191 酒の勢い 4
ガタンガコンとイスが引かれる音があちこちで鳴り響き、ホールのそこかしこで男たちが立ち上がった。マリコが思わず見回すと十人以上はいる男たちは皆割りと若い。二十歳前後から三十代くらいまでだろうか。もちろん、その年代の男の全員というわけではない。
カウンターの中から見ていたサニアはそれぞれの男たちの共通点にすぐに気が付いた。恋人や婚約者のいる者と既婚者は一人も立っていない。つまり、現在特定の相手がいない者の大部分が立ち上がったことになる。バルトはどうしているのかとサニアがそちらに目を向けると座ったまま愕然とした顔で固まっており、トルステンやカリーネに揺さ振られているところだった。
「ザット、お前抜け駆けする気か!?」
(ああそうそう、この茶色の髪はザットさん。確か西の方に畑がある……)
立ち上がった男の内の一人が声を上げ、マリコはようやく目の前に立つ男の顔と名前が一致した。食堂に来る面子の顔は大体見知っているものの、さすがにまだ全員の名前までは頭に入っていなかったのである。
「いや待て、そうじゃない。ええと、マリコさん、ちょっとの間待っていてください」
ザットと呼ばれた男は後ろを振り返ると両手の平を顔の横まで上げてそう言い返し、改めてマリコに向き直ってその手の平をマリコに向けて差し出すと、待ってくれのポーズを作った。マリコが頷くと踵を返して殺気を放つ男たちの方へと歩いて行く。
「どういうつもりだ、お前」
「ちゃんと話すからこっちへ来てくれ」
集まってきた男たちとザットは席が空いている食堂の隅に移動すると何やら小声で話し始めた。時折「おお」とか「ああ」とか聞こえてくるものの、何の話をしているのかまではマリコにも聞こえない。
「この先とか、機会がとか論じているようだがそれ以上は聞こえぬな」
「ミランダさん」
男たちの方へ目をやりながらミランダがマリコの傍へとやってきた。当然のようにアドレー以下五名も一緒に付いてきている。ミランダもそこそこ酒が入っているようで顔が赤い。マリコが隣の席を勧めるとミランダはそこへ腰を下ろし、アドレーたちは親衛隊よろしく二人の後ろに並んだ。
「それで、どうなされるおつもりか」
「いやあ、どうなされると言われてもですねえ……」
赤い顔をしている割に意外に真面目な口調で聞いてくるミランダに、マリコはやや間延びしたような声で答える。酔いの回った頭でもさすがに迷う余地はなかった。どうやったら名前も出てこなかった男と結婚とかいう話になるのか。心理的にも常識的にも受け入れる選択肢などないのである。
「そりゃもちろん……」
「マリコさん、お待たせしました」
マリコが言葉を続けようとしたところで横から声が掛かった。ザットが戻って来たのである。マリコが顔を上げるとザットだけでなく先ほど立ち上がった男たちがずらりと並んでいた。
「えー、協議の結果、こういうことになりまして……」
ザットはそう言うとは男たちの前から少し横に避ける。男たちは揃ってザッと一歩前に進むとマリコを見た。
「「「「私と結婚してください」」」」
十数名の男たち――いつの間にかサルマンの組のメンバーも何人か混ざっている――の口から、同じ言葉が一斉に放たれる。マリコは驚きに目を見開いた。何か言おうとしたものの言葉にならずに口をパクパクさせる。
「本気か、貴殿ら」
マリコが言葉を失っていると隣に座っていたミランダの声が響いた。言いたいことを代わりに言ってくれたと、マリコは辛うじて頷いた。しかし、ミランダの話には続きがあった。
「貴殿らはマリコ殿を守れると申されるか。伴侶たる者を守るは夫の務め、男の甲斐性とでも言うべきものであろう。マリコ殿との婚姻を口にする資格、果たして貴殿らにあるのであろうか」
「ミランダさん?」
「戦いの技量においてはマリコ殿の方が貴殿らの誰よりも上回っていること、ここで私がわざわざ言うまでもなかろう。であれば、せめて膂力だけでもマリコ殿を上回っておらねば婚姻など口にするのもおこがましいとは思われぬか」
「ミ、ミランダさん?」
マリコの焦りをよそに、男たちから出たどうすればいいんだという質問にミランダが答える。
「我らには簡単かつ明瞭な方法があるではないか」
そう言って自らの着いたテーブルをポンポンと叩き、後ろを振り返ってアドレーを見上げる。アドレーはというと何とも微妙な表情でミランダを見返した。要するに、せめて腕相撲で勝ってから申し込めと言っているのである。
「何を言い出すんですか。酔ってますね」
「私は酔ってなどおらぬ」
真っ赤な顔をして酔っ払いの定番ゼリフを口にしても全く説得力がない。それでもミランダは声を低めてなおも言い募る。
「実のところ、マリコ殿が負けるなど想像もつかぬ。蹴散らして仕舞いであろう」
「それはそうかも知れませんけど……」
実際、各種スキルとレベルの効果でマリコの筋力はかなり高い。今の所人前で本気を出したことはないが、おそらく里の中ではマリコより筋力の高い者はいないだろうと思われた。
「私たちもその条件で構わないということになりました。それでいいですか?」
突然、ザットから声が掛かった。マリコとミランダがやいのやいのと言い合っている間にまた密かに協議が行われたらしい。
「決めるのはマリコ殿だ。どうなされる?」
「ええと」
マリコは誰か助け舟を出してくれる人を求めて辺りを見回した。サニアにエリーやジュリアたちは特に心配している様子もない。マリコを最も身近に見てきたのだから当然であろう。タリアに至っては後ろを向いて肩を震わせており、面白がっているのが明らかである。負ければ即結婚というわけでもないので余計に笑い事なのだろう。
「はあ、分かりました。結婚云々はともかく、これも力試しの一つということで」
「「「「おお!」」」」
早速いくつかのテーブルが動かされ、カウンター前に決戦の舞台が作り上げられる。広場の真ん中に一つ置かれたテーブルの向こう側では男たちが集まってどうやら順番を決めているらしい。それを横目に見ながら、マリコはサニアに視線を向けた。
「一杯ください」
何となく飲まないとやっていられない気分になってきたのである。
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