174 怪我と生命と 11
「ふううぅ」
マリコは一度深く息をついて自らを落ち着かせると、改めて傍らに膝を突いたバルトに目を向けた。
「私は大丈夫です。バルトさんこそ……」
「俺はいい! マ、君は……」
「マリコ殿!」
「マリコ!」
マリコの言葉を遮るように激しい調子で言いかけたバルトだったが、その声はさらに別の声に遮られた。ミランダとタリアである。後ろからアドレーたちとエリー、ジュリアがやってくるのも見える。それぞれの得物を手にしたまま、倒れたボスオオカミの方を警戒しながら近付いてきた二人は、座り込んだマリコとバルトの姿を見て目を見張った。
「マリコ殿! その怪我は!? バルト殿も!」
「えっ?」
ミランダの驚いた声にマリコは自分の身体を見下ろした。メイド服は裾が裂けてそこから膝下がのぞいており、エプロンは幾筋も裂け目がついた上に返り血で半ば色が変わっている。改めて手を見ると腕自体は治っているものの、真っ白だったはずのカフスはエプロンと同じく赤に染まっており、特に右はほつれもあってどす黒く焦げたような色をしていた。確かに傍目にはとても無事とは思えない姿である。
「ああ、私は大丈夫です、怪我はありません。……ええと、治しましたから」
レベルアップ云々と口に出すのも憚られ、マリコはそう答えた。それを聞いたバルトとミランダはホッと息を吐く。タリアはマリコの前に膝を突くと、そのまま長剣を手放して両手をマリコの身体に回した。
「無茶をして……、本当に無事なんだね? 良かった、本当に良かった……」
「はい、こちらこそご心配を」
いきなり抱きしめられて固まりかけたマリコだったが、タリアの涙声に自分も目頭に熱を感じて力を抜くと、タリアを軽く抱き返して答えた。同時に身体にかすかな震えが起こる。いろいろなことで気がそれていたが、確かに自分は死んでもおかしくないことをやったのだと、マリコは今さらながら思い出したのだった。
「つっ」
「バルト殿!」
実際にはほんのわずかの間だっただろう。タリアの腕の中で放心しかかったマリコの意識を、ミランダの声が引き戻した。横に目を向けると、バルトが崩れ落ちかかる自分の身体を地面に片手を突いて支えていた。わずかに顔をしかめて、もう片方の手で脇腹を押さえている。
「バルトさん!」
「大丈夫かい!?」
マリコはタリアから離れると、二人でバルトの身体を横たえた。仰向けになったバルトは深く息をつく。バルトがまだ重症なのは間違いないのだ。先ほどの押さえた治癒では碌に治っているはずがない。それでも体力回復によって体力の方はある程度回復しているようで、バルトの顔色はややマシになっていた。その横に膝を突いたマリコは、もう一度治癒を掛けようとして思い直す。
「バルトさん、左手を」
「あ? ああ」
素直に差し出されたバルトの、指の欠けたその手をマリコは両手で包み込んだ。そのまま、そっと目を閉じる。
「修復」
バルトがあっと声を上げ、タリアとミランダの目が驚きに見開かれる。マリコは目を閉じたまま、己の身体から流れ出ていく魔力を感じていた。
じきに流れは止まり、マリコは目を開けるとバルトの手を包んでいた自分の手を開く。バルトの拳は元の幅に戻り、そこには五本の指が揃っていた。それを確認したマリコはふうと安堵の息を吐き出し、続いてバルトが押さえていた脇腹に手を当てる。おそらく折れているのだろう、そこは熱を持っていた。
「治癒」
バルトの体力を量りながら、マリコはまた全力ではない治癒を放った。眉間に寄っていたシワが消え、バルトの表情がやや穏やかなものになる。マリコは横たわるバルトと再び目を合わせた。
「後でもう一度やりましょう。そのままもう少しじっとしていてください」
「分かった、ありがとう。それから、済まないがトルたちを頼む」
「ええ、もちろん」
幸いバルトにはまだ体力回復の効果が残っていた。しばらくすれば全快させても大丈夫なくらいには体力が戻るだろう。そう判断したマリコは腰を上げると、タリアたちを振り返った。
すると、待っていたのは目を輝かせたミランダだった。
「マリコ殿! 貴殿は一体、何度私を驚かせるおつもりか!?」
「わっ! 今はそれはいいですから! それよりあの後のことを教えてくださいよ!」
ミランダに捕まりながらも言い返すマリコを見て、タリアは表情を緩めるとふうとため息をついた。
◇
なお、これはマリコが後で聞いた話である。
マリコがボスオオカミの方へ向かった後、サルマンやアドレーたち二組の探検者とエリー、ジュリアを伴ったタリアが到着し、タリアの指示でマリコの魔法で回復していたカミルや里の男たちがアリアとハザールを連れて先に里へ下がることになった。ところが、いざ下がろうとした途端、唸りながらもそれまでほとんど動かなかった手負いの灰色オオカミたちが一斉に暴れ始めたのだという。
アリアたちを庇いながらという要素もあり、足を失っていながらも死に物狂いで走りまわるオオカミたちに一行は手を焼いた。結局、アドレーの組を護衛に付けてなんとかアリアたちを離脱させた後、分散したオオカミたちを魔法や弓矢も使って一頭ずつ片付けねばならなかったのだそうだ。何故急に暴れだしたのかが分からないと首を捻るミランダを前に、マリコはしばらく考えた後、原因に思い当たって冷や汗を流した。
戦場の咆哮である。始めにマリコの放ったこれによって威圧され、おそらくオオカミたちは萎縮していたのだと思われた。それが、時間切れかあるいはマリコが再び戦場の咆哮を使ったことで効果から解放されたのだろう。黙っているわけにもいかずマリコがそのことを告げると、ミランダは皆無事だったのだから大丈夫、次に生かせばよいのだと笑ってマリコの肩を叩いた。
確かにその通りではあるのだが、マリコが気に病まないようにという気遣いも垣間見えてマリコは大層複雑な気分になった。
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