147 裏方のお仕事 3
「じゃあ、マリコさん。お昼まではエリーと洗濯場をお願いできるかしら。何をどうすればいいかはエリーが知ってるから。エリーもいい?」
「ん」
「分かりました」
朝食の後、サニアの言葉にマリコはエリーと共に頷いた。サニアによると、当面マリコは前にタリアに言われていたように宿の中の各所を手伝って回ることになるそうである。その上で主な担当部署を決めることになるだろうとのことだった。食堂関係は一通りやったので、次は洗濯と風呂関係ということらしい。
(宿屋ってことにはなってるけど事実上地方領主の館だし、壁の中に畑もあったし鶏も飼ってる。業種で考えたら最低でも宿泊業と行政と農業か。ああ、野豚狩りなんかも入るのか。タリアさん、よく全部仕切っていられるよなあ)
現在のように独立した店ができる前は、その辺りの売買関係も宿屋で対応していたはずである。規模が小さいからやっていられるというところはあるだろうが、タリアが書類に埋もれ気味なのも無理はないなとマリコは思った。
「で、お昼からなんだけど、女将が手を貸してくれって言ってたわよ。刈り入れの準備もしなくちゃいけないから、できればキリのいいところまで片付けたいらしいわ」
思っていた途端にご指名である。マリコは黙って頷いた。勉強になることでもあるし、元が勤め人なので書類仕事はミランダほど苦手でもない。むしろ、農作業の方が経験ははるかに少ない。祖母の手伝いで家庭菜園レベルのことをかじった程度である。
「では私はマリコ殿の手伝いを……」
「待ちなさい。あなたの行き先は厨房よ、ミランダ。折角料理にも興味が出てきたんでしょう? いい機会だからいろいろと教えてあげるわ」
「ぬ、相分かった。ではマリコ殿、また後ほど」
ミランダはサニアに連れられてカウンターの中へと入っていく。続いてエリーも席を立ったのでマリコも一緒に立ち上がったが、洗濯場へ向かうのかと思われたエリーはミランダの後を追って行った。もちろんマリコもついていく。すると、エリーは厨房の方ではなくカウンターの裏側に入って、そこに並んで掛かっている鍵から何本かを選び取った。
「洗濯をするには、洗濯物が必要」
「ああ、それはそうですよね」
振り返って鍵の束をチャラリと振って見せるエリーにマリコは納得した。昨日は結局燻製に掛かり切りになってしまったのでマリコはまともに会っていないが、探検者が一組戻ってきているのである。他にも商売で来ている人がいたはずだった。衣服の類は入浴時に出してもらえばいいが、各部屋にもシーツやら何やら洗うべき物があるのだ。先にそれらを回収しなければならないのは当たり前の話だった。
「でも、まずはここから」
「え? ここですか」
厨房の後ろの出口をくぐったエリーが一番にノックしたのは、出てすぐ左にある扉だった。そこは客室ではなく、タリアたち一家が暮らしている一画に繋がっているはずである。マリコの思った通り、はーいと返事をして顔を出したのはさっきまで一緒に食卓に着いていたアリアだった。
「あ、エリーさんとおねえちゃん。ちょっと待ってね」
アリアは扉を開けたまま一度奥へ引っ込むと、じきに大きな籠を抱えて出てきた。竹で編まれた籠はアリアが膝を抱えてすっぽり入れるくらいの大きさがあり、中にはシーツや枕カバーが積み重なっている。マリコがふと気付くと、エリーが物問いたげな顔をしてマリコを見上げていた。
「そういうことだったんですね。分かりました」
「ん」
(宿中まとめて洗濯するんだから、一緒に洗ってもらえば済むってことか。いや、そもそもタリアさんやサニアさんに洗濯してる暇なんか無さそうだよな)
マリコに頷いて見せた後、エリーはアリアから籠を受け取ってアイテムボックスに仕舞うと今度は新しいシーツなどが入った籠を取り出してアリアに差し出した。
