133 野豚狩り 6
戦闘です。残酷描写注意。
二人が目を向けた林の左手、百メートルほど先の木々の間に低木と草が茂った辺りで、その薮がガサリと動いた。
「ブゴォッ!?」
「肩、浅い」
「外したっ」
同時に右手からは、矢を射掛けられた野豚の声と結果を伝えるエリーとジュリアの押さえた声が響く。五十メートル近く離れた、ゆっくりとはいえ動いている目標に矢を中てることは難しい。エリーの矢は最早腕と言って差し支えない左前足を掠めるに留まり、ジュリアの物はわずかにそれて野豚の足元に突き立っていた。
「ブフォオ!」
「次」
「今度は中てます!」
さすがにマリコたち一行に気が付いた野豚は、声を上げてこちらへと駆け出した。エリーたちは射終えた後すぐに引き出していた二本目の矢を番える。
対する左側。マリコとミランダが見つめる先で、薮を揺らした存在はガサガサとさらに大きく木の枝を揺らしながらのっそりと姿を現した。
「なっ!?」
マリコは思わず小さな声を上げる。それは、今エリーたちが相手にしているものより二回りは大きな野豚だった。フンフンと、何かを探るように鼻をひくつかせながら首を巡らせたかと思うと、真っ直ぐにマリコたちの方へ顔を向ける。さほど良くないはずのその目が一行をとらえたのを、マリコは確かに感じた。
「フゴオオオォッ!」
「ん!?」
「え!?」
大野豚が上げた雄叫びが、距離を隔ててなお響き渡る。正に射の構えに入っていたエリーとジュリアは、その声に驚いてわずかに手元を狂わせた。彼女たちはまだ大野豚に気付いていなかったのだ。風を切って走った二本の矢の内、ジュリアの矢は野豚の額に当たったものの、頭蓋骨に弾かれてしまった。エリーの方は辛うじて左肩に命中し、野豚はブギッと声を立ててその足を鈍らせた。
一方、吠えた大野豚もマリコたちの方へ向かって突進し始めた。前足が発達した分身体全体のバランスは悪くなっているらしく、マリコが知識として知っているイノシシほどのスピードではない。しかし、それでも人が走るくらいの速さは出ているように見えた。
(このままだとまずい!)
挟み撃ちになる可能性に気付いたマリコは、思わず大野豚に向かって駆け出した。
「マリコ殿!?」
「なんとか足止めしますから、そっちを!」
驚くミランダに顔半分だけ振り返って声を掛け、マリコはそのまま大野豚へと走る。草に足を取られないよう、石や切り株を足場にして飛ぶように駆けて行くマリコを、ミランダは感嘆の目で見送った。
相手の方から近づいてくるのに気が付いた大野豚は徐々にスピードを落とし、ほどなく一人と一頭は足を止めてにらみ合う形になった。
(でかい……)
前足が地面に着いていてなお、大野豚の顔はマリコとほぼ同じ高さにあった。もし後ろ足で立ち上がったら二メートルを越えるだろう。
「フゴオッ!」
「うわっ!」
一瞬のお見合いの後、大野豚は足を踏み出しながらマリコに向かっていきなり腕を外から内へと横薙ぎに払った。驚きはしたものの、技術も何もない力任せの振りである。速さもミランダの木刀の比ではない。マリコは一歩下がって難なくかわした。かわされた大野豚は、さらに歩を進めて今度は逆の腕を繰り出してくる。
(種付けしようって相手にこれか!)
もし当たればただでは済まないだろう、捕まえたいのか殴り倒したいのか分からない一撃をやり過ごしながら、これは確かに貞操の危機以前に生命の危機だとマリコは思った。
「フゴッ! フゴッ!」
右、左、右、左。振り回される腕を何度かかわした後。
(ここ!)
マリコは目の前を通り過ぎようとうする腕の肘の辺りの毛皮をつかむと、大野豚が腕を回すのに逆らわず、それが回転する方向へとさらに力を加えた。
「ブゴ!?」
予想外の向きに引っ張られた大野豚はたたらを踏んで半回転し、そのまま後ろ向きになった。マリコの目の前に、ちょっとした斜面のような大きな背中がさらされる。マリコはその無防備な背中へと飛び上がった。
背中に着地すると同時に腰の短剣を逆手で抜き放ち、左手で大野豚の頭の毛をつかんだ。
「ブオォ!?」
背中に乗られたと分かった大野豚が、そちらを見ようと首を上げる。マリコはそれに合わせて左手を引き寄せ、大野豚の背中にしゃがみ込むように自らの身体を折り畳むと右手をその首の前へと回した。
(く、首が太い……)
マリコは、腕が届く限りの所へ短剣を突き刺すと、その刃先はほとんど抵抗なく飲み込まれた。そのまま首回りに沿って腕を引く。
鮮血が噴き上がった。
「ゴ、ボホ、ヒュォ」
短剣を引き抜き、大野豚の背中を蹴って後ろへ跳ぶ。空中でトンボを切って、マリコはできるだけ離れた位置へと降り立った。
マリコが顔を上げると、大野豚は血のシャワーと泡を噴き出しながら、それでもまだマリコの方へ向き直ろうとしていた。真っ赤な噴水が、見事な半円を描いて撒き散らされる。マリコは跳び下がってそれを避けたが、大野豚から目を離すことはなかった。
大野豚はなおも数歩進んだ後、遂に己の作った血の池に沈んだ。
足止めと言いつつ倒してしまうマリコさんでした。
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