144 燻製作り 3
食べられるところまではできた燻製ではあるが、柔らかいということはまだそれだけ水分が残っているということでもある。長く日持ちさせようとするならまだ乾燥が足りないのだった。
マリコは最早灰となった桜の木片が載った鉄皿をかまどから下ろすと、残った炭火を並べ直した。少し灰を被せてやや火力を落としたかまどの上に、ミランダと再び燻製器を据える。乾燥だけなら火が通るほどの温度でなくても構わないのである。
「では、サニアさんにも確認してもらって来ますから」
「ああ、火の番は任されよ。行って来られるといい」
ミランダを中庭に残し、数切れの燻製を携えたマリコが厨房に戻ると、サニアは夕食の準備を指揮しているところだった。早速声を掛けて簡単に説明した後、できあがった物を差し出す。
「大分おいしくなったじゃない。さすがねえ」
「おいしいと言えるほどでもないと思いますけど」
「そう? 今までのと比べたら十分おいしいと思うわよ? それで今は乾燥の続きをやってるのね」
試食後、手放しで褒めてくれるサニアにさすがにマリコは疑問を差し挟んだが、サニアはさらりと流して次の話に移ってしまった。
「ええと、はい」
「じゃあ、今はもうこっちはいいから、そっちを続けてちょうだい」
「え? いいんですか?」
「ええ。時間になったら給仕の手伝いはお願いするけど、準備の方はあなたたちがいなくても大丈夫よ。だって今日の夕食のおかずはこっちもオオカミなんだもの。もうほとんどできてるから平気なの」
「こっちもオオカミって……、まさか煮込みですか」
「そうよ」
一昨日、オオカミは干し肉か煮込み料理かのどちらかと言っていたもう片方である。思い返してみれば、昨日は野豚の料理が出されていて煮込み料理を見た覚えはない。どうやら丸二日煮込まれていたものであるようだった。
(あの肉を丸二日……。どんなものになってるんだ)
「味見してみる? あー、煮込みをちょっととってちょうだい」
マリコの顔から疑問を読み取ったサニアは、厨房にいたパートの女の人に声を掛ける。すぐに小皿に載った、赤っぽいとろ味のある煮汁の掛かった肉の欠片が持って来られた。手渡してくれた彼女の浮かべた微笑が、何故かマリコは気になった。
(見た目は脂身の少ない豚の角煮みたいだけど、香辛料のせいか匂いはおいしそうだな)
小皿を受け取ったマリコが肉片を箸で摘むと、それはとても柔らかくなっていた。そっと摘み上げて口に入れる。
(ほろほろ崩れるくらい柔らかい。で、あの臭みはあまり感じない……って)
衝撃は一瞬遅れてやってきた。
「辛っ!」
思わず声を上げたマリコは、あわてて箸を持ったままの手で口を押さえた。火を吹きそうな刺激が口の中を所狭しと駆け回っている。
「ぷっ」
かすかな笑い声にマリコがそちらに顔を向けると、笑いをこらえたサニアが黙ってカップを差し出している。マリコはそれを受け取ると一気にあおった。予想通り、中身は水だった。
オオカミの煮込みは、まさかの激辛料理であったのだ。
「さすがに夜の定食全部をそれにはできないから、他の料理との選択式になってるんだけどね」
「当たり前ですよ」
ようやく口の中の火事が治まったマリコは、行儀悪く舌を動かしながらサニアに答える。あの味を強制的に食べさせられたら、辛いのが苦手な人はたまらないだろう。
「でも、ビールには合うと思わない?」
「あー、それは確かに」
さっきの一切れだけでジョッキ一杯は飲めそうだとマリコは思った。そう考えると酒のアテとしては優秀なのかもしれない。
「だから、そこそこ人気はあるメニューなのよ」
「よくこんなの考えましたね」
色はともかく、辛そうな匂いがあまりしなかったのだ。だからマリコは普通に口に入れてしまったのである。
「あからさまにバレないように、その辺を工夫したって、母さ……女将は言ってたわね」
「これ考えたの、タリアさんなんですか!?」
「ええ、今より大分若かった頃らしいわよ。普通に煮込んだらあんまりおいしくなかったから、なんとかしようと思ったって言ってたわね」
「はー」
(今のタリアさんからは想像できない……、いや、そうでもないのか?)
タリアの、あの面白い物を見る目つきを思い出したマリコは、密かに納得した。
「燻製の方も辛くしようとは思わなかったんですかね?」
「旅の途中で食べる肉が全部辛いとさすがに困るからしなかったんですって」
「なるほど」
(でも、ジャーキーの類こそ激辛があってもいいんじゃないかな)
納得しつつも、マリコはそう思った。
◇
「明日も晴れたら、明後日から麦刈りを始めるからね」
夕食の席上、マリコ作の燻製を手でちぎりながらタリアがそう宣言した。昨夜の雨で麦の穂が濡れてしまったので、それがある程度乾くのを待って刈り入れるのである。
燻製の味についてはタリアからもお褒めの言葉をもらっているが、彼女の前にあるのは当然のようにオオカミの煮込みであった。マリコが激辛燻製と酒類の生み出す可能性について説くと、一言今度試してごらんと嬉しそうに許可をくれた。
その後、きちんと畳まれて洗濯から返ってきた下着からは、わずかに桜の煙の匂いがした。
何と、一日が三話で終わりそうです(驚)。
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。




