179 女神の間 1
マリコを部屋へと向かわせた後、タリアは自分も一旦執務室へと戻った。執務机の席にどさりと音を立てて腰を下ろすと、背もたれに身を任せて一度目を閉じる。後の事はとりあえずサニアに任せておけばいい。バルトやアドレーたちが戻っても問題なくやってくれるだろう。頭の中でそう考え、再び目を開けた。
「ちょっとやっとかないといけないことができちまったからねえ」
タリアは小声でそう言うと、机の引き出しから紙とペンを取り出した。今日起こった一連の出来事を思い出しながら、何事かを書き付けていく。
(全部で四十頭もの灰色オオカミとその群れを率いる二頭。それがわざわざ向こうから姿を現した……)
顔を上げたタリアは部屋の入口の方へ目を向けた。しかし、その視線は扉ではなく、その外にある廊下のさらに先を見通しているようだ。
「バルトの組も大概常識はずれだと思ってたんだけどねえ」
机に向き直ったタリアはそうつぶやくと、またペンを走らせる。
(治癒だけならともかく、治癒円環に体力回復に修復かい。しかも強力で、連発しても平気な顔をしてたね。首のお守りが黒だって聞いたからもしやとは思っていたけど。神々は一体あの娘に何をさせるつもりなんだろうかねえ?)
タリアは己の首に手をやってそこを撫でた。かつてそこに巻きついていた赤いチョーカーは、既に失われて久しい。
(風呂場でもはずさないっていうのは、つまりそういうことなんだろうね。本物の、命の女神様の加護。これはどう転がってもちょっと騒がしいことになりそうだねえ)
何を思い出したのか、タリアは少し渋い表情を作ると二枚目の紙を取り出して続きを書き続ける。
(結局、何をどうするか決めるのは本人でなきゃできないからね。まあ、あの娘なら……あ、あの娘の取り分をどうするかって話ができてないじゃないかね。やれやれ、私もトシかねえ)
書き終えた紙を引き出しに仕舞いこむと、タリアは席を立って厨房へ戻るために執務室を後にした。
◇
「はい」の選択肢に触れた途端、マリコの周囲の景色は一変した。ゲーム通りであればこれは女神様の現れる空間へと瞬間移動する場面である。故にマリコは、自分がいる場所が一瞬で変化したこと自体には特に驚かなかった。
真っ暗な闇に浮かぶ、石でできた四角いステージ。マリコはその広めの部屋ほどのサイズのステージの真ん中に移動してきたはずだった。しかし、目の前に見えるものは自分の記憶とはかなり違っていて、マリコは目を見張った。
(何、これ)
周囲が闇に取り囲まれているように見えるところまでは同じだが真っ暗ではない。遠くにいくつもの星が光っているのが見える。その宇宙空間のようなところに浮かんでいるのであろう、ゲームの時と同じ白っぽい石の床。色合いこそ同じであるものの、何も無かったはずのその床の上にはいろいろな物が増えていた。
何より目に付くのは、フィクションの中でしかお目に掛かったことのない天蓋付きの白い大きなベッドである。他にも流し台のような物に机やイス等々。後ろを振り返ってみればそこには床と同じ材質らしい壁が立ち上がっており、その壁には扉がしつらえられている。壁があるくせに天井は無く、マリコはなんだか映画のセットか何かのようだと思った。
ぐるりと一回りさせた視線を、マリコは再び前に戻した。正確には天蓋付きの白いベッドに横たわる人物へ、である。サリーかトーガのように白い布を身体に巻きつけていることと銀髪であるということはかの巨乳女神様と同じだが、それ以外はいろいろと違っていた。
まず、小さい。寝転がっているので正確なところは分からないが、アリアとミランダの中間くらいの背丈に見える。そして、その銀の頭からは同じ色の猫耳が飛び出し、同じく腰の後ろからは長いしっぽが伸びていた。そんな銀髪猫耳少女がベッドにいたのである。
現れたマリコに気付かない様子の少女は、うつ伏せの状態から肘を突いて上体を起こした姿勢で何かの本を読んでいるようだった。膝から下が時々パタパタと動き、しっぽが機嫌良さそうにうねうねと動く。ページをめくっては、時折くふふと小さく笑い声を立てている。
声を掛けていいものかどうか迷ったマリコがしばらくその姿を眺めていると、突如ハッとしたように少女が顔を上げた。そのまま、ギギギという音が聞こえそうなぎこちなさでマリコの方へと顔を向ける。二人の視線がばっちりとぶつかり合った。数瞬の沈黙の後、口を開こうとしたマリコを残して少女はフッとかき消すようにいなくなった。
「あっ!」
マリコは驚いて声を上げる。それと同時に、マリコの目の前で虹色の光が渦を巻いた。光の渦はじきに消え去り、その後にはさっきまでベッドにいたはずの少女が微笑みを浮かべて立っていた。
「この世界を楽しめておるかの?」
外見の印象に比べて落ち着いた感じの声が響いた。
(誰!?)
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