139 昼下がりの宿屋 2
もう何度目なんだという風呂場へ向かいます。
作業台に水桶、甕やら桶やらといった入れ物、出刃包丁を始めとする各種刃物。中庭の井戸の周りには、野豚を解体するための準備が既に整えられていた。手回しがいいなあ、などと思っていたマリコだったが、よくよく考えてみれば自分が初めてだというだけでサニアたちにとってはいつものことなのだと気が付いた。
一方、人の方はというと、厨房にいた白いエプロンを着けたパート組の女性陣のうち数人がマリコたちに続いてやって来た。それに加えて何故か先ほどまで食堂でお茶を飲んでいた年配組三人の姿も見える。
「野豚狩りの日はね、いつも応援を頼むことにしてるのよ」
おやっという顔をしたマリコの様子に気付いたのだろう、サニアが説明してくれる。野豚の数にもよるが、大抵の場合その日に本来いる人数では手が回らなくなるので、パートの増員と年配の経験者を召集することで対応しているのだという。
(ああそうか。今日は火の日、言ってみれば平日なんだから、普通なら皆自分の家の仕事をしてるんだ)
「じゃあミランダ。出してもらって」
「承知した。エリーとジュリアは存じているな。マリコ殿、そこの井戸の脇の空いた所へ、今日の獲物を出していただけるか」
ミランダはそう言うと手本を見せるかのように、自分が仕舞っていた野豚を二頭並べて置いた。もちろん、斬り落とした腕も一緒に出す。それに続いて、エリーたちもそこへ並べていく。野豚が取り出される度、周囲からおおという声が漏れる。マリコが大野豚を出して置いた時にはうおおと歓声が上がった。
「おお、こりゃあまた大物を狩りましたな」
後ろから掛けられた男性の声にマリコたちが振り返ると、腕まくりをした作業着の上に革製らしいエプロン――というか前掛け――を着けた四十くらいの男が立っていた。短めに刈られたやや濃いめの水色の髪から、この人がマリーンの父親なのだろうとマリコは思った。
「ああ、ブレアさん。急に呼び出してごめんなさいね」
「いやいや、これが仕事ですからな」
「それじゃ、早速なんだけど……」
サニアはブレアと呼ばれたその男と二言三言打ち合わせをするとマリコたちに向き直った。
「さ、こっちはこれでいいわ。あなたたちはお風呂ね」
「手伝わなくていいんですか?」
「大丈夫よ。皆腕は確かだし、余禄もあるもの」
「余禄?」
「そうよ」
大きな獲物の解体は汚れもするし力も要る仕事である。そのため、解体に参加した者には通常の給金や手間賃とは別に肉の現物支給があるのだとサニアは言う。部位にもよるが好きなところを結構な量もらえるようで、それを楽しみに来ている者もいるので無理に手伝わなくてもいいのだそうだ。
「降り出す前に片付けちまうぞ!」
「「「おー!」」」
中庭を後にするマリコが戸口のところで振り返ると、年配組の男がナイフを振り上げて声を上げ、皆が唱和するところだった。早速一頭目が洗い場へと運ばれていく。イベントか何かのような雰囲気だった。
(雨になるのかな)
降り出す前という言葉にマリコが空を見上げると、宿に帰り着く頃までは照っていたはずの太陽はいつの間にか雲に隠れていた。
◇
「じゃあ、マリコさんも部屋に戻らなくても大丈夫なのね」
「はい」
廊下に入ったところで、マリコは入浴道具や着替えを持っているかどうかをサニアに聞かれた。幸い風呂セットはアイテムボックスに入ったままであり、これもアイテムボックスの存在故ではあるが下着類も一セット持っている。マリコの今の持ち物の量を考えれば全部アイテムボックスに入れて持ち歩いても構わないくらいなのだが、せっかくクローゼットがあるのだからと、買い込んだ衣類の大半はそちらに仕舞われていた。
「済まぬ、マリコ殿」
「いえ、大したことでもありませんから」
狩りから帰ったら風呂ということを伝え忘れていたとミランダが謝ってきたが、マリコは軽く流した。実際、マリコの部屋は厨房と浴場の間にあるので、途中で寄ったとしても大した手間ではないのだ。
宿の裏から出て渡り廊下を進み、マリコはもう慣れてきた感のある女湯の暖簾をくぐる。里の人たちが来るには早い時間だからか、番台には誰もいなかった。脱衣所でマリコたち四人が準備を始めると、一緒に来たサニアが籠を示しながら口を開いた。
「裏へ持っていっておくから、洗濯する物は籠に出しておいてちょうだい」
それから厨房へ戻ると言う。風呂に入る予定ではないはずのサニアがどうしてついてくるのだろうと思っていたマリコはその言葉に納得した。番台が無人だったということは、洗濯物を頼むには誰かが風呂場の裏にある洗濯場へ持っていかなければならないということである。いくら番台の後ろからそちらへ出られるとはいえ、誰がいるか分からない洗濯場へ素っ裸で行くわけにはいかないだろう。
「足掛け四日着続けたこれもやっと洗濯か」
マリコはエプロンをはずしながら、感慨深くつぶやいた。
四人はそれぞれ服を脱ぐとそれをサニアに託して浴室に向かった。もっとも、着ていた物全部が洗濯行きになるのはマリコだけである。革ジャケットなどは水洗いするわけにはいかないので、各自持ち帰って改めて浄化などを使った後、保護用の油を塗り込んだりすることになる。
髪や身体を洗った後、湯船に浸かった四人は今日の狩りについて話し合った。これは狩りの後の反省会でもあるらしく、エリーとジュリアの注意点や改善すべきところなどがミランダから挙げられる。マリコも意見を求められ、当然ながらマリコがやったことについても聞かれるので、気が付いたことや方法など分かることは答えていった。
「あっ!」
「どうなされた」
やがて、もう上がろうという段になって、マリコは重大なあることに気付いて思わず声を上げた。
「食堂で見せてもらった新しい服なんですが、受け取ってないんですよ」
「ん? そうなのか?」
「ええとですね。あの時サニアさん、ご自分のアイテムボックスに仕舞ってたと思います」
「ん。私も見た」
首をひねるミランダに代わって、ジュリアとエリーが答えてくれた。マリコがサニアやケーラと話している時、二人も一緒にいたのだ。どうやらマリコの新しいメイド服はサニアが持ったままであるらしい。
「サニアさん……」
(そうすると私は何を着て風呂場を出ればいいんだ?)
湯の中に座って温かいはずのマリコの額に、一筋の冷や汗が流れた。
次回、半裸のマリコが全速で廊下を駆け抜ける!
嘘です(笑)。
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。