何度も思ったもんさね」
マリコの考えを読んだように言うタリアの顔には困ったもんだという表情と懐かしさとが同時に見て取れた。例の面白い物を見るような目つきをマリコに向けた後、証を指してタリアは続ける。
「だからマリコ、これだってあんまり気にしなくてもいいんだよ。大体、証自体はそこそこの大きさの街なら大抵作れる人がいる。……うちの里にはまだ居ないんだがね。だからあんたが持ってたっておかしくはないさね。だけど今これだけがここにあるのも妙だから、とりあえず今はあんたが仕舞っておきな」
「自分で持ってていいんですか?」
マリコの証を取って手渡してくるタリアにマリコは聞いた。
「探検者が根城を変える時には当然これも持って行くからね。だからこれだけが先にここにあるより、明日か明後日に届くあんたの荷物に混ざってたっていう方がいいだろうと思うがね」
「分かりました」
荷物が出てきたという話になってから改めてここへ置いた方が確かに目立たない。マリコは受け取った自分の証をアイテムボックスに仕舞い込んだ。
「そういえばミランダ、あの娘も持ってはいるはずさね。こっちへ来る時に一応作ってもらったって言ってたからね。ただ、当面探検者として探検に出ることはないだろうから自分で持ってるって言ってたかね」
「そうだったんですか」
続くタリアの言葉に頷きながら、マリコは探検者としてのミランダを考えてみた。野豚狩りレベルならミランダが後れを取ることはなさそうである。灰色オオカミが相手でも一対一ならさほど苦労せずに勝てるだろう。
剣の腕を上げたいというミランダの望みを考えるなら探検者として経験を積むのは有効であるように思える。しかし、一人で探検に出掛けるのはさすがに無茶が過ぎる気がするので、もし本当に探検者として活動するならどこかの組に入るのが現実的だろう。
とは言え、とマリコは思う。ミランダがこの里に来た理由から言えば、アドレーのところに入るのでは本末転倒もいいところである。男女比の問題やら何やらを考慮に入れるとバルトのところが一番マシに思えるが、担当する区域からいうと今度はミランダの腕前の方に不安が残る。昨日のようなことが起きるならなおさらだった。
(なかなか難しそうですねえ)
自分のことは一時棚上げしてマリコは一つ息を吐いた。
◇
執務室に戻った二人が書類を片付け終わると、食堂の方も閉める頃合いになっていた。タリアの元を辞してマリコが食堂に帰ってみると皆引き上げた後らしく、バルトたちも含めてフロアにはもう客の姿は見えない。ミランダたちと洗い物を済ませ、翌日の打ち合わせなどをやっているとじきに風呂に入りに行かねばならない時間になる。
風呂から上がって今日の業務は終了ということになったものの、さすがにもうバルトの部屋に押しかけていい時間ではなかった。行くところを誰かに見られたら確実に夜這いだと思われるだろう。そう考えたマリコは今夜バルトと話をするのを諦めざるを得なかった。
(何となく避けられているんじゃないかという気もするんですよね)
普通に挨拶はしてくるくせにそれ以上は近付いてこない今日のバルトの態度を見てマリコはそう思った。
(さて)
皆と分かれて自分の部屋に戻ったマリコだが、まだ着替えて寝るというわけにはいかなかった。やっておきたい仕事が残っているのである。着込んだメイド服をチェックし直したマリコは首のチョーカーにそっと手を触れた。
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