169 怪我と生命と 6
戦闘です。残酷描写注意。
じきにマリコは先ほど逃げ出した灰色オオカミたちの背中を捉えた。二頭は足を一本失ってなお十分走っていると呼べる速さで、明らかにボスのいる方――つまりバルトの方――に向かっている。傷付いているとはいえ、攻撃力を残している以上そんなものに今のバルトの背後を突かせるわけにはいかない。
「せいっ!」
マリコは二頭の内後ろを走るオオカミを追い抜きざま、その足元を狙って草を刈るように大鎌を振るった。二本目の足を飛ばされたオオカミは、ギャンと鳴いて走っていた勢いのままゴロゴロと転がっていく。マリコは後方に取り残されるそれには目もくれず、すぐ前を行く二頭目に迫る。再び刃が閃き、オオカミは先達の後を追った。
(後は頼みましたよ、ミランダさん)
足を止めてとどめを刺している猶予があるとは思えなかった。マリコは心の中でミランダに手を合わせると、後ろを振り返ることなく走り続けた。
「ああっ!」
やがて放牧場の中に一部が残されている林の脇を過ぎ、小さな丘の横に出たところで目に飛び込んできた光景に、マリコは思わず声を上げた。
丘の下ではバルトがボスオオカミと切り結んでいる。否、時折仕掛けてくるボスオオカミの攻撃を大剣で弾き返して辛うじて、しかし下がる事なく凌いでいた。だが、明らかに太刀筋がおかしい。身体のあちこちがどす黒い赤に彩られているが、左手だけは鮮やかな朱に染まっているのが見て取れた。
そのバルトからいくらか後ろに下がった、なだらかな丘の斜面に他の四人がいた。茶髪大男のトルステンとスレンダーな赤毛のミカエラは地面に横たわり、それぞれの傍らに膝を突いたカリーネとサンドラが二人の身体に何かを振りかけている。四人が今いる位置と丘の下の間は何かを引きずったような跡と赤い筋で繋がっており、その線の先――バルトの近く――にはマリコも見覚えのあるトルステンの盾が地面に突き立っていた。
「大丈……うっ」
四人の方へと駆け寄ったマリコは、掛けかけた声を途中で詰まらせた。とても大丈夫かと聞ける状態ではなかったのである。
ミカエラの右脚は丈夫なはずの革パンツがあちこち裂けて血に塗れていた。スマートで美しかったはずの太股の形が歪んでおり、おそらくは大腿骨が折れている。気を失っているらしく、目を閉じて荒い息を吐いていた。
トルステンはさらに重傷だった。カリーネの身体の陰になっていて近くに寄るまでマリコからは見えなかったが、彼の身体からは左腕が失われていた。むしり取られたような傷口を見せる肩からは今も血が流れ出て草の上に染みを広げている。細く目を開いてはいるものの、こちらも意識を飛ばしているようで、その瞳は何も映していなかった。
カリーネとサンドラが小さな壷に入ったポーションをぶっかけているが、あまり効果が上がっているようには見えない。ポーションの性質がゲームと同じだとすると、一度に続けて使ったことで効き目が下がっているのではないかとマリコは思った。
その緑と青の髪の娘たちも血に汚れてはいたが、それは抱きかかえた際に付いたミカエラたちのものらしく、マリコが見る限り大きな怪我はない。ただ二人ともひどく顔色が悪く、今にも倒れそうなほどふらついている。カリーネとサンドラが魔法を主体として戦うことはマリコも知っていた。これは魔力をほぼ使い切った時の症状なのだ。
「あ、マリコさ……」
「治癒円環!」
気が付いて口を開きかけたカリーネに皆まで言わせず、マリコは四人を囲む光の輪を出現させた。とにかく死なせない事だけをマリコは考える。ゲームには死者を甦らせる魔法も手段も無かった。元よりプレイヤーキャラクターに死がないのだから当然である。故に、回復系魔法を完全習得したはずのマリコも、存在しない蘇生魔法は持っていないのだ。
(生きてさえいればきっと何とかなる)
死者以外は何とかするスキルを「マリコ」は持っていたはずなのだ。流れ出ていく大量の魔力を感じながら、マリコはそう自分に言い聞かせた。
「私たちよりバルトを」
青い顔をしたままカリーネが言う。マリコとしてはできるものなら魔力切れもなんとかしてやりたいところではあったが、ゲームにはHPと違って魔力、いわゆるMPを簡単に回復する方法が無かった。基本は時間待ちである。空っぽの状態から満タンまで回復するにはゲーム内時間で数時間、現実時間にして十数分掛かった。
例外が「魔力の泉」や「魔力溜まり」と呼ばれる場所に行くことで、その効果範囲内にいると回復速度が劇的に上がる。ただ、この世界のどこにそれがあるのか、そもそも存在するのかどうか、今のマリコには知る由も無い。少なくとも放牧場の真ん中にあるようなものではないはずだった。
回復速度を上げるスキルというものはありマリコも取っているが、これは自分自身にしか効果が無く今は意味が無い。他にできることがあるとすれば、それはマリコの魔力を譲渡することだったが、これはこれで譲渡そのものが一瞬ではできず、自然回復よりはずっとマシだがそれなりの時間が掛かる。要するに、戦闘中に行うようにはできていないのだった。
強力ではあるが無制限に何でもできるわけではない。それがゲームにおける魔法だった。
「はい、ここで待っていてください。じきに里の皆さんも来ます」
カリーネに答えたマリコは大鎌を持ち直す。その視線の先には、ふらつきながらも未だに踏み止まり続けるバルトの背中があった。
◇
「行かせてっ、たまるかよっ!」
戯れのように繰り出されるボスオオカミの爪を、バルトは何とか弾き返す。怪我とそれに伴う出血と疲労と魔力不足で身体は既に限界に近い。相手が自分を侮って手加減してくれるなら、それはむしろ好都合だった。ここで時間を稼げば稼ぐほど、里の準備が整って最終的に勝てる率は上がるのだ。
(半分、いやせめて三分の一、力が残っていれば……)
時間稼ぎしかできなくなった己を省みてバルトはギリッと奥歯を噛み締めた。
麦刈り前の軽い見回りのつもりで里を出たバルトたちは、前半を予定通り消化して帰途についた。つい数日前に普通に回ったところでもあり、異常があることの方が稀でなのある。ところが今日になって、続けざまにはぐれオオカミだのクマだのに遭遇したのだった。
その連戦の後に現れたのがボスに率いられた灰色オオカミの群れだった。それまでに幾分消耗していたバルトたちだったが、それでもなんとか群れとボスを倒した。
ところが、体力と魔力のほとんどを使い切った彼らが里の手前まで辿り着いたところで見た物は、新たな群れを引き連れた二頭目のボスだったのである。群れが柵を突破して里に侵入するまでに、取り巻きを半分に減らすのが精一杯だった。
そして今、先行したオオカミたちを止めることができず、こうしてボスとにらみ合っている。
「お前は、ここで、俺たちと遊ぶんだっ!」
バルトは赤黒く染まった大剣を無理矢理構えた。
まだまだ続きます。
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。