138 昼下がりの宿屋 1
縄張り争いをしているところを狩られた二頭はマリコとミランダが一頭ずつアイテムボックスに収め、一行は改めて帰途についた。大野豚の出現という予想外の出来事はあったものの、結果としては大漁で怪我人もなく四人の足取りは軽い。肉の事や料理の事、宿の事など姦しく話しながら歩いて行く。
「里の家々はこの辺から切り出された木で建てられているのだそうだ」
林のはずれ近く、木々の間から里の壁が見え始めた辺りで、あちこちに残る切り株を指しながらミランダがそんな話をしてくれる。サニアに聞いたというその話によると、今一行が向かっている壁のすぐ内側付近まで、元々は森だったのだそうだ。
(ナザールの門が見つかって三十年って言ってたな。こうやって里が広がっていくのか)
実際に森が拓かれて人里になるなどという話は、現代日本で最早ほとんど聞く事は無い。むしろ逆に、森を回復させようといった計画やら運動やらの方がよく耳にする話である。マリコは時折相づちを打ちながら、ミランダの話を興味深く聞いた。
やがて一行は数時間前に出発した門の前へと戻ってきた。ミランダが門扉から出た取っ手をつかんで閂をはずす。マリコはその様子に何か違和感を覚えた。出発する時はおそらく狩りのことや初めて見る里の外に気を取られていて気付けなかったのだろう。マリコは少し考えてその違和感の原因に思い当たった。
「この門、外からでも開けられるんですね」
ミランダは閉じられた門を外側から開いた。それがマリコの違和感の正体だった。
「ん? 当たり前であろう。そうでないと外に出ている者が戻った時や徒歩でやってきた者がいた時に困るではないか」
何を言っているのかという表情のミランダに、今度はマリコが目を瞬かせた。
「マリコ殿が何に驚いておられるのかよく分からぬが、この門や壁は先の野豚やオオカミのような動物から里の者を守るために作られた物だ。その守るべき者が閉め出されて入れないのでは本末転倒というものであろう?」
「ああ、そういうことですか」
マリコは自分の勘違いに気付いて納得する。マリコの常識だと門や壁とはまず、他人を閉め出す――勝手に入られないようにする――ための物であった。ただし、この世界ではそれだけでは意味が無いのである。
(転移門があるからなあ)
転移門を使えば、例えばナザールなら宿屋のすぐ近くにやってくることができる。タリアやミランダの話によると、他の街などでも転移門の場所は似たり寄ったりであるらしい。本気で他人を閉め出そうとするなら、一番にすべきことは転移門の回りを固めることなのだ。それがないということは……、と考えながらマリコは門をくぐった。
◇
「只今帰還いたした」
「ただいま戻りました」
「戻った」
「ただいま帰りましたー!」
夕方までにはまだ少し間があるという時刻。引き戸をガラリと開いて、四人は宿屋に入った。カウンターの奥では夕食の仕込みをする者が何人か動いていたが、食事時間をはずれた食堂にはほとんど人がいなかった。年配の男女三人がテーブルの一つを埋めてお茶を飲んでいるだけである。
「おかえりなさい。案外早かったわね、ミランダ。どうだった?」
カウンターを挟んで、前に立つ女の人と話をしていたサニアからおっとりした声が掛かる。
「大漁だ、サニア殿。全部で六頭、内一頭は大物だ」
「六頭ですって!?」
カウンターへ歩み寄りながらのミランダの返事を聞いたサニアの顔色が変わる。あわててカウンターの奥を振り返った。
「マリーンはどこ? 急いでお父さんを呼んできてもらってちょうだい」
「マリーンさんのお父さん?」
サニアの言葉の意味が分からず、マリコは首を傾げた。
「ん。食料品店」
「マリーンのお父さんがやってるんです」
「ああ」
傍にいたエリーとジュリアが答えてくれた。里で使う分以上は売りに出すという話はマリコも聞いている。そのために呼びに行くのだろう。
「皆お疲れ様。ちょうどお風呂が沸いてる頃だから、いつも通り野豚を中庭に出したら入ってらっしゃい」
「野豚狩りだって? 大変だったねえ、お疲れ様」
四人がカウンターの前まで来るとサニアから改めて声が掛かる。一緒にサニアと話していた女の人からも声が掛かったが、それは昨日マリコが買物をした服屋のケーラであった。カウンターには風呂敷包みが一つ載っており、ケーラは目の下に少しクマの浮かんだ顔をしているものの、その目は力強く輝いていた。
「ちょうどよかったわ。マリコさん、あなたの新しい服が届いたのよ」
「え? 私の服、ですか?」
確かにマリコはケーラの店で服を買ったが、注文は出していないはずである。マリコは思わず聞き返した。
「ああ、これはあなたの服だけど、頼んだのはあなたじゃないわ。宿屋よ」
「宿?」
「ほら、マリコさん、あなたその服の替えもないって言ってたでしょう。だから、その替えを頼んであったのよ」
サニアはそう言うと、目の前の風呂敷包みの十文字になった結び目を半分解いて中身をチラリとのぞかせた。白い襟の付いた黒い服の一部とエプロンらしき白い布が見える。新たなメイド服であった。
「え、でもお金が……」
「それは気にしなくても大丈夫よ。これは宿屋からの支給品なんだから。ミランダのいつもの服だってそうなのよ。ね、ミランダ」
「ああ。私のあの服もこちらで作っていただいた物だ。替えもちゃんとある」
今は紅い革鎧姿だが、いつものミランダは深緑で膝丈のメイド服である。
「だからお金のことはいいの。それにマリコさん、その服が洗濯できないって言ってたでしょう。だからとりあえず一着、急いで仕立ててもらったの」
「えっ!? じゃあ、まさか……」
マリコは思わずケーラの顔を見る。ケーラはわずかにクマのできた顔にニカッと不敵な笑みを浮かべた。
「久々に徹夜したけどね、いい出来にはなったと思うよ」
「無理させて申し訳ありません。ありがとうございます」
「久々にやりがいがあったし、気にしなくていいわよ。じゃあ、サニア。今日は帰って寝るわ。替えはまた近いうちにね」
そう言うと、ケーラは欠伸をひとつして帰っていった。
「よかったではないか、マリコ殿。これでやっとその服を洗濯に出せるな」
「はい」
特に今日は狩りまでしてきたのだ。メイド服を洗濯に回せることをマリコは喜んだ。
「さ、それじゃ中庭に行くわよ。大物って一体何を狩ってきたの?」
「見れば分かる。大きい」
「マリコさん、すごかったんですよ」
サニアに先導され、エリーとジュリアが語る武勇伝をくすぐったく感じながら、マリコは皆と中庭へ向かった。
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