159 麦刈り 3
挨拶もそこそこに笑顔を向けてくるマリコに、バルトは何とも微妙な気分にさせられた。バルトの方を向いているようでいてマリコの目はバルトの顔を見ておらず、その視線はバルトの右肩の上に向けられているのである。
「もったいぶらずにさっさと見せてあげれば?」
脇腹をつついてくるトルステンの声に、バルトは内心ため息をつきながらマリコの視線の先にあるもの、即ち背中に背負った大剣の柄に手を掛けた。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
切先を上にして手渡されたトゥハンドソードをマリコはしげしげと眺めた。研ぎに出されて刃こぼれの無くなった刀身は、さすがに新品同様とまでは行かないものの鋼の輝きを取り戻して光っている。それは先日見た時以上に「マリコ」が使っていたトゥハンドソードそっくりに見えた。
ゲームにおける武器や道具には耐久力が設定されており、使っているとそれは段々と減っていく仕様になっていた。この耐久力がゼロになってしまうとその武器や道具は壊れたということになり、そうなるとどんなレア武器だろうと最早ゴミである。
もちろん、壊れる前に修理すれば耐久力は回復する。だが、耐久力が減っていても見た目――つまりグラフィック――が変化しないので、油断しているといつの間にか壊れてしまうことがある。また、戦闘など使用時の判定の結果によって耐久力が一気に減る場合もあるので、気をつけて使っていたとしても一つの武器や道具をずっと使い続けるのはよほどの幸運に恵まれないと難しかった。
「マリコ」のトゥハンドソードもそうして失われた物の一つである。実物としてそこにあるという存在感ももちろんあるが、バルトの剣はマリコをひどく懐かしい気分にさせるのだった。「マリコ」として姪たちと駆けた冒険の日々が思い出される。
「さすがにそこで振り回したら怒るわよ?」
「あ」
無意識に構えを取ろうとしていたマリコは、カウンターの中から見守っていたサニアの声に現実に引き戻された。
◇
「いってらっしゃい」
一旦部屋に戻って軽装に着替えた後、早めの昼食を摂ったバルトたちは麦刈りに参加するために出掛けて行った。宿の畑の刈入れが済んだら二、三日掛けて里の近場を見回り、戻ったら里の麦刈りも手伝うつもりだという。
「この調子なら今年も、宿屋の分の刈入れは今日一日で終わるかも知れないわね」
「前はもっと掛かってたんですか?」
バルトたちを見送ったサニアが口にした言葉に、マリコは何の気なしに聞いた。
「それはそうよ。だって昔はもっと人が少なかったんだから。壁に囲まれた宿屋の敷地自体は私がまだ子供だった頃と変わらないけど、その周りの里はずいぶん広がったのよ」
「ああ、そういう」
十年や二十年の間に実感できるほど里が大きくなって人口が増えるというのは、聞いてみるまでマリコには想像もできなかった。元の年齢的にはまだ日本の人口が増えていた頃に生まれた世代に属するマリコだったが、大人になってからの感覚だと出生率の低下だの過疎だのと、人口とは減っていくものだったのである。
二人がそんな話をしているとまた宿の引き戸がガラリと開かれ、革鎧姿の一団が宿に入ってきた。マリコの見たところ、二十台半ば前後の男が六人である。
「いらっしゃ……、あら。おかえりなさい」
「ただいま、姉さん」
次々とただいまを言う男たちの中で、オレンジ色の髪の男がそう言った。
(姉さん? ああ、タリアさんが言ってた息子さんの一人か。何ていう名前だったっけ)
「マリコさん、女将を呼んできてくれるかしら。ええと、まだ外かしらね?」
「多分。じゃあちょっと行ってきます」
探検者は探検から戻ると女将であるタリアに現状報告を行うことになっている。いつもなら大抵執務室にいるタリアなのだが、さすがに今日は刈入れの方に行っていた。どの辺りにいるかなと思いながらマリコはカウンターから出る。
「あれ? 君は初めて見る顔だね」
出たところでサニアの弟に声を掛けられた。無視する訳にもいかずマリコは足を止める。
「マリコと申します。先日からこちらでお世話になっております」
「へえ、マリコさんっていうのか。僕は……」
「サルマン! 忙しいんだから邪魔しないの。マリコさんはセシィの代わりに来てくれた人よ。マリコさん、弟はほっといていいから母さ、女将をお願い」
「姉さん、自己紹介くらいさせてくれよ! 忙しないな」
「あんたがのんびりしすぎなのよ」
突如始まった姉弟の言い合いにマリコは少し驚いたものの、すぐに終わりそうもない気配にこっそりその場を後にした。
(そういえばサルマンっていう名前だったな。しかしなんだな、家族ってやっぱり似るのかね)
タリアを探しに向かいながらマリコは思った。サニアとサルマンの会話はアリアとハザールのそれとそっくりの雰囲気であったし、サルマンがマリコに向けた視線――特に胸への――は彼の義兄と一緒だったのである。
密かにミニスカマリコを見損ねているバルト。残念。
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