148 裏方のお仕事 4
宿屋の洗濯場は風呂場の裏にある、というより風呂場の建物の後ろ半分が洗濯場になっている。浴槽の裏側に口を開けた風呂釜と並んで洗濯の設備が設けられているのである。風呂には毎日入っているものの、マリコが洗濯場の方に入るのは数日振りだった。
そちらに向かう道々、マリコはエリーに洗濯と風呂焚きの大まかな流れを聞いた。まずは風呂の残り湯を使って洗濯して干す。次に残った湯を抜いて風呂場と湯船の掃除。その後、水を張って風呂を沸かし、洗濯物を取り込んで畳んだりアイロン掛けをしたりする。洗濯物の量や追加の有無によって多少前後することはあるが、基本的には昼前までに洗濯と掃除、昼から後は風呂焚きと洗濯物の後処理ということになると言う。
「じゃあ、私がお昼から抜けてしまっても大丈夫なんですね」
「ん」
洗濯場に到着し、回収した洗濯物を取り出しながら聞いたマリコに、エリーは頷いて説明してくれた。洗濯自体は以前は大仕事だったが、今では洗濯機とポンプがあるおかげで大抵は一人でも何とかなるようになっている。一人だと間に合わないのがアイロン掛けで、元々その時間帯にはパートさんの応援が来るのだと言う。
後の心配が無くなったところで、二人は洗濯の準備を始めた。引っ張り出した洗濯物を見て、ほとんどの物はそのまま洗濯機行きである。特にひどい汚れの付いている物があればそこだけ手洗いか浄化の出番となる。シーツや寝間着などの宿屋の備品はそのまま、個人の衣類は洗濯用の網に入れられて洗濯機に投入された。
男女の浴槽にはそれぞれ、湯を汲むための腕が前に向かって伸びていたのと同様に、裏側にも湯加減を見たり湯を汲み出したりするための張り出しがある。井戸の横の備え付けられたポンプから何本も伸びたパイプは、井戸だけでなくこの張り出しや洗濯機にも繋がっており、どこから汲んでどこへ出すのかを切り替えられるようになっていた。
冷たい井戸水よりぬるま湯になっている風呂の湯を使う方が大抵の汚れは落ち易いし節約にもなるので、先に風呂の湯が汲み出される。数台並んだ洗濯機にエリーの操作で次々と湯が入れられていった。
(本当に二槽式洗濯機だな、これ。昔うちにあったのと違うところって大きさとスイッチくらいか?)
実際に近づいてみると、宿屋の洗濯機は大型の業務用サイズで、スイッチはぐるりと回すダイヤル型ではなくレバーを横にスライドさせるようになっている。マリコが中身に応じて粉石鹸を投入してスイッチを入れていくと、マリコの知るものと同じように洗濯槽の中でぐるぐると渦が巻き始めた。
後は現代日本の洗濯とほとんど同じだった。洗濯、一度脱水、すすぎ、脱水と一巡すれば終了である。できあがった洗濯物を籠に取り出した二人はそれを干しに外へ出た。先日来た時に取り込みは手伝ったので、どう干せばいいのかはマリコにも大体分かる。エリーはいくつか注意点などを告げた後、その場をマリコに任せて第二陣の洗濯機を回しに戻って行った。
(ああ、こういうことをしていると、なんとなくメイドさんっぽいなあと思えてくるよな)
晴れた空の下、バサリとシーツを広げながらマリコは思った。ここへ来てからやったことと言えば、料理や帳簿の手伝いはともかくあとは剣術の稽古に狩りである。メイドの仕事に狩りはないだろうとは思うが、この世界の宿屋の役割を考えれば当然といえば当然なのかも知れないと思い直した。
◇
中庭に回って下着類も干し終えたマリコが洗濯場に戻ると風呂掃除が待っていた。先に汲んで使っていた女湯側の湯をほぼ使い切ったので、洗濯機が回っている間に説明しておきたいとエリーが言う。二人は風呂場側の壁の中央にある扉を開け、靴を脱いでそこへ入った。
扉の奥は暗い通路である。壁に設置されたランプにエリーが灯りを使うと、さほど長くもない通路の奥が照らし出された。正面突き当たりに階段、その左右にそれぞれ扉があるのが見える。マリコの記憶通りなら今いるのは番台の後ろ側で、左右の扉は男女の脱衣所に繋がっているはずである。
エリーが右の扉を開けてそちらに入っていったのでマリコもそれに続く。すると、そこはやはりいつも使っている女湯側の脱衣所だった。エリーはマリコを振り返ると、ほうきやデッキブラシなどを取り出し始めた。
「靴下脱いで。服は……、ん、そのままでいい」
エリーはそう言うと自分も靴下を脱いだ。今から濡れた浴室に入るのだから当たり前である。マリコも言われた通りストッキングを脱いで裸足になった。スカートは短いので端折る必要がない。いつもの長い方であったなら、豪快に捲り上げないといけなかっただろう。
脱衣所は掃き掃除、浴室の方はイスを軽く洗って浴槽と床をブラシ掛けする。大掃除は定期的にもっと人数を集めてするので、今日はそれだけだった。
「湯船に浄化を使ったりはしないんですか」
「それをやると、水漏れ止めの詰め物が取れることが多い。やる?」
「……やめておきます」
うかつに服に使うと飾りなどが取れることがある浄化である。そこまで細かく制御できる気がしなかったマリコは即座に首を振った。
「流す水は言ってくれればさっきのとこから井戸水を流す。水で出しても構わない」
手順を説明したエリーはそう言って洗濯へ戻っていく。マリコは脱衣所から掃除を始めた。
◇
第二陣の洗濯が終わって干し終えた後、二人は男湯側の掃除に向かう。マリコは、女湯の時と同じように無造作に浴室の引き戸をガラリと開けて中へ入った。
「う」
「どした?」
思わず口元に手を当てたマリコにエリーが不思議そうな顔を向けてくる。
「い、いえ、何でも……」
(お、男臭い!)
表情を取り繕いながら、マリコは心の中で叫んだ。脱衣所ではそんなに気になるほどではなかったが、浴室には何とも言えない臭気が籠っていたのだった。
思い返してみれば、こちらで初めて風呂に入った時にも、女臭さというかそういう特有の匂いを感じた気はする。しかし、ここまで強烈には感じなかったし、今となっては気にもならない。
だが、今鼻の奥を突いてくるこの臭気こそ、本来の自分が慣れていたはずのものである。それがどうしてこんなにも自分の嗅覚を刺激するのか。
(女の人であるということに慣れてきてるのか。し、しかし、これは……)
突然手拭いを取り出して覆面のように鼻と口を覆って掃除を始めたマリコを見るエリーの頭上に、疑問符が浮かんでいた。
エリーは、もう慣れてしまったので気にしていないだけです。
たまに銭湯に行くと、男でも「男臭い」と感じますよね。
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