203 新たな日常 2
「マリコさん」
厨房から仲間たちと合流するバルトを見送っていたマリコは、カウンターから振り返って見ていたサニアに声を掛けられた。
「その手」
「え? あ!」
マリコは言われて初めて気が付いた。いつの間にか胸元で小さく手を振っていたのである。あわててその手を反対の手でつかんで引き下げる。
「無理にやめなくてもいいのに」
「い、いや、これは何でもなくてですね……」
「そう? なんだが微笑ましかったわよ。あ、はーい、ごはんのおかわりね」
マリコが言い訳をする暇もなく、言いたいことを言ったサニアは追加注文に呼ばれて行ってしまった。取り残されたマリコは振っていた方の手を持ち上げて見つめながら、また覚えた既視感に首をひねる。こうして誰かを送り出していたことがあるような感覚。しかし、事実の通りなら自分は見送られる側で、手を振って送り出してくれたのは真理子ではなかったか。
思考の海にダイブしかけたマリコは、ふと自分に向けられた視線に気付いて顔を上げた。何人かがあわてて目をそらしたがマリコの方を見たままの者もいる。考えるまでもなくマリコやバルトたちは里の住人の注目を集めていた。ボスオオカミの件にしても夜の騒ぎの件にしてもまだ昨日の今日なのである。
マリコに向けられた目は概ね三つに分けられた。生温かい目、納得したような目、どこか安心したような色を浮かべる目である。爆発しろとでも言い出しそうな顔をしている者もいないではなかったが、これはマリコではなく出口に向うバルトの方に向けられていたのでマリコの目には入らなかった。
生温かい目が向けられるのはマリコにも分かる。自分に余波やとばっちりが来ない限り、他人の恋路は生温かく見守りたくなるものである。納得したように頷かれるのもマリコとしては微妙だが分からないでもない。主観的には認めたくないところであるが、客観的にバルトとマリコの外見を比較した場合、困ったことに少なくとも全くの不釣合いには見えない――むしろお似合いのようにさえ見える――のである。ただ、分からないのが安心したような顔だった。
(仮に私とバルトさんが付き合っているように見えたとして、それで一体何に安心するというのでしょうか?)
いっそ誰か口に出して突っ込んでくれれば判断の仕様も言い返し様もあるのだが、どういうわけか皆見守っているだけで誰一人その話題に触れてこない。バルトとの話が済んでいない現状で自分から話を振るのもはばかられるし、迂闊なことを言ってまたプロポーズ大作戦が始まっても困る。マリコは首を傾げつつも、黙って定食の注文をこなしに戻った。
今日のマリコというか麦刈り期間中のマリコは基本的に宿で仕事をすることになっていた。元々は刈入れの手伝いにも出る予定だったのだが、ちょくちょく怪我人が出るので治癒要員としてできれば――探さなくても済むように――あまりあちこち動かずにいてほしいということで宿詰めとなったのである。
マリコとしても理解はできる話でもあり、元より宿屋の業務こそが本来の仕事なので特に断る理由も無かった。食堂の内外で調理やら配膳やらをこなし、時に運び込まれる怪我人に治癒を施す。宿に詰めていても忙しいことに変わりはなかった。
◇
昼食が一段落した後、昼休みにしては少々遅い時間になってしまったがとにかく休憩ということになったマリコは宿の外に出た。行き先はサニアたちに告げてあるので何かあってもすぐ見つけられるはずである。
まずは鍛冶屋に駆け込んだ。マリコには給料をもらったら最優先で買おうと思っていた物がある。魔晶の代金を手にしたことで給料日を待たずして手に入れることが可能となったそれは……。
「剃刀をください!」
マリコの勢いに目を丸くする鍛冶屋の主人からミランダが持っていたのと同じような物を売ってもらい、次に向かったのは雑貨屋である。
(これでいちいち借りなくても済みますし、サニアさんに咎められることもなくなるのです!)
剃刀とそれを研ぐための革砥と呼ばれる道具。この二つだけで今朝もらったお金の半分近くが吹き飛んでしまったがマリコに後悔はない。捕獲されて剃り上げられる羞恥プレイの恐怖から解放されるのなら安いものである。
雑貨屋の店先でひとしきりくくくと笑って気が済んだマリコは、次に箒だのちりとりだのを物色し始めた。こちらは自分自身や宿屋に必要な物ではなく女神のための物、即ち清めの儀に使うつもりの物である。
(あの物ぐさっぽい女神様がまともに掃除道具を置いてあるとは思えないですからね)
清めの儀であろうとなかろうと、マリコとしてはあの部屋の惨状をそのまま放置しておく気にはなれなかった。であれば道具も自分で準備しておいた方が手っ取り早いというものである。
要りそうな物をかき集めて買い込んだマリコは宿へと帰った。服屋には寄っていない。さすがに十日も経つと紐パンにも慣らされてしまっており、穿く時に困ることもなくなった。下着類についてはとりあえず今ある分でいいやというのが今のマリコの感覚である。標準装備が紐パン。慣れとは恐ろしいものである。
一旦自分の部屋に戻ったマリコは、買っては適当に放り込んだ品物を整理しておこうとアイテムボックスを開いたところであることを思い出した。
「メニューとアイテムストレージ……」
今朝、後で見ようと思っていたはずなのに仕事に追われているうちにすっかり忘れて先に買物に行ってしまったのである。もう一度女神の間に行くにしてもその方法はメニューで確認しておかねばならない。何をやってるんだと、マリコははあとため息を吐いた。
(まあ、今すぐ女神様のところに行くわけにもいきませんし、お店が開いている間でないと買物もできないんですから、間違いではなかったと思うことにしましょう)
そう自分を慰めたマリコは、買ってきた物をそのまま持っておく物と部屋に置いておく物に選り分けた。アイテムボックスを閉じ、首のチョーカーに手を当てる。
「メニュー!」
見慣れたウィンドウが、マリコの目の前に展開された。
マリコ一人で動いてると会話がない……(汗)。
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。




