002 世界の終わり 2
正門を離れたマリコは、王城からさらに進んだ先にある聖堂へと向かった。聖堂の前庭に転移門がある。
転移門とは、世界各地にある、文字通り転移するための門である。便宜上、門と呼ばれてはいるものの、実際には約五メートル四方の石畳の上に三メートル程の間隔を置いて立つ、高さも三メートル程の石でできた一対の六角柱である。石畳の上に立ち、十分な魔力が込められた魔晶――魔力を込めることができる水晶のような玉――を使用して行き先を決め、石柱の間を通り抜けると、向こう側の転移門へと移動できる。
一見便利そうではあるが、行ったことのある転移門にしか行けない、そこそこ大きな――つまり、容量の大きい高価な――魔晶が必要、付与魔法を習得した者でないと魔晶に魔力を込められない、などの制約も多く、誰でも気軽に使えるわけではない。
聖堂に着いたマリコは、聖人だか高僧だかの像の前を素通りして転移門の石畳に立つと、ゴルフボール程の大きさの魔晶を無造作に取り出した。今のマリコにはこのサイズの魔晶も大した貴重品ではないし、そもそも今になって少々のアイテムをケチっても意味はない。
「解放……転移……目的地……」
転移門の柱に触れると、目の前の空中に地図が現れた。魔晶の魔力を解放して目的地を指定すると、今まで向こう側の景色が見えているだけだった石柱の間に白っぽく光る膜のようなものが架かった。マリコは膜を突き抜けるように門をくぐり抜けた。
◇
転移門を抜けたマリコを迎えたのは、青い空と白い雲と緑の大地だった。灰色の空に慣れていた目を思わず細める。さっきまでと変わらない石畳の上にいて、同じような一対の石柱が立っているがここはもう聖堂の前庭ではない。王都から遥かに離れた田舎の農村の転移門。かつて、マリコが初めてこの世界に降り立った場所である。
世界が終わるというなら、始まりの地でのどかな景色を眺めながら終わるのがいい。世界の終わりを知ったマリコは、最後の瞬間はこの村で迎えようと考えてここにやってきたのだった。
村はずれ、連なる畑と広がる放牧地の間に転移門はあった。マリコは転移門の石畳を降りると、召喚獣の内の一頭を呼び出した。何も無かったところに風が渦を巻き、鹿毛の馬が現れる。
「ヤシマ。ではよろしくお願いします」
呼び出した馬の太い首を撫でてニンジンを一本食べさせた後、鞍にまたがった。牛や羊が草を食んだり、そこここに生えている低木の陰で休んだりしているのを横目に見ながら、放牧地のゆるやかな斜面をのんびりと上って行く。
少し離れた木陰に、見覚えのある羊飼いの男が帽子を顔に載せて昼寝をしているのが見えたが、声は掛けずに進んでいく。男のそばに伏せていた黒っぽい大きな犬はこちらに気付いたらしく、顔を上げて一人と一頭を見送っていた。
放牧地を抜けると林に入った。坂の上、山上へと続く登山道を進んで行く。坂はやや急になったものの登山道にはそこそこの幅があり、細い丸太が地面に一定間隔で打ち付けられてゆるい階段状になっているので、馬で通るのにも支障なかった。普段と変わらない鳥の声を聞きながら木々の間を抜けていく。
しばらくすると少し開けた場所に出た。山側は山の一部を削り取ったように崖がせり上がり、谷側も同じように谷底に向けた崖になっており、全体としては山の斜面にある展望台のような形になっている。
山側の崖下には鳥居のような木枠が作られ、その奥に洞窟が口を開けているのが見える。この洞窟はいわゆるダンジョンの入り口なのだが、今はそちらに用は無い。マリコは馬から降りると、谷側の崖に近づいてそこからの景色を見た。
爽やかに晴れた空の下、放牧地と畑、村の家々を経て隣町へと続く道までが見渡せた。世界の広がりを感じさせてくれたこの場所が、マリコは好きだった。後ろで口を開けているダンジョンに初めて入った時には散々な目に遭ったのだが。
しばらく村を見下ろした後、マリコは小型の竪琴を引っ張り出した。
「もうじきですね」
つぶやくと竪琴を奏で始めた。マリコがこの世界で初めて耳にした曲。馬のヤシマだけが黙って聴いていた。
◇
太陽が中天に差し掛かる。
マリコの目に映る物の全てが白い輝きに覆われ始め、同時に全ての音が遠ざかり始めた。
赤く塗られた竪琴もそれを持つ手も白に染められ、奏でる音色も鳥の声も遠くなる。
輝きはどんどん強くなっていき、音はどんどん遠ざかっていく。
やがて、視界の全てが真っ白に染まり切り、全ての音が聞こえなくなった。
世界が終わりを迎える。
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