198 酒の勢い 11
マリコは今、バルト組の四人とカウンター前のテーブル席に着いていた、というか着かされていた。階段を降りてきたところで捕まって連行されてきたのである。さすがにそのまま自分の部屋に逃げ帰らせてはもらえなかった。四人から投げかけられる視線を避けて俯いたマリコの額に冷や汗が浮かぶ。
カリーネたちの他に食堂に残っているのは隣のテーブルに突っ伏しているミランダとその背後に控えたアドレーたち猫耳五人組。後はタリアとサニアの女将母娘にエリーとジュリアの従業員コンビである。つまり、宿に泊まっている者と宿の者だけで、里の人たちの姿は見えなかった。
バルトを引きずったマリコが宿の階段を登って行った後、阿鼻叫喚の様相を呈した食堂は自棄酒による沈没者が相次いだものの、しばらく前にタリアによって解散させられたという。明日も朝が早いんだよ麦刈りの途中なんだから、と事も無げに言うタリアにマリコは感謝と尊敬の眼差しを向ける。
人気の減ったホールは粗方掃除も終わり、各所に灯っていた灯りもいくつかは効果時間が過ぎて消え始めている。その光景はマリコにも馴染みのあるものだった。朝が早い――つまり夜も早い――農家の面々が追い返され、食堂としての今日の業務を終えた頃合いである。
サニアに聞いてみると案の定、現在の時刻はほぼマリコの予想した通りの二十二時少し前。そして、マリコたちが階上に消えてから概ね二時間が経過したところなのだという。
(二時間……。何ですか、その計ったような御休憩タイムは)
マリコは頬をひくつかせながら頭を抱えた。こちらに連れ込み旅館があるのかどうかは知らなかったが、いかにも何かやらかしてきましたという間を置いてバルトの部屋から出てきたことになる。逆にそれだけの間二人きりで籠っていて何もなかったと言って誰が信じるのかとマリコには思えた。
「ふう。まあ、今のマリコさんの様子を見ていれば、大した事はなかったんだろうなっていうことだけは分かるんだけどね」
「え!?」
てっきり吊し上げが始まるかと身構えていたマリコは、ため息を一つ吐いて妙にあっさりと言うカリーネに思わず顔を上げる。マリコに向けられたカリーネの視線は、悪戯っぽくも何故か生温かいものを含んでいた。
「だってマリコさん、あなたは話があるって言ってバルトを連れて行ったのよ? それともバルトに抱かれてきた?」
「抱かっ!?」
カリーネの直截的な物言いにマリコは目を白黒させた。反射的にブンブンと首を横に振ったものの、バルトの身体の感触が脳裏に甦って頬に熱を感じる。
「あら? 何もなかったわけでもないのかしら」
「ありません! 何もありませんから!」
「そう? まあそこはいいわ」
ムキになって否定すると余計怪しく見えると分かってはいるものの、マリコとしては否定しないわけにもいかない。幸いカリーネは今のところそれ以上追求する気はないらしく、ややニヨニヨした視線を向けてくるだけだった。
「じゃあとりあえず、これであたしたちが部屋に帰っても大丈夫かな」
「そうだねえ。ボクもいい加減眠いし」
「え、ええと? それは一体……」
カリーネの後を受けるように次に声を上げたのはミカエラとサンドラだった。言っていることの意味がつかみ切れず、マリコはつい聞き返す。
「だって、あたしたちの部屋はバルトの部屋のすぐ側なんだよ? カーさんは大丈夫だって言ってたけど、部屋に戻ってもし万が一……ほら、そういう声とか音とか聞こえてきたりしたら気まずいじゃない。だからここで待ってたの。もう少し経って何も動きがないようなら様子を見に行こうって言ってたんだ」
「い、いやそれは」
「ただでさえ、うちにはトーさんとカーさんがいるって言うのに。ねえ、サンちゃん」
「だねえ」
「え」
「ちょっとあなたたち、何を言い出すのよ」
実に嫌な気の遣われ方にマリコが何か言い返そうとした矢先、ミカエラたちの話は思わぬ方向に飛び火して今度はカリーネがあわて始めた。
「だってトーさんとカーさん、二人っきりになったらしょっちゅうイチャイチャしてるじゃない。独り者のあたしたちの身にもなって欲しいもんだわ」
「そこはボクも同感」
「そんなにいつもイチャイチャなんかしてないわよ」
「えー、そうかなあ?」
「そうよ。それにそういう時はちゃんと防音を使って音が漏れないように……」
「ちょ、おい、カーさんっ!」
「えっ!? あ!」
とんでもないことを暴露しようとするカリーネに、先ほどまでいつも通り目を細めて黙って話を聞いていたトルステンが目を見開いて割って入ったが時既に遅し。口元に手をやっても発せられた言葉は戻らない。バツの悪そうなカリーネとは対照的に、ミカエラとサンドラの顔はげんなりしたものになった。場が微妙な静寂に包まれる。
「まあ、仲がいいというのは悪い事ではないんですから……」
沈黙に耐え切れずに口を開いたマリコに四人の視線が集中し、その圧力に屈してマリコは言いかけた言葉を途中で飲み込んだ。
「そうよ。今は私とトーさんのことはどうでもいいの。問題はマリコさんとバルトのことなのよ。そうよね、マリコさん」
「は、はい」
いち早く立ち直ったかと思うと妙な迫力を発して向き直ったカリーネに、マリコは思わず背筋を伸ばす。
「バルトはあれでも組のリーダーで、その将来に関わることですからね。組の今後にも直接影響が出るわ。だから、どういう話になったのかだけは聞かせてもらうわよ」
「うぐっ」
バルトに対していかに無茶苦茶なことを言ってきたかは、今の――一眠りして少しは落ち着いた――マリコにも分かっている。そしてそれは確かにバルトだけでなく組にも迷惑を掛けかねないことであり、ミカエラとサンドラへの配慮が全くないという点でも大問題である。
「ふうぅ」
マリコは息を吐いて覚悟を決めると、自分が何をしたかを話し始めた。
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