202 新たな日常 1
「いや、あんな可愛らしいマリコ殿が見られるとは……」
「知りません!」
マリコとミランダは今、朝練に向っていた。ミランダは先ほどの出来事がよほどお気に召したようで、逃げるように早足で進むマリコの後を追いながらまた同じ話を繰り返す。
つい十数分前、ミランダに摘み上げられたマリコは驚いて飛び起きた。その際の悲鳴と庇うように両腕で胸を抱えて涙目でにらんでくるマリコの様子が、ミランダの琴線に触れた上に大いにそれをかき鳴らしたらしい。明日からも毎朝ああやって起こして差し上げるべきか、などと恐ろしい事を言う。
(きゃあって何ですか、きゃあって。あんな女の子みたいな声を上げるなんて)
思い出すだけで困惑と共に何故か頬が熱くなるマリコとしてはむしろ記憶を封印したい気分である。ただ昨夜は、単に猫耳が好きというだけでなくいろいろと思うところがあったにしても、さすがにやり過ぎたような気がしていたのだった。それについてミランダが何も言ってこないのは今の件のおかげだろうともマリコには思えた。
ミランダが一緒にいる状態でバルトの部屋に押しかけるわけにもいかず、ここなら捕まえられるかと思ってやってきた朝練だったが、その朝バルトの組メンバーは結局誰も姿を見せなかった。考えてみれば彼らは昨日ボロボロになるまで連戦したのである。疲れもあるだろうし、治癒や修復で治っているとはいえ怪我の影響もあるかもしれない。安静にしているのが普通だろう。
同じく大怪我をしたマリコだったが、こちらはレベルアップで回復したおかげか特に疲れも後遺症のようなものも感じない。修復を使われた際、後にどういう影響が残るのかトルステンにでも確認しておく必要があるなとマリコは思った。
麦刈りの最中というこの忙しい時期には、元々里の者も滅多にやって来ない。折角来たのだからと言うミランダに付き合ってしばらく手合せをした後、二人は湯を浴びてから宿へと戻っていった。
◇
「マリコさん、はいこれ」
ミランダと一緒に厨房に入ったマリコはサニアから小さな布袋を手渡された。チャリッという音と大きさの割りに手にずっしりくる重み。中身はどうやらお金らしい。
「これは?」
「昨日渡せなかったマリコさんの取り分よ。とりあえず魔晶の分だけだけどね」
「ああ」
ボスオオカミ一頭とそれがドロップした物はマリコの物になる、という話になっていたはずなのである。その後いろいろあったせいでマリコの頭からはすっかり抜け落ちていた。袋の口を開けて中を覗くと十数枚のコインが入っているのが見える。
「あの大きいオオカミからは一型が十個も出たそうよ。だから全部で八G七十S。確かめてみて」
この手のお金はその場で確認しておかないともし間違いがあった時に後でもめる元である。それほどの枚数でもなさそうだったので、マリコは袋の中身をそのまま作業台の上にジャラリと出した。案の定何度も数え直すほどの数ではなく、金貨が八枚と大銀貨が七枚である。
「はい、確かに受け取りました。ありがとうございます」
サニアにそう答えたマリコはお金を袋に戻すとアイテムボックスに仕舞った。魔晶の引き取り価格自体はここで仕事をしているのでマリコもとうに知っている。例えば未使用の一型であれば一個五十Sだった。一Sを百円くらいと考えると一個五千円である。ゲームの感覚でモンスタードロップの宝石と考えると安いような気もするが、主な使い道が単一サイズの充電池であることを思うと結構高い物ということになる。
「毛皮とかは売りに出してみないと分からないから後日ということになるわ。あとは灰色オオカミの分があるから、そっちは精算ができ次第渡すわね」
「はい」
ボスオオカミの毛皮などというものは普段出てくる物ではない。むしろ初めてと言ってもいい物である。適当に値段を付けるわけにもいかないのでもっと大きな街へ持って行って売りに出すことになっていた。競りに掛けられることになるだろうとはサニアの談である。
(初めてお金が手に入りました。支度金の十Gは急いで返さなくていいってことでしたからとりあえずこれで買物が……、あ)
買っておきたい物リストを頭に思い浮かべようとしたマリコは、昨日女神に教わったメニューのことを思い出した。メニューが開けるということはアイテムストレージも使えるということで、その中には「マリコ」の持ち物や所持金が入っている可能性があるのである。昨日いろいろな事がいっぺんにあり過ぎたせいで置き去りになっていることばかりだった。
ただ、今すぐメニューを開いて確認というわけにもいかない。何がどう出てくるかはっきり分からない以上、マリコとしても人目のあるところでは無理だと思った。今日の仕事を終えてからか、せめて一人になれる時を待たねばならない。
◇
やがて朝食の時間が始まった。里の者たちも次々とやってきては麦刈りへと出掛けていく。マリコが厨房で腕を振るっていると、そのうちバルトたちも食堂に姿を見せた。遠目にそれを見てマリコはあれっと思う。見回りから戻ったら刈入れに加わるはずの彼らが革鎧を着込んでいたからである。マリコは近くにいたタリアに理由を聞いた。
「ああ、昨日があれだったろう? 他に異常がないか、見落としがないかってことで近場だけ見てくるってことになっててね。聞いてなかったのかい?」
マリコの知らない話だった。どうやらマリコが女神のところに行っている間に決まったことらしい。バルトはともかく、腕を繋いだトルステンや足の骨折を治したミカエラが大丈夫なのか。心配したマリコは席に着く彼らを見ていたが、身体の動きなどに特におかしいところは見つけられず一応安堵の息を吐いた。
夕方には戻る予定でこの後そのまま出発するという彼らは食事を終えると席を立った。四人をその場に残してバルト一人がカウンターへと近付いてくる。出迎えるようにタリアが前に出た。
「では女将さん、近くを一回り見てきます」
「頼んだよ。無理はしないようにね」
「はい」
タリアとの短い会話を終えたバルトが視線を巡らす。その先にはかまどの前に立つマリコがいた。
「マリコさん」
バルトは落ち着いた声で呼びかける。
「は、はい」
「いってきます」
バルトは昨夜の約束通りのことをしているつもりなのだろう。馴れ馴れしいといった様子は見せず、堂々と正面からマリコを見つめてそう言った。
「え、あ、あの」
何か言わねばと思ったマリコではあったが、この衆人環視の中で例の話を始めるわけにもいかない。わたわたした末にようやく一言だけを搾り出した。
「い、いってらっしゃい」
「いってきます」
バルトはもう一度そう言うと、踵を反して仲間たちの待つ戸口へと歩いて行く。マリコはそれを黙って見送るしかなかった。
ようやく更新できました(汗)。
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。




