156 月からの使者 3
マリコがミランダに分けてもらった物を装着して、手拭いに浄化を使ったところでそのミランダがやってきた。着替えると言っていた通り、いつもの深緑のメイド服姿になっている。
「それでマリコ殿、体調の方は大丈夫なのか」
「あ、ええとですね」
状態回復のおかげでマシになっているとは言っても、ここでミランダを誤魔化しても意味はない。マリコが正直に元の症状を説明すると、ミランダの顔が曇った。
「それはかなり重い方ではないか。寝ていなくてよろしいのか」
「今はとりあえず大丈夫です」
「無理はなされぬように。ふむ、いずれにせよ数日は朝の鍛錬も休まれる方がよろしかろう」
「え?」
マリコは意外に思ってつい声を上げた。剣術に熱心なミランダのこと、てっきりその程度で休むなど許さんとか言いそうな気がしていたのである。
「何を驚いたような顔をされる。無理を押してまで鍛錬したところで実にならぬであろう?」
「それはまあ」
「そもそも、子を成すというのは我ら女にしかできぬ誇るべき役割で、今のマリコ殿はそれが成せる身であるということを示しておられる状態なのだ。私個人が進もうとしているに過ぎぬ道と本来の人としての道、その軽重を誤るほど馬鹿ではないつもりだ」
「……子を成す」
ミランダが何気なく言った言葉にマリコは胸を突かれた。症状と状況に振り回されてすっかり頭から抜け落ちてしまっていたが、確かに今の状態はその子を成す準備が今回は不発に終わったという結果なのである。
(子供を、産める? ……私が?)
改めてそう思うと、そのことを喜ばしいと思う感覚が確かに胸の奥底にあるのに気付いてマリコは当惑する。
「それにだな」
しかし、続くミランダの声がマリコの意識を内側から現実に引き戻した。やや深刻そうな顔をするミランダに注意を向ける。
「先ほどお渡ししたあれだが、普通にしている分には問題ないのだがさすがに剣の鍛錬などやってしまうとだな……」
そこまで言ってミランダは一度言葉を切った。少し嫌そうな表情を浮かべて顔を横に向ける。
「漏れることがあるのだ」
「は?」
その深刻そうな表情で放たれた言葉に、マリコはつい気の抜けた声を上げた。
「冗談ではないのだぞ、マリコ殿」
「い、いや、それは分かります」
おそらく、ミランダは自分の体験を口にしているのだろう。マリコにしてもついさっき似たようなことが起こってあわてふためいたばかりである。同意するのに否やはなかった。
「故に、そういう時は大人しく休むに限るのだ。マリコ殿も今日のところは休まれよ」
「はい」
「では私は鍛錬に行ってくる。ああ、サニア殿がそういうのに効く薬を持っておられたはずだ。出してくれるよう伝えておこう」
ミランダはそう言うと扉に向かった。が、扉の前で立ち止まるとマリコを振り返る。
「休んでおられてもマリコ殿の寝相だと危険かも知れぬ。もしもの時には浄化を使われよ」
マリコは内心冷や汗をかきながらうんうんと頷いた。さすがに、もう散々使いましたとは答えられなかった。
ミランダが去った後、マリコは言われた通り休むことにした。痛みはほぼ無くなっているが普段と違うことには変わりないのだ。シュミーズ姿になってベッドに潜り込むと早々に眠気がやってくる。目を閉じながら、ミランダなりに気を遣っていろいろ話してくれたのだなと思うマリコだったが、かつてのミランダが何をやらかしたのかというのも少しだけ気になるのだった。
◇
「ミランダに聞いたわ。ちょっと苦いけど、これを飲めば少しはマシになるわよ」
ぐっすり眠っていたマリコは朝練から戻ったミランダに起こされた。二人が厨房に向かうと、サニアがカップに入った薬らしきものを出してくれる。
「体調を整える効果もあるから、毎日飲んでいれば今よりは軽くなると思うわ」
「ありがとうございます」
毎回魔法で押さえるのが正しいのかどうかは分からない。元から改善できるならそれに越した事は無いのである。マリコは受け取ったカップを覗き込んだ。
暖かいそれは、見た目には麦茶か何かのような色合いをしていた。口に近づけると、昔嗅いだ覚えのある匂いがする。それが何であったか、マリコは辛うじて思い出せた。そして、そのおかげで口に入れたそれを吹き出さずに済んだ。口が曲がるほど苦かったのである。
(センブリの味だ、これ)
他にもいろいろ入っているようではあったが、センブリが全てを駆逐していた。とにかく苦い。ただ、マリコにとっては懐かしい味でもあった。祖母の顔が思い出される。マリコはそのまま全部飲み干した。
「そんなに一気に飲んで平気なのか、マリコ殿」
味を知っているのだろう。ミランダが目を丸くしていた。
「かなり苦いですけど、子供の頃に結構飲まされましたから」
お腹の調子を悪くする度に祖母に飲まされていたのである。初めてだったらさすがに今のように平気ではなかっただろう。マリコは改めて祖母に感謝した。
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