178 怪我と生命と 15
「自分で使うのでないなら宿で買い取ってもらってもいいんだから、そんな困った顔をしなくても大丈夫よ」
「え? ああ、そうですよね」
ボスオオカミも自分の物だと言われ、そんなのどうすりゃいいんだと半ば呆然としていたマリコは、掛けられたカリーネの声に我に返った。カウンターで買い取りの手伝いをしたことはあるのだ。自分が売る側になるとは思っていなかったが、落ち着いて考えてみれば当たり前の事である。
「トル! ミカエラにサンドラも大丈夫なのか!?」
マリコがホッとしているとバルトが声を上げた。バルトの視線を追ってマリコもそちらに目を向ける。トルステンたち三人とミカエラに話を聞くために一緒に残っていたタリアがやってくるところだった。
「女将さん!」
一方、別の方からも声が聞こえてきた。皆がそちらを向くと、スカートに白いジャケットを羽織った女の子が駆けてくるのが見える。ミランダたちと一緒に放牧場の端に行っていたエリーが戻って来たのだ。
◇
「本当に大丈夫なんですか?」
「ああ。マリコさんのおかげで身体の方は十分だ。それに俺たちが行かないと場所が分からんだろうからな」
皆が合流すると、マリコはトルステンたちに散々お礼を言われた。その後、壊された柵は一カ所だけで修理に必要な材料はこれこれ、というエリーの話などを聞いたタリアの決定で、マリコはここで一旦バルトやアドレーたちと別れることになった。探検者組はバルトたちが倒したまま放置されているもう一頭のボスオオカミや灰色オオカミの処理に向かい、タリア、マリコ、エリーの三人は宿に戻るのである。
どこで何と戦ったかを知っているのがバルトたちだけなので、彼らの内の誰かはそちらに向かう必要があった。しかし、バルトが言うように、幸い魔力以外は全員ほぼ回復している。であれば組全員で向かう方がより安全だということになったのである。アドレーの組とミランダを見張り兼伝令として柵のところに残し、バルトやサルマンたちが回収および後始末を行うことになっていた。
マリコはそちらについて行こうと申し出たのだが、全員から一度戻って休め――ついでに着替えろ――と止められたのである。戻ったら戻ったでやることは多いので、結局マリコも無理にとは言えなかった。
やがてバルトたちが出発し、マリコたち三人がその場に残された。
「やれやれ、帰ったらいろいろ大変だねえ」
「ん」
「そうですねえ」
タリアの言葉にエリーが頷き、マリコも同意する。アリアたちは大丈夫だろうか。カミルたちの怪我はどうなっているのか。柵の修理にオオカミの処理。オオカミに噛み殺されてしまったらしい羊も見掛けたのでそれの処理もあるだろう。その上、元々麦刈りで忙しかったのである。休めとは言われたものの、そうもいかないなとマリコは思った。
「ところでマリコ、あれ、持てるかい?」
「え?」
そんなマリコを見ていたタリアがまた口を開いた。その視線はボスオオカミを指している。
「帰りに灰色オオカミも拾わないといけないんでね。私には持てそうにないんだよ」
「あ、ああ。アイテムボックスですか」
一瞬、あんな重そうなの持てるわけがないと思ったマリコだったが、アイテムボックスなら別である。試してみたところ問題なく仕舞いこめた。
◇
「「「「うおおおおお!」」」」
灰色オオカミを回収しながら宿まで戻ったマリコたちを待っていたのは、宿屋の前にできた人垣とその歓声だった。「宿に逃げ込め」の合図が出ているので当然といえば当然ではあったが、本当に里中の人が集まっているように見える。マリコが面食らっていると、人垣の間からサニアとアリア、ハザールが抜け出してきた。
「マリコさん、話は聞いたわよ!」
「おねえちゃん! お帰りなさい!」
「お帰りなさい!」
「これは一体何事ですか?」
「言ったでしょう。話は聞いたって。ジュリアが話してくれたのよ」
「ええ!?」
アリアやカミルたちから灰色オオカミの群れを蹴散らした話が伝わった後、戻って来たジュリアからマリコが一人でボスオオカミを倒した話を聞いたのだとサニアは言う。それで皆、準備をしつつ待っていたのだそうだ。マリコはあっと言う間に取り囲まれてそうになっていく。
「お待ち!」
その一喝で人々が固まり、一瞬の静寂が訪れた。もちろんタリアである。
「道を開けとくれ! 獲物だって出さないといけないし、まだ終わっちゃいないんだよ。後におし!」
人垣がざざっと分かれ、建物までの道ができる。助けられた人の家族だろう、ありがとうありがとうと言って手を伸ばしてくる人に応えながらマリコはようやく宿屋に入った。灰色オオカミを持ったタリアとエリーも一緒である。
「そのまま中庭へ行って! 準備はできてるから」
さすがに厨房を抜けるルートに無理矢理ついてくる者はおらず、サニアの声に従ってマリコが中庭に出ると、野豚を解体した時のメンバーが待っていた。ここでも歓声が上がる。皆に場所を空けてもらってボスオオカミを出すと声は一際大きくなった。
「さて、ここはもういいから、着替えて部屋で一休みしといで。後で誰かを呼びにやるから」
「いえ、でも」
「後続組が戻ったらまた一騒ぎあるだろうし、今いられても多分仕事になりゃしないさね。ほれ、行った行った」
「はあ」
自分も灰色オオカミを出し終えたタリアにそう勧められ、マリコは厨房の裏側の出入口から自分の部屋に戻った。念のために扉に鍵を掛け、その扉に背中を預けて息を吐く。俯いたところで、裂け目だらけになったエプロンが目に入った。
「とりあえず、着替えか」
マリコはエプロンとロングのメイド服を脱ぐと、支給品のショートバージョンの方に着替えた。傷だらけになったメイド服をクローゼットに掛けながら、こっちを着ている時で良かったと改めて思う。
「さて」
クローゼットを閉めたマリコは声に出してそう言うと、視界の隅に視線を向けた。そこには今もレベルリセットの可否を問う「はい」と「いいえ」の選択肢が点滅している。「はい」を選べばあの巨乳女神様の所へ行けるはずなのだ。
(ゲーム通りなら一度向こうへ行ってからでもキャンセルはできるはず。それに今なら、私がしばらくここからいなくなっても、多分誰にも気付かれない)
マリコは一度、深く息を吐くと「はい」に指を触れさせた。
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