「ん。代わり」
「はーい。じゃあ、おねえちゃんもお洗濯頑張って」
「はい。アリアさんはお勉強ですか?」
「うん。もうちょっとしたら他の子たちやおじさんやおばさんも来るから、そうしたら……」
その後しばらく続いたアリアの話をまとめると、週に何度か里の子供たちを集めて「見守る会」のメンバーが読み書きや計算を教えているということだった。
(学校というか寺子屋というか。そんなことまでやってるのか)
アリアと別れた二人は二階へと上がった。エリーは今日回る客室の一つの前まで来たところで足を止めてマリコを振り返る。
「ノックして返事がなかったら入ってシーツと枕カバーを回収して代わりを置いてくる。ゴミもあるならそれも回収。返事があったら相手次第」
「相手次第?」
「ん。出てこられるようなら洗濯する分を取ってもらって代わりを渡す。出てこられないなら後で洗濯場に交換に行けと伝える」
「出てこられない……ああ」
もちろん、まだ寝ていたいからという場合もあるだろうが、トルステンとカリーネのような例もあるのだ。出てこられないこともあるのだろうとマリコは思った。
「あれ? 返事がなくて入ってみたらまだ寝ている、みたいな時はどうするんですか?」
「先に頼まれていたら起こす。そうでなかったら……」
「そうでなかったら?」
「……見なかったことにする。ただ、そんなことは滅多にない」
「ああ」
珍しくエリーが口ごもって目をそらしたのを見て、マリコは察した。
「とにかく一回見せる」
そう言うとエリーは目の前の扉を叩いたが返事はなく、覗いてみても中には誰もいなかった。私物らしい物もほとんど残されていない。エリーは洗濯物を回収して籠に入れると代わりを取り出してベッドに置いた。置いただけで特にベッドメイクをする様子はない。部屋のゴミ箱も空だったのでそちらはそのままである。
「シーツは敷かなくていいんですか?」
「ん。大きな街の専門の宿ならそういうこともするとは聞いた。ここではそこまでしない」
「専門の宿っていうのは、門の番人がやってる宿屋じゃない宿のことですか」
「ん、そう」
なるほどねとマリコは思った。ここへ来てからの数日で時折感じたことである。宿屋、特に最前線の宿屋は宿泊施設というより家なのだ。その起源を考えれば当然なのだろう。だからできることは大抵自分でやるようになっているし、必要以上のサービスをすることもない。
「じゃ、マリコさんはこっちから。私は反対から。いい?」
エリーはそう言うと鍵をまとめて取り出し、そこから数本選んでマリコに示した。マリコが頷いて受け取ると、今度は別の空籠とシーツなどの替え、ゴミ回収用のゴミ箱を次々と取り出していく。
それらをマリコに渡した後、エリーは反対側に回るために階段を上がっていった。マリコは一部屋目の前まで行くと、扉に書かれた番号と鍵からぶら下がる札の番号を確かめてノックした。
◇
幸いなことに、見なかったことにするような場面には出くわさずに済んだ。最後の部屋を終え、マリコは洗濯物が入った籠を抱えて階段に向かう。すると、ちょうど上からエリーが降りてくる。マリコの姿を見たエリーがあれっという顔をして首を傾げた。
「なんで籠持ってるの?」
「え? あ」
恐らく漫画か小説で読んだのだろう。洗濯物が一杯入った籠を抱えて歩くメイドさん、という光景が頭にあったマリコは、なんとなくそれを抱えたままだった。エリーの方はもちろん今は手ぶらである。
(アイテムボックスに入れればいいっていう話なんだけど、たまに存在を忘れるなあ)
頭を掻いて籠を仕舞ったマリコは、エリーと二人洗濯場へと足を向けた。
後にマリコは「起こすな」という札を作る提案をしたとかしなかったとか。
